93.戻り始めた記憶
戻り始めた記憶
話し相手は、ナナとAIきりしかいない宇宙船の中で、サクヤはまるで自分に言い聞かせるようにナナに何度も繰り返した。
「ゴリアンクスが消滅し、ルノクスだけが残った。それはルノクスを生んだマナとヨミ様に加えてマルマ様がこの星に来られたからなの。ナナはマナとヨミ様から生まれた最初の子。ヨミ様の手首から生まれたヒドラの精」
「サクヤ、これから何処へ?」
「マナ溢れる星、太陽を回る星たちの中で、知的生命体の住む星、その星の名は地球」
サクヤがナナにそう答えた。
「地球?」
「ナナ、地球には他の種族もたくさん住んでいるのよ、パピィからも話してやって」
「そう、そこには虫人とは違う知的生命体がいる。カイリュウ族、ヒト族、キョウリュウ族、ヨミ族……」
パピィはサクヤの最初のプログラミングによって組み込まれたAIのコード・ネームだ。
「ナナ、地球に行く前に立ち寄るところがあるわ。火星で破壊したAIは全て回収したはずだったけれど、心肺の弁が一枚足りなかった」
サクヤにとってはリード一枚であろうと重要なAIのパーツになることを知っていたのだった。
「ない、どこにもない……」
青ざめたサクヤは、眼下の青い星を見つめた。
「急ぎましょう、ナナ。まさかシュラがもう一体地球に向かったのかもしれない……」
サクヤが危惧した通り、シュラはすでに火星から地球にやって来ていた。しかし、そのAIが完全に復活したわけではなかった。壮絶な戦いの末、そのシュラは先住民たちの長カイリュウ族たちにより破壊され、海中に投げ込まれたシュラの体は塩水で消滅していた。
「私は、一体何者かしら?」
目前の星に向かって、インセクトロイド・サクヤは問う。
「サクヤ様以外の誰でもありません」
パピィのその言葉は、サクヤには虚しいだけだった。しなやかな姿態、それは紛れもなく「作り物」なのだ。心はあの頃のまま、しかしこの体は何者だったのだろう。その答えもカグマは残酷にもサクヤに残している。
「インセクトロイド・シュラ、それが以前の私だった……」
カグマ博士がそしてカグマ・アグル・サクヤがこの「インセクトロイド・サクヤ」を残したのは、虫人たちのために他ならない。
「これより、大気圏に突入します。侵入角度12度、5.4.3.2.1……」
サクヤはカグマから受け継いだ記憶をナナに話すうちに、イブの記憶が鮮明に蘇った。いつしかイブだった頃と同じ気持ちで、サクヤは近づくその大地を見ていた。
「この星に移住したはずの虫人を守ってやらねばならない。リリナ、リカーナそして王子たちを何としても……」
やがて船内温度を調節する冷気が勢いを増していく。厚い大気がこの星を取り巻いている、それはサクヤには遥か昔から張られていた、原始的な「結界」のように思えた。
次元レーダーがレムリアの航路をなぞる。ゆっくりと降下する大地は白一色の世界だった。しかしこの雪原にレムリアは確実に降りたのだ。
「パピィ、ここは?」
「この星の地軸に近い、オロスという場所」
虫人たちが最初に降り立った場所、それは北極に近いオロスという村だったのである。
「外に出てみましょう、ナナ」
サクヤには、あの白いものが気になって仕方がなかった。
「冷たい……」
生体の冷凍保存には足りないが、それでもゴリアンクスの夜間の外気温よりも低い。地表のそれはサクヤの手の中で、瞬く間に水に変わった。
「船体の破損箇所、修復のためしばらく離陸出来ません」
戻ってきたサクヤにパピィがそう報告した。
「パピィ、ここにはもう彼らはいない。どこへ向かったのでしょう」
「西の方に向かっています。修復が完了次第、追いかけましょう」
「この澄んだ大気の地、オロスならわたしはなんとか生きて行けるかもしれない。でもここには残念な事に虫人の反応が無い」
サクヤは肩を落とし、オロスを離れた。離陸する小型宇宙船の上空に、いつしか七色のカーテンが現れた。
「あれは?」
「スペクトル光、この星ではオーロラと呼んでいます」
「オーロラ、心地よい響き。この星の生き物は心優しい生き物なのね。もし、シュラが彼らを滅ぼしてしまっていたら……」
サクヤはこの星の先住民に、一刻も早く会いたいと願っていた。それは罪の深さに気付いたことに加え、無事に虫人達を迎えてくれたことに、心から礼を言おうと思ったからだった。しかし、オロスにはそれを告げるべき人影が見えなかった。