暁の残月。了
私は倉橋家を後にし、絶望して立ち竦みました。
「こんな時間に人力車なんて通ってなくない……?」
あたりは真っ暗、黄色い満月はもう西の空。なぜ私は来るとき、帰りは人力車でなどと言ったのでしょうか。人力車も路面電車も走っている時間ではありません。完全に東京は寝静まっています。
「……歩くかぁ」
とほほ、と猫と海栗を抱えて歩きます。……築地から神田遠くない?
肉体的疲労はともかく、さすがに霊力が枯渇しているのと、緊張が切れて眠気がですね。
ヒスイは私の腕の中で、くわあぁぁあと大きな欠伸を一つ。そして私の肩のあたりにくしくしくしくしと念入りに頭をこすり付けました。
私がちょっと恨めしげな視線を送れば、くしゅん、とくしゃみをしました。
「風邪?」
「いや、そうではない。噂でもされてるのかもな」
「元気なら歩く?」
「にゃーん」
ヒスイはごろごろと喉を鳴らしました。
喋れるのわかってるのに可愛く猫のフリされても……。と思わなくもないです。でも今日はヒスイもお疲れですよね
彼のおかげで助かりましたし、最後。そう、特に最後。
ヒスイは私の寂しさを、苦しみを訴えてくれました。まあ、その、やり方はあまり良いものではないのかもしれませんけど。でもあれが私を、かつて一人で泣いていた私を掬い上げてくれたのだとそう思います。
「……ありがとうね」
「に」
抱き上げているヒスイのお腹の毛の上で、海栗がわさわさと棘を振ります。
「天后もこれからよろしくね」
「うむ。苦しうないぞ」
海栗からはそう言葉が返ってきました。
「ところで神田までさっと行けるような術とかない?」
「影を渡るには霊力が足りない」
「妾にはないのう」
ため息を一つ。うっかり警官に補導されなければいいけど。そんなことを考えながら、とぼとぼと歩いて神田へと着く頃には、ああ、空が明るくなってきました。暁の空が東から空の色を染めはじめ、西の空に残月が頼りなく浮かんでいる頃に、私は梅お婆さまの家へと戻ってきたのでした。
「ただいま戻りました……」
早朝ですから、そっと大きな音をたてないよう戸を開けて家に入ります。お婆さまを起こさぬように。
「おかえりよ」
「ひゃあ!」
しかし、普通に出迎えの声があて、私はびっくりして悲鳴を上げます。
「何変な声あげてるんだい」
私は胸を押さえて尋ねました。
「お、起きてらっしゃったのですか」
「ばばあは朝早いんだよ」
私の胸元でヒスイがふん、と笑います。
お婆さまの朝が早いのはそうでしょうけど、流石に普段この時間には起きていないはずです。
「倉橋家に行ってきました」
「ああ、ちゃんと話せたかい?」
私は笑みを浮かべます。
「はい、猫ちゃんのおかげで」
「そうかい」
お婆さまは肩を竦めるように軽く頷かれました。
私が何があったか説明を始めようと口を開きましたら、お婆さまは手にしていた煙管で私の唇をおさえました。
「話は後でいい」
「ですか」
「あんたの顔を見りゃ、悪いことにはなってないのはわかるさね」
「はいっ」
お婆さまは煙管で二階を指しました。
「まずは寝てからだ。布団は敷いといた」
「梅お婆さま、ありがとうございます」
私はお礼を言って二階へと上がりました。
そして布団の脇に海栗と猫を置くと、そのまま倒れ込んで眠ってしまったのです。
車のエンジンの音、戸を叩く音。激しく何度も叩かれる音が続きます。
「うーん……」
寝返りを打てば、整った顔が目の前にありました。髪には一筋の白髪。
「うるさいな」
「うん……」
ヒスイさんです。まだ眠くてぼうっとして、とろとろと眠りにまた落ちかけたところで、下から声が聞こえます。
「だから茉莉さんを出せと」
「九条の坊ちゃん、茉莉はまだ寝ているよ」
「もう午後だぞ。そんな怠惰な生活があるか!」
……あれは、誠二様ですね。梅お婆さまと話をしているのでしょう。
「誠二様……」
そう言ったとき、ヒスイさんの気配がさっと変わったのがなんとなく感じ取れました。
下からは声が続きます。
「用あって倉橋家に寄ったら離れが半壊してるではないか!」
「ひひ、派手にやったね」
「聞けば茉莉さんがやったという。それに桐花さんのあのおぞま……いや、あの姿はなんだ!」
「何があったか知らないけどね。術士ってのはそういう事故もあるものだよ。坊ちゃんはそれを知って婿入りを承諾したんだろう?」
昨日の話をしているようです。
ヒスイさんが私の頬にやさしく触れました。
むふー、と硬い手に頬を寄せます。
「可愛いものだ。可愛いものだが、共寝のときに他の男の名を聞くのは不快だな?」
ヒスイさんはそうおっしゃいます。
「寝ていて良いぞ」
そう言いながら私の背に手を入れます。海栗がころんと転がりました。
ヒスイさんは筋骨隆々というわけではないのに、軽々と私を持ち上げて起き上がります。さすがは妖なのです。そしてとんとんと軽やかに階段を降りて行きました。
「茉莉さんの霊力が戻ったと」
「そうさね」
「であれば茉莉さんを倉橋の家に戻して改めて……!」
その時は頭が働いていませんでしたが、後から思えば私を倉橋に戻して私と婚約し直せば良い、そう考えていたのだと思います。ですがそれを知る機会は永遠に失われてしまいました。
「お前に茉莉はやらん」
「なっ……!」
私を縦抱きにかかえたヒスイさんがそう宣言したからです。
ええ、寝起きの、ぼうっとして髪を整えてすらいない私を抱えてです。
ヒスイさんは私の髪を一房持つと、唇に寄せました。
「茉莉は未来永劫、その全てが僕のものだし、僕はその全てが茉莉のものだ」
誠二様はわなわなと震え出しました。
「破廉恥な! 帰る!」
そう叫んで戸を叩きつけるように閉めて帰ってしまわれたのです。
くっくっく、とお婆さまが笑っています。
「ふふ、嬉しい」
そう言ったところで、だんだん意識が覚醒してきました。
「ヒスイ……これは何を?」
「む、目が覚めたか」
私の顔が急に熱を持ちます。
「僕が茉莉と良い仲だというのを示しておかねばな」
私の悲鳴は、昼下がりの神田によく響いたことかと思います。
三日月の綺麗な或る宵の一幕。
––完
ξ˚⊿˚)ξこれにて完結!
完結なんで頑張ってたくさん投稿。
ここまでお付き合いいただいたみなさま、ありがとうございます。
ポイントとかレビューとか感想とかくれていいのよ!
んで書籍化します!
ヤッター。
詳細はいずれお伝えしますので、ブックマーク外さないでくれると、いずれ告知とSSくらいは上げる予定。
とりあえず明日、久しぶりに活動報告は上げます。
ではまたみなさま、またいつか別の作品でお会いしましょう。
ではまたー。
ξ˚⊿˚)ξノ===★★★★★




