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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第二章 日曜日
19/63

18 カノンのトラブル(1)

 そのとき莫さんはプライベートエリアに防犯ビデオの電源を切りに行ってて、あたしは司くんと一緒にテーブルを並べ直してた。

 本日貸切の看板は階段の下に置いたままだったから、ドアが空いても多分お京さんだろうと思って、司くんもあたしも最初は気にしなかった。けど、入ってくる足音は複数で、なんだかバタバタと慌しい。気配に振り向くと、若い男の人が女の人に寄りかかるようにして入ってきて、その彼女に促され、入り口の一番近くの椅子に崩れるように腰を降ろした。

 肩まである髪をミルクティーのような甘めのアッシュグレイに染めた、20歳前後ぐらいの男の人──男の子と言ったほうがいいのかな。多分司くんと幾らも齢が違わない。わりかし整った顔をしていて、金色のピアスを左右の耳に2個ずつして、服装もお洒落な感じだったけど、土気色の顔色ですごく気分が悪そう。左の手首に包帯を巻いている。

 女の人──やっぱり女の子?──も、男の子と同じ20歳ぐらい。明るい茶色のウェービーヘアと綺麗にルージュを引いた口元。ほっぺが丸くて全体的にふっくらした印象。この子の方が服装はカジュアル。明るいクリーム色のコットンシャツに、黒いダメージジーンズ。

 そのすぐ後ろからお京さんが続いて入ってきて、女の子に言った。


「かおりちゃん、なんか飲むもの用意するから、あんたも座ってなさい。コーヒーでいい?」


 そして、椅子の背もたれにぐったりと寄りかかった男の子にも声をかける。


「ヒロくん、あんたもコーヒーでいいわね。まず酔いを醒まさなきゃ、薬も飲めないわ」

「もう……酔い、醒めてます。大丈夫……」


 ヒロくんと呼ばれた男の子は、ぼそぼそと、そう答えた。声もかすれてて、しんどそう。


「バカ言ってんじゃないわよ。ぶっ倒れるぐらい泥酔してたくせに」

「だってもう、3時間ぐらい……」


 ヒロくんは腕時計で時間を確認する仕草で左腕をちょっと持ち上げ、それが包帯でぐるぐる巻きになっているのを見て、小さくつぶやいた。


「あ、時計は置いてきたんだっけ」


 司くんとあたし、顔を見合わせる。

 司くんがお京さんに訊ねた。


「お京さん、どうしたの? その人」


 お京さんが振り向いた。


「ああタオ。鞠乃ちゃんまだいたの? 送っていかなかったの?」

「まだいたのじゃないだろ? 星野さんがお京さんを待つって粘ってたから、鞠乃ちゃん、帰れなかったんだよ」


 えーと、司くん、別にそういうわけじゃないのよ。星野さんは莫さんが追い返しちゃった(?)わけだし、そのこととは関係なく、あたしがお京さんを待ちたかっただけなの。

 ミーティングに来ている人たちに、お京さんによろしく伝えといてくれ、なんてしっかり言われちゃったしね。前半は何か議題を決めてみんなで話し合っていたみたいだけど、後半はフリートークタイムだっていうんで、カウンターの内側に退避(?)していたあたしのところにも何人か流れてきて、少しおしゃべりしてたの。

 カノンに電話入れた直後にお京さんが飛び出していった話をしたら、そこからカノンのオーナーの話になった。やり手でソツがなくて、面白い人だよね。いや、結構クセのある奴だよ。そうだっけ? 丁寧で、すごくよく気がつく人っていう印象なんだけど。クマさんと彼のパートナーだっていう人の意見は分かれた。


 お京さんは、店内をきょろきょろと見回して、


「で、その守ちゃんはどうしたの? あきらめて帰った?」

「帰ったよ。だいぶ粘ってたんだけどね」


 莫さんが無理やりキスしたせいで逃げ帰ってしまったことは省略して、司くん、そう答える。


「悪かったわ、鞠乃ちゃん。途中で連絡入れてればよかったわね」


 お京さんの言葉に、あたしは首を振った。


「星野さんは、ずいぶん前に帰ったんです。そのあと、ミーティングで集まってた人たちと何となく話し込んでただけだから」

「ごめんなさいね。あたし、すっかり慌てちゃってて……」


 お京さんはもう一度きょろきょろして、司くんに訊ねる。


「莫はどこ?」

「掃除道具を片付けがてら、防犯ビデオを切りに行った」

「コーヒー淹れさせてもらっていいかしら?」

「ああ、俺やるよ」


 目の前の椅子をカタカタとテーブルの下に押し込んでから、司くん、カウンターの内側に回る。

 そうしたらドアの向こうから莫さんが出てきた。

 お京さんは、さっと莫さんのところに走り寄ると、勢い込んで言った。


「ああ、莫、相談があるの。この子達を預かってくれるところを探してるのよ」


 怪訝そうな顔でお京さんのその言葉を聞いて、莫さん、椅子に座っているヒロくんとその脇に立ったままのかおりちゃんを見る。


「カノンの裕希(ひろき)くんじゃないか? どうしたんだい一体?」


 目を閉じてぐったりしていたヒロくん──裕希(ひろき)くんは、少し身を起こして莫さんを見て、軽く頭を下げた。


「お騒がせしてすいません」

「この子、手首を切ったのよ」


 横からお京さんが言った。

 裕希くん、左の手首をさっとテーブルの下に隠して首を振る。


「いや、俺、ちょっと酔ってただけなんです。酔ってわけがわからなくなって衝動的にやっちゃったみたいで……少し休んだら帰りますから」

「何言ってんの。さっき病院で待ってる間に、かおりちゃんから聞いたのよ。あんた、暴力振るわれてるんですってね」


 お京さんの言葉に、裕希くんは答えない。


「帰っちゃダメよ。帰ったらまたあんた、殴られっぱなしになるだけだわ」


 裕希くんはのろのろと首を振った。


「国原さん……怒るとほんとうに怖いんです。何するかわからなくて……」

「だからね、逃げ出して、あいつの目の届かないところに隠れるのよ」

「でも……帰らないと、お店で留守番してるサトミちゃんに迷惑かかるから……」

「さっちゃんには、カレシにお店まで来てもらって、閉店まで一緒についててもらうように電話したわ。幸いきょうは日曜だから、カレも仕事休みだって。お客さんや関係のない人がいるときは、あいつも本性をあらわさないからね」

「でも……きょうはよくても、明日があるし……」

「明日はカノンは定休日よ」

「あさっても、その次も……。もし、このことでサトミちゃんまで困った立場に立たされることになったら……かおりさんだって、今度また俺と一緒にいなくなったって思われたら、国原さんどんなに逆上するか……」


 お京さん、1つ溜息をついて莫さんに説明する。


「2階で水音がずっとしてて、止まらないからヘンだなと思って、お店の女の子の1人が見に上がったんですって。そうしたら手首を切って、切った腕を浴槽につけたままヒロくん倒れてたのよ。傷は大したことなかったんだけど、そのときヒロくん泥酔してたから、発見が遅れてたらもっと深刻な事態になってたかもしれないわね」

「俺ほんとに酔っていただけなんです。もう2度とこんなことはしませんから」


 恐縮したように身を小さくして、裕希くんが言う。


「それより国原さん、8時過ぎには戻ってくるんです。それまでに帰ってないとほんとにマズいことになるから、……もう酔いも醒めたし、やっぱりお店に戻ります」


 それまで黙ってたかおりちゃんが口を開いた。


「だってヒロくん、さっきは帰りたくない、もう帰らないって言ってたじゃない」

「いや、あのときはまだ酔ってて……」

「酔ってないとホンネが言えないんでしょ? ヒロくんは自分さえ我慢してればいいと思ってるかもしれないけど、あたしだって、サトミだってもう、うんざりなんだからね! 長く勤めてたスズキさんとかがやめちゃったのも、オーナーのあんたに対する暴力だの暴言だのに、はたで見ていて耐えられなくなったからなんだからね」

「すいません、かおりさん」


 裕希くんは小さくなって、頭を下げる。


「でもそれ、多分俺がしっかりしてなくて、いろんなことがグダグダになってしまったから……国原さんのせいばっかりってわけじゃなくて……」

「違うでしょ! ヒロくん以前はそんなじゃなかったじゃない。そりゃ、仕事に関しては多少トロいところもあったけど、新人なんだからあんなもんよ。特にうちは美容院と理髪店が一緒になってるから仕事が入り組んでてややこしいし。でもね、この際だからはっきり言わせてもらうけど、オーナーと──国原とつきあいだしてからよ、あんたがそんなになっちゃったのって!」


 消え入りそうな裕希くんの声と反対に、かおりちゃんの声は大きくなる。


「そりゃ、あたしたちだって、見て見ぬふり、悪かったわよ。けど、最初は痴話げんかの類だと思ってたのよ。国原も最初のころは、あんたのことすっごく大事にしてたように見えたし。でもね、あの男は変よ。大体ね、あたしとのことだって、新しく入った従業員になんて言って吹聴してるか知ってるの? ヒロくんが働きもしないで人の家に居座って、従業員の女の子をつまみ食いしてるって。事実と違うことを平気で言いふらすのよ。あいつが変だって気づかない子たちはみんな、ヒロくんが暴君のようにオーナーを食いものにしてるって信じてる。事実は全く逆なのに。それにね、ヒロくん、あいつのあの執着心は異常よ。とにかく普通じゃないわよあいつは。逆らえば、とにかく暴力なんでしょ? あんた、しまいには殺されるわよ」


 かおりちゃんの言葉に、裕希くんは、黙ってうなだれている。


「きょう、浴室で酔っぱらってるあんたを見つけたとき、服が濡れてたから、サトミと2人で着替えさせたのよ。大したことないっていっても一応失血してたし、身体が冷えると危ないんじゃないかと心配だったから。服の下の、あんたの身体の青あざやたくさんの傷を見て、サトミ、ショックを受けて泣いてたんだからね。あたしだって、一時のことはあっても、ここんところオーナーの暴言とかも少し落ち着いてきてるように見えたから、まさかこんなことになってるなんて考えてもみなかったんだから。外から見える部分にダメージを与えないっていうのはね、あの男は狡猾なのよ。あたしたちから見て、あんたがそんなに深刻な暴力を受けているのを気づかれないようにするために、わざと顔とかは殴らないのよ」


 聞くに堪えないようなショッキングな話題だったから、残った椅子を整えたあと、あたし、こそーっと厨房に回る。司くんはサイフォンを使わずに、どこからか出してきたドリッパーにペーパーを敷いて、ゆっくりとお湯を注いでいるところだった。


「客に出すときは使わないんだけどさ。手間が要るから」


 そう、司くんは小さめの声で説明してくれる。


「繊細な味になるんだって、ドリップ式の方が」

「カップはどれにする?」


 あたしが聞くと、


「後ろの上の棚の、左側のマグでいいだろ」

「ああ、この青い花模様のついたの? 出していい?」

「頼むよ。お京さんも飲むだろうから、3つ用意して」


 コーヒーを3つ、トレイに載せて運んでいくと、うつむいたまま黙りこくっている裕希くんのすぐ横で、かがみこむように頭を下げて、お京さんが小さな声で話しかけていた。


「ヒロくん、あたしもかおりちゃんと同じ意見なの。ひどい言い方だと思うかもしれないけど、オーナーは計算づくだとあたし、思うわ。それにもし、オーナーが本当に逆上して前後の見境がなくなっているだけだとしたら、なおさら距離を置いたほうが冷静になれるきっかけもできるんじゃないかしら。もし彼が勢い余ってヒロくんに大怪我でもさせたら、彼は犯罪者になってしまうし、それって取り返しのつかないことよ」


 裕希くんは首を振って、さっきよりは少しはっきりとした声で答えた。


「違うんです、お京さん。国原さんのせいじゃ……国原さん、もともと気が短いところはあったけど、前はあんなじゃなかったんです。今みたいになったの、俺が喧嘩して飛び出してからで……。俺のこともう信用できないって思うようになったみたいで、この頃はいつもイライラしていて……ずっと、ギクシャクして……だから……殴るとかそういうことより、そのことのほうがいたたまれなくて……」


 裕希くんは途中からまたうつむいて、小さな声になる。


「その……お店ではそれなりに押さえてるから……あの人も……余計に鬱憤溜まるみたいで……」


 溜息をついてお京さん、


「誰か……誰でもいいから、相談すればよかったのよ……って、相談できる人がいなかったから、思いつめてしまったのよねえ」

「相談……かおりさんに相談してたから、かおりさんまで国原さんに睨まれるようになっちゃって……人に言うと、その人を巻き込んでしまうから……でも、思いつめたとか、ほんとにそんなんじゃないんです。ただ、きょう非番だったから棚のウイスキー飲んでただけで……それで気がついたら、なんかまた迷惑かけちゃってて……俺、本当に悪かったと思ってます。だから……」


 言葉につまる裕希くんに向かって、お京さんは畳み掛けるように言った。


「なにいってんのヒロくん。そんな状況でおかしくならないわけないじゃない。ヒロくんは悪くないわよ。悪いのはオーナー。あいつが諸悪の根源なんだから」


 お京さんにそう言われて裕希くん、一瞬何か言いたげなそぶりを見せたけど、お京さんはやっぱりかなり早口で、言いたいことを矢継ぎ早にしゃべり続ける。


「とはいえ、あたしも悪かったわ。こっちに帰ってきてすぐ顔を出してればよかったのよ。お店に戻る戻らないは別の話としてさ。そうすれば少しくらいは相談に乗ってあげられてたかもしれないのにねえ」


 それからお京さん、振り返って莫さんを見上げる。


「ねえ、莫、あたしの知り合いはどうしたってオーナーの知っている連中が多いの。どこか預かってもらえる当てはないかしら?」

「そうだな、とりあえず、山岡にでも相談してみるか」


 そう言ったあと、莫さんはふと思いついた様子で、


「そういえば京平、医者にその傷は見せたのか? 暴力を振るわれてついた傷のことだが……」


 聞かれてお京さんは、首を振る。


「手首の傷を見せて、化膿止めをもらってきただけよ」

「身体の傷も、医師に確認してもらって、診断書を書いてもらっておいたほうがいい。それと念のために写真も撮っておいたほうがいいね」


 写真と聞いて、裕希くん、びくりとおびえた表情で顔を上げる。


「あの、俺、別に訴える気とか、まったくありませんから……」

「彼が君に対してどう出るかはわからないが、用心しておくに越したことはない。なりふり構わず君を取り返そうとしてくることも考えられるからね。タガが外れてしまって前後の見境がなくなった人間ほど怖いものはないよ。これは極端な場合だが──例えばお店の大事な証書か何かを持ち出しただとか、君に身の覚えのない濡れ衣を着せてでも、君を手放すまいとするかもしれないね」


 裕希くんは、テーブルに置いた右手のこぶしをぎゅっと力をこめて握った。微かに肩が震えている。


「俺……やっぱり今、帰った方がいいかも……どこに逃げても、隠れても、国原さん、きっと追いかけてきて連れ戻しに来ます。そうしたら、かくまってくれた人にも迷惑かけるし……」

「ダメよ。それだけは絶対ダメ」


 裕希くんの言葉を遮るように、お京さんが大きな声を出す。


「とにかく今のあんたはにはね、休養が必要なの。安全な場所で安静にしていなきゃ。そういう心配事は今は考えなくていいの。少し時間をおいて、回復してから考えればいいことよ。ねっ」


 そういって覗き込むお京さん。うつむいたままの裕希くんの、包帯を巻いていない方の手を取って、ぶんぶんと振った。


「ほら、ほらあ、ハイっていいなさいよ。元同僚のよしみでしょ。できる限りのことはして、助けてあげるからねっ」

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