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 ちらちらと視線を向けてきた令息が、弾かれたように顔を背け雑踏へと掻き消える。大方、オブライエン公爵と繋がりを持とうとしたのだろうが、残念ながら一筋縄でいくような相手ではない。


「閣下が舞踏会にいらっしゃるなんて驚きましたわ。私が言えることではございませんけれど」


 会場中の視線と二人の間に流れる気まずい空気とを感じながら、口元だけで微笑んでソフィーは言った。作り笑いが酷く難しくなっていた。


 ソフィーとしても理由は分かっている。ダンス中の会話以来、胸の中で何かもやもやと渦巻く混乱した感情があって、その(もや)が心から笑うことを難しくさせているのである。しかし靄の正体が掴めないので解決には至らない。そこで別のことを考えようと、ソフィーは自分が壁際にいるという事実に感謝してみた。ダンスフロアが遠いので命を弄ぶ演出を見ないで済んでいるのは、精神衛生上ありがたいことだ。


「今年は、招待状が届く限りは参加するよう努めています。踊ったのは今日が初めてですが」


 オブライエン公爵が微笑んで答える。


「それにしては落ち着いてらっしゃいましたね。流石ですわ」

「顔に出にくいというだけです」

「緊張してらしたのですか?」

「ええ、とても。顔に出ない質で本当に良かった。眼鏡のお陰でもありますが」


 ソフィーはオブライエン公爵がかけている真っ黒な眼鏡を眺めた。無粋な眼鏡である。この向こうにあの美しい眼が象嵌(ぞうがん)されていることを思うと不思議だった。


「素朴な疑問なのですけれど」

「どうぞ」

「それほど暗い色のレンズになさるのは何故ですの? 今日は何だか……以前お会いしたときより色が濃い気がいたしますわ」

「良くお気付きになりましたね」


 呟くと、オブライエン公爵は桜色の唇を歪めた。


「私は光が苦手なのです。それに此処は……他より煌びやかでしょう。裸眼では眩しくてならないのです」


 そう言われて、ソフィーは豪奢なシャンデリアの煌めきを眺めた。だが、オブライエン公爵のいうように眩しいとは感じなかった。見事なものだと思うばかりである。


 これが眩しいのか、とシャンデリアを見ている内に、ソフィーはふとアルビノのことを思い出した。恐らくこの世界ではまだ明らかになっていない考え方である。遺伝子学どころか小学校の「理科」で(つまず)いたクチなので、安易に判断することは避けてきたが、どうにもオブライエン公爵にはアルビノの特徴が当て嵌まる気がした。眼鏡のレンズは、身体が持っていない、あるいは持ち合わせの少ないメラニン色素の代わりを務めているのだろうか。


「確かに煌びやかですわね」


 同意を示し、ソフィーはふうと息をついた。


「却って見づらくなることはございませんの?」

「それほど酷くはないと思いますが、色は確かに分かりづらいですね」


 オブライエン公爵が頷き、それから頼んだ。


「今日は何色のドレスをお召しなのか、教えていただけませんか」

「オーキッドですわ、閣下。赤みを帯びた淡い紫色です」


 黒いレンズの向こうから視線を感じながらソフィーは答えた。


「なるほど……。きっと、さぞお似合いなのでしょうね」


 どう答えるべきか分からず、ソフィーは曖昧に微笑んだ。


「色を確かめることができなくて残念ですが、そのドレスの形も良くお似合いです」

「お褒めに預かり光栄ですわ」

「この程度では誉めたとは言えません。もっと賛辞の言葉を贈りたいのですが……歯痒いものですね」

「充分ですわ」

「まさか。足りる筈がありませんよ。貴女の崇拝者たちの中で、私が最も新参者で、最もいわく付きだという自覚はあります」


 ソフィーは目を細めて笑った。堪えるのも限界だった。オブライエン公爵は大袈裟である。


「崇拝者なんていませんわ。それに閣下がいわく付きだなんて、変なことを仰るのですね」

「では目の前にいる私だけでも崇拝者の数に入れてください。ところでその意見はかなり少数派ですよ、フロレンス嬢」


 薄いグラスが傾けられて、レモネードが桜色の唇の間へと流れ込む。ダンスホールの隅の、装飾の影になって照明がやや届きにくい場所にいても、白い横顔は浮き立つようだった。ソフィーはオブライエン公爵の素顔を見られないのを残念に思った。公爵の類稀なる美貌は、悪趣味なダンスフロアの演出の口直しになった筈である。


「私が進む先がどうなるかご覧になったでしょう」

「ええ」

「あれが多数派の意見ですよ」


 ソフィーは大海を割るような光景を思い出し、忍び笑いした。ふんぞり返っている貴族たちの好奇心に駆られた顔も、その顔の中で畏怖(いふ)から見開かれた目も、かなり見ものだった。


「閣下といれば人混みは怖くありませんわね」


 少しの沈黙の後、オブライエン公爵はくっくっと笑った。


「お気に召したようで何よりです。貴女には新鮮だったでしょう」

「ええ、とても」

「お望みならいつでもお見せしますよ」


 ソフィーはオブライエン公爵を見上げた。黒い眼鏡をじっと眺める。この無粋な覆いについては聞きたいことが沢山あった。それらを飲み込んで、手に持っているグラスに視線を戻す。これ以上の質問は、どう考えても踏み込み過ぎである。


「ところで、私もお聞きしたいことがあるのですが」

「何でしょう」

「チョウを生かそうとしたのは何故ですか? あの虫を嫌っておいでなのでしょう」


 黒い眼鏡が改めて邪魔である。ソフィーにはオブライエン公爵の表情が掴めない。真意を推し量ることもできない。


 ただ、忘れかけていた靄をまた自覚した。


「苦手だからって……流石に、死んで欲しいとまでは思いませんわ」

「逃げ出したいほど苦手でもですか」

「チョウは悪くないでしょう」


 寧ろ被害者だ。ソフィーはおぞましいダンスフロアの演出を内心で批判した。主催者を批判している内、楽しんでいるらしい貴族の面々にも嫌悪を覚えた。だが、自分も楽しんでいたことを思い出して羞恥に襲われる。


「命を奪う理由がございませんわ。あくまで私の問題ですもの」

「理由があったとしたら? 虫を殺すことは誰にでもあるでしょう」

「チョウを? 確かに……もし、病気を媒介したり、毒を持っていたりするというなら、必要な対応を取ることになりますわね」


 ソフィーはダンスフロアの方に顔を向けた。遠いので良く見えないが、貴族たちの反応からいって演出はまだ続いているとみえる。


「死なせるということですね」

「それは最終手段です。まずはできる限り遠ざけますわ」

「いつ近付いてくるか分からないのに、平気ですか?」

「認識しなければ平気ですわ。共存することもできるでしょう」

「お優しいのですね」


 ぼそりとオブライエン公爵が言う。肩をすくめてソフィーは笑った。もし本当に優しければ、今頃は主催者に抗議している筈だ。


「自分のためですわ。生き物を死なせるなんて目覚めが悪いでしょう」

「面白い意見ですね」


 桜色の唇が弧を描いた。


「しかし、チョウのために安眠を脅かされるのは貴女くらいでしょう。私の見る限り、そんな人間はいなさそうだ……。フロレンス嬢。チョウの死体の上で踊っていられる人間は、果たして優しいでしょうか? 私にはそうは思えませんが」


 淡々とした語調の中に、理詰めで賛成をもぎ取ろうとしている気配をソフィーは感じた。


「その一点で優しさの有無を判断することはできませんわ」


 反論の声が力ない。ソフィーは息を吐いた。オブライエン公爵の意見に賛成だと思われたくない。


「誰しも良い面と悪い面を持っているものですし、それだって変化していきますもの」

「貴女に悪い面があるとは思えませんが」

「隠しておりますもの」


 冗談めかして答え、ソフィーはダンスホールの出入り口をふと見た。そこに見慣れた姿を見つける。ヒューバートだ。


「閣下、失礼いたしますわ。明後日の展覧会のこと、楽しみにしております。今日は楽しい時間をありがとうございました」


 オブライエン公爵は面食らったようだったが、こちらへ向かってくるヒューバートに気付いて頷いた。


「こちらこそ。貴女にお会いできて嬉しかったです。来るべきか迷いましたが……来た甲斐がありました」


 今度はソフィーが面食らう番だった。だが何とか微笑んで背を向け、兄の方へ向かった。


「オブライエン公爵がいらっしゃるとはね」


 合流するなりヒューバートが呟く。


「何処に隠れてたの、お兄様」

「籠城してたんだ。クリスはもう帰ったよ」

「良いわね」


 自分でも聞きかねるほどの小声でソフィーは呟いた。少なくともクリスは、死にゆく花も蝶も見ていないということになる。


「疲れたろう。すまなかったね。先に帰って構わないと言っておくべきだった」

「そんなこと良いのよ。お兄様こそ疲れたでしょう」


 ソフィーは慌てて首を横に振った。だが、疲れを心配されたことで却って疲労感がのしかかる。笑おうとするも頬の辺りが引き攣った。


「父上たちと合流してから帰ろう。もう少し歩けるかい?」

「ええ」


 ヒューバートに誤魔化しが効かなかったことを悟り、ソフィーは大人しく頷いた。


 オルドリッチ伯爵家の四人はダンスホールで合流して、舞踏会を後にした。

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