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BECAUSE YOU ALWAYS STAND BY ME  作者: 古蔦瑠璃
第二章 日曜日
10/63

10 ヘルメットと千鶴さん(1)

 ひんやりとした空気は、バイクのスピードが上がるにつれ、冷たい風になる。

 7分袖のシャツの上に薄手の綿のニットしか着てなかったあたしに、司くんは上着を貸してくれた。フルジップのファスナーを一番上まで引き上げて、長めの袖から指先だけがちょっぴり出た状態で、司くんの背中にぴったりくっついて、それでも結構寒い。

 バイクはヤマハの中型。排気量は400ccなんだって。見た目はすごく大きくて重そうで、最初見たときは700ccぐらいかなと思ったけど。


 出発前にちょっと寄っていくところがあるといって、司くん、ごちゃごちゃとした狭い路地を通り抜けて、とある大きな病院の敷地に入っていった。外来患者用の駐車場を突っ切って、敷地の奥まったところにあるワンルームマンションみたいな建物の前で、バイクを停める。

 あたし、シートから降りて、司くんの貸してくれたフルフェイスのヘルメットを外した。


「ちょっと待っててくれよな。メットもう1個調達してくっから」


 そういうと、司くんはマンションの階段を上っていった。

 上の方で、何かごそごそ話をしている気配がしたかと思うと、しばらくして司くん、派手な赤い色のヘルメットを小脇に抱えて戻ってくる。と思ったら、司くんに続いて女の人が階段を下りてきた。年のころは20代半ばか後半ぐらいで、グレイのトレーナーに短パンというごく地味な格好をしている。髪はショートカットで、色白な顔には化粧っ気がまるでない。女性にしてはすらりと背が高くて、司くんとほとんど身長が変わらないぐらい。

 司くん、階段の途中で振り向いて、女の人に言った。


「いいってもう、ついてくるなよ」

「あら、だって一目見たいじゃない、司がタンデムで走りたいって子をさ」


 司くんがしかめっ面で、追い払うようなしぐさで手を振ったけれども、女の人は全く気にするようすもなく、あたしの方にひらひらと手を振りながら階段の下までついてきて、気さくな調子で話しかけてきた。


「こんにちはぁ。司はしっかり安全運転してる?」

「え? は、はい?」


 とっさに質問の意味を受け取りそこねたあたしに代わって、司くんが答える。


「当たり前だろ、俺はいつだって模範運転だぜ」

「たった今ノーヘルで運転してた子が何言ってんのよ」

「ちょっとの距離だよ。その先に図書館あるだろ。そっからだから」

「ちょっとの距離で捕まったら泣くに泣けないでしょ。最近、取り締まり厳しいんだから気をつけなきゃ。司、あんた、気を引き締めて運転なさいよ。大事なよそ様のお嬢さんを乗っけてくんだからね」

「おばさんくせー言い方すんなよな。齢がバレるじゃんよ。それよりもう戻って寝てれば。夜勤明けで疲れてるんだろ?」

「紹介してくれないの?」


 司くんの憎まれ口に女の人は気を悪くした様子もなく、うふふと笑う。


「かーわいい子。ちょっと安心しちゃったな。怪しげな友人ばっかとつきあってるせいで気が気じゃないって、以前パパがこぼしてたからね」

「その怪しげな友人の1人にこれから会いに行くんだけどな」


 司くん、悪びれる様子もなくそう答えた。


「今から一緒にメシ食うの」

「小宮山さんと?」

「いや、莫さんはこの時間仕事。お京さんの方」

「お京さんって、ニューハーフさんとかいう? インドに行ってるっていってなかったっけ?」

「お京さんはニューハーフじゃないよ。……確認したことはないけど、多分さ」


 あまり自信なさそうに、司くんはそう言い加えた。


「インドからは、この間帰って来たばっかなんだ」

「だって司、いつか言ってなかったっけ? 女の人の格好をしてる男の人だって」

「いや、ちづちゃん、ニューハーフっていうのはね……えーと……」


 そこで司くんは口ごもり、なぜだかちらりとあたしを見た。


「つまり、工事してる人だとかのことでさ。いや、これから工事予定の人のことも、そういうかも知らねーけど、つまり……」

「あ、なるほどね。ニューハーフっていうのは女性になる手術を受けた人のことを言うんだ」

「手術っていうか、要するにお京さんは趣味で女装してるだけだから……女の人になりたいっていうのと微妙に違う気がする。そのへん俺も、うまく説明できねーや」

「ふーん、いろいろとフクザツなのね」

「まあな」


 ちづちゃんの言葉に、司くんはちょっと困惑したような顔で笑った。

 ちづちゃん……この前司くんが言ってた、義理のお母さんのことだよね?

 若いとは聞いてたけど、それにしてもホントにうんと若い。司くんとあんまり、齢、変わらないみたいに見える。夜勤明けとか言ってたから、看護師さんなのかな? でもどうして独身寮みたいなとこにいるんだろう。

 ところで、ニューハーフって言葉、聞いたことはあったけど、手術で女の人になった人のことをいうっていうのは、こうして聞くまであたしもはっきりとは知らなかった。そういえばお京さんは自分のことをトランスジェンダーだって言ってたけど、トランスジェンダーっていうのも、言葉だけ聞いてもそれがどういった人のことをあらわしているのかいまひとつよくわかんない。

 トランスジェンダーというのは心を表す言い方で、ニューハーフというのは身体的な特徴についてのことをあらわすのかな? ひょっとして、さっき図書館で見てた辞書引けばわかったのかな? あたしもなんだかこの間から、いろいろな言葉、覚えるな。


「で、紹介してよ彼女。大学の友達?」


 ぼんやり考え事してたら、いきなりそう言われてあたし、びっくりして思わすちづちゃんを見上げた。中学生や小学生に間違えられることがあっても、大学生?って聞かれたことはこれまで一度もなかったから。

 司くんも、少しあきれたような声で、


「ちづちゃん、彼女大学生に見えるか?」

「ううん、全然。でも女性の齢は見ただけじゃわからないものでしょ」

「コーコーセーだよ。高校2年生。鞠乃ちゃんっていうの」

「文月鞠乃ですっ」


 あたし、慌てて頭を下げた。


「司くんのお母さんですよね?」

「あら、なんだ、知ってたの」


 ちづちゃんは、司くんを見て言った。


「なんだー、つまんないのー。驚かせたかったのに。『えー?お母さんなんですかー?若ーい、お姉さんかと思っちゃったー』なんて言われて悦に入ろうかと思ってたのにな」

「あのなー、ちづちゃん」


 司くんはげっそりした様子で、


「驚くも何も、そもそもあんたの齢で俺を生むのは無理があるだろーが」

「そーお? 一応13歳違うんだから、物理的には不可能じゃなかったと思うんだけどな。まあいいわ、はじめまして、鞠乃ちゃん。私、司の母親の千鶴です。司ってばヘンなやつだけど、どうぞよろしくね」


 ちづちゃん──千鶴さんは、あたしの顔を覗き込むようにして、にっこりと笑いかけてきた。


「あ、は、はいっ、はじめまして!」


 千鶴さんは色が白くて、すっぴんなんだけど頬なんかばら色で、笑った顔はなんていうか華があって、なんだかこう、あたしは覗き込まれた感じにデジャヴュを感じる。なんかこの感じ、えーと、迫力があって、気圧されるの。


 お京さん?


 そしてあたし、司くんがお京さんに最初に会ったときママみたいだって言ったとかいう話を思い出す。ママみたいって、母親っぽいって意味じゃなくて、千鶴さんに似てるって意味だったの? 司くんと13歳違いってことは、30歳は過ぎてるってことだよね。でも、とてもそんな風に見えない。学生っていっても通るくらい。

 ほけーっと見とれてるあたしに、千鶴さんはにっこり笑いかけてくる。


「鞠乃ちゃんはバイクには乗らないの?」

「え? あ、はい、いえ、あたし、免許持ってないですから」

「今度のお休みに、司と一緒にツーリングに行かない? あたしの後ろに乗っけたげるからさ。司のバイクより、あたしのの方が大きいから安定してるよ」

「んなヒマあったら、家に帰ってこいよ」

「あら、あたしは家には帰らないわよ。だってあの人とは別れたんですもの」


 司くんの言葉に、さらりとした調子で千鶴さんはそう返した。


「へ?」


 司くんの目が丸くなる。


「ちづちゃん、それ、悪い冗談」

「冗談だと思う?」

「冗談だろ?」


 千鶴さんはにっこり笑って首を振った。


「ほんとよ」

「なんで? いつ? どうして?」

「籍を抜いたのはもうずいぶん前になるかな」

「なるかなって──だから、それ、いつだよ」

「あんたがまだ中学生の頃。しょっちゅう家出して、小宮山さんのうちに逃げ込んでた頃よ」

「聞いてねえ」

「言わなかったんだもの。司が大学入ったら言おうかって、あの人と相談してたんだけど、あんたってば下宿するなり部活だのバイトだのが忙しいとかで、家にも帰らないしあたしのところにもちっとも顔を出さないし……」

「電話はしてただろ。電話で言えよ。……てか、ほんっとに冗談だろ? 担ぐ気じゃないの?」

「いまさら改めて言うって感じでもなかったのよ。一番ごたごたしてた頃からもう何年もたっちゃったし。その間それなりにパパともうまくやってきたわけだしさ。会ったら言おうとは思ってたんだけど。下宿したら近くだから遊びに来なさいよって言ってたのに、司ってば4月からの半年間、一度でもここに顔を出したことがあった? それに電話っていっても大抵用件だけ言って切ってしまうじゃないの」


 司くんは不意にその場に──マンションの脇の植え込みの囲いに腰を下ろして、千鶴さんを見上げる。


「ウソだろ、ちづちゃん。……それ、ショックだよ。あんたが親父のカミさんじゃなくなったら、俺とはもう関係ないじゃん」

「あっ、そういう風に考えるわけ?」


 千鶴さんは腰に手を当ててちょっと顔をしかめてみせた。


「何年あんたの母親をやってきたと思うの? 血の繋がりがないからってあっさり他人ですって言わないでくれる?」

「親父は……納得してんの?」

「ん、当初からの約束だったのよ。結婚したときにね、あの人があることを守れなかったら離婚するって、決めてたの」

「あることって?」

「それ話すと長くなる。これから待ち合わせしてるんでしょ?」

「ここまで聞いて、続きは今度時間のあるときにってのはねーだろ?」


 司くんは首を振って、溜息をついた。


「俺さ、ここの病院でちづちゃんが研修医やるのが決まったとき、跡継ぎにならない俺の代わりにちづちゃんが親父の病院を継ぐことにしたのかな、なんて勝手に思ってたんだけどさ」

「あのね、司」


 千鶴さんは膝を曲げて前かがみになって、植え込みに座り込んだ司くんの顔を覗き込んだ。


「誤解しないでほしいんだけど、籍を抜いてるからって、ほんとはあの人のことを嫌いになったわけでも、愛想を尽かしたわけでもなんでもないのよ。ただ、それはあたしなりのけじめだったの。今はあたしも仕事でいっぱいいっぱいだし、パパとのとのことを早急にどうこうする気はないのだけど、何年かたって、お互いにまだ1人だったら、ひょっとしたらもう一度一緒になることもあるかもしれない。それは、わかんないけどね。あんたのパパ、ハンサムで人当たりがいいし、結構モテるからさ」


 それから千鶴さんは振り向いて、あたしに笑いかける。


「ごめんなさいね、鞠乃ちゃん。お待たせしちゃって」


 あたし、慌てて首を振った。


「ほら、司ももう行きなさいよ。女の子待たせてるんじゃないわよ」


 けれども司くんは立ち上がろうとはせずに、千鶴さんを見上げて聞いた。


「1つだけいいかな? 離婚の原因って……その……親父の暴力?」


 千鶴さん、振り返って司くんの方を見る。


「もしかして、親父、ちづちゃんにも暴力振るってた?」

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