月一つない闇夜に押さえつけられて。一
ξ˚⊿˚)ξ新作ですよー。
和風10万字、毎日更新です。
お付き合いのほどよろしくお願いします!
たったったった。
素足が床を蹴る音が狭い廊下に響きます。
手には雑巾。狭く、長い廊下の拭き掃除をしているのです。
たったったった。
盥の凍りそうな水の中に雑巾をつけて揉めば、水が茶色く黒く濁っていきます。私はぎゅっと雑巾を絞って広げると、それをたらいの縁にかけて、はーっ、と両手に息を吹きかけました。冷たい。
季節は師走。
煤払いの月です。
新たな年に向けて屋敷中をぴかぴかに磨くというのは大切なことです。もちろん私だって幼い頃から毎年それに参加していました。嫌と思ったことなどございません。でも、今そうしているように、使用人の区画の掃除までさせられるというのは……。
『茉莉花、この役立たずめ』
『期待はずれ』
『倉橋家の恥』
これまでにかけられてきた、心ない言葉たちが脳裏をよぎります。いけない、こういうのに囚われてはダメ。私は頭を横に振りました。
その時でした。きしり、と小さく板張りの床が鳴ったのは。
「お姉ちゃん」
そちらを見れば二つ下の妹である桐花ちゃんが、廊下の角から顔を覗かせて、私にそう声をかけていたのです。
「桐花ちゃん」
私がそう呟けば、彼女は笑みを浮かべてひょいと身をあらわしました。
私の着ているくすんだ色の袷とは違い、華やかな色のそれを纏って。おろしたての真っ白な足袋を、とてとてと床板の上で軽やかに跳ねさせて、こちらにやってくるのです。
私は立ち上がって挨拶をしようとしましたが、口は勝手に小言のようなものを漏らしました。
「こんなところに来るものではありませんよ」
「それはお姉ちゃんだってそうでしょう?」
倉橋のお屋敷は明治以降になって流行りの洋館というやつです。正面玄関側からの廊下はとても立派で、天井には吊り燭台がきらきらと輝き、ふかふかの絨毯。壁には花や絵が飾られ、幅だって私と桐花ちゃんが手を広げて繋いだよりも広いもの。
ですが勝手口からの廊下は下級の使用人や下女たちが使うためのもので、主人たちとすれ違うようなことがないようになっているのです。だからこの廊下は板張りで、天井にはちっぽけな灯りが一つ。幅だって私が肘を上げれば両の肘がつっかえてしまうほどに狭いのでした。
だから倉橋家の令嬢である桐花ちゃんがここにくるのは良くないことで……。でも本当なら倉橋家長女である私、茉莉花がここの掃除をしているのは、もっとずっとおかしなことの筈なのです。
「ふふ、お母さまも酷いものね」
桐花ちゃんはそう言います。確かに、私にここの掃除を命じたのはお母さまでした。そもそもこうして使用人の真似事をさせられるようになったのも、お母さまが役立たずは掃除でもしていろと言ったからです。
「はい、これ。お菓子くすねてきたから。後で食べて」
桐花ちゃんはそう言って私にビスケットをひとかけと、キヤラメルを一つくれたのです。桐花ちゃんはこんな私を今でも気にかけてくれて優しい。
でもなんで、お母さまは酷いって言いながら笑っているの……?
「ありがとう」
桐花ちゃんはちょっと甘えただったり、空気が読めないところがありますが、決して悪い子ではないはず。倉橋の子として求められる霊力もすごく高くて、誰もが優秀と褒め称えるのですから。
「いいえ、どういたしまして。そうそう、今夜、お父さまが私たちに大切なお話があるそうよ。お姉ちゃんは聞いてるかしら?」
私はゆっくりと首を横に振りました。同じ家に住んでいても、お父さまとはほとんど会っていませんし、言葉を交わしません。
「そう? じゃあ伝えたわね。お仕事頑張って」
「……ありがとう」
私はお仕事を頑張って、そして桐花ちゃんはどこかに出かけるのでしょうか。
桐花ちゃんはその場を後にしようとし、ふと足を止めました。
「あら、襟元が曲がっていましてよ?」
水仕事などしない彼女の嫋やかな指が、私の首筋を這います。
ぞくり、と何故か身体が震えました。指は首筋から半衿に。その端を撫でるよう動いてから襟を整えると、ゆっくり離れていきます。
「じゃあね、お体に気をつけて、お姉ちゃん」
「ええ」
彼女が廊下の角を曲がって姿が見えなくなったところで、思わずため息が落ちます。
「はぁ……」
私は壁に背を預けました。ずるずると滑り落ちるように座り込みます。せっかく桐花ちゃんが整えてくれた襟は、またずれてしまっていることでしょう。
なぜでしょう、そしていつからでしょう。桐花ちゃんと話すと疲労を感じるようになったのは。風邪でも引いたかのように頭がぼうっとして、身体がだるくなるのは。
私の霊力が衰え、彼女に敗北したから。彼女を妬む気持ちが、体の不調としてあらわれるのでしょうか。
分かりません。
ですが分かることもあります。ここにこうして座っていては、いずれ女中頭が私を見つけて、仕事をサボっていると母に告げ口するでしょう。
カサリ。
私は桐花ちゃんからもらったミルクキヤラメルを紙から剥がして、茶色い塊を口にしました。甘味が口中に広がり、立ち上がる気力もまた湧いてきます。
「よし」
私は、ぱん、と膝を叩いて立ち上がり、再び雑巾掛けに戻るのでした。




