魔性の焔 9
そこは村の横を流れる河だった。誰もが生活の為に利用し、誰もが一日数回は目にする河に、娘は浮いていた。それを見つけたのは、洗濯をしようとやってきた女だった。女が悲鳴を上げながら、娘の名前を何度も呼ぶ。けれど娘はピクリとも動かない。
悲鳴を聞きつけ、女の夫が駆けつけた。慌てて娘を河から上げると、女は顔を白くして気を失った。娘は身に何も着けておらず、血の気が引いた真白い身体には、獣よりも大きい何かに喰い千切られた傷跡をそこかしこに残していた。
男は娘の家族に見せぬように、直ぐ布で娘の亡骸を覆う。騒ぎを聞きつけた他の者に、妻を頼み、そのまま村長の屋敷へ駆け込んだ。
思っていたとおり、村長の怒りは頂点に達し、亡骸を持ってきた男にも容赦なく当り散らす。そして直ぐに村の人間を広間に集め、娘の亡骸を晒し、娘の婚約者だった男を呼び出した。息を吐く暇もなく、男の首に村長の剣が伸びた。
幸か不幸か、サエはその場に居なかった。
朝日が昇り、目を覚ましたキノギは今までよりも顔色が悪かった。野宿は慣れていたが、こんなにも具合を悪くしたのは初めてで、ヤトも蒼白になって、キノギの熱を測ったり、余っていた衣を被せたり、果ては社に火をかけようとして、キノギに一喝される。
「何か、悪いものを食べさせてしまったでしょうか」
キノギは無言。そう、どうでもいい時は無言なのだ。
「キノギ様、吐き気、腹痛は御座いますか?頭痛は?手足の痺れなど?」
キノギは目を閉じる。
「眩暈が酷いのですか?なら、横になって」
「喧しい。この日ばかり、お前の鈍さが羨ましい」
「ぐっ……申し訳御座いません」
ふっと軽く息を吐き、水、と小さく呟いた。キノギより先に起きて、朝食の為に沸かしていた湯を椀に入れ渡すと、形のいい唇が少し尖り、ふうっと息を吹きかけた。
「どうやら、亡者共は不幸自慢をしたいらしい」
「と、申しますと」
「夢見が悪かった。あちら側と間接とはいえ関わる身としては仕方がないことだが、苦しいものだ……」
「キノギ様。……俺の太刀では意味を成しませんか」
キノギの片眉が上がる。
「害の無い者に向けてはならん」
「貴女に害がお有りでしょう」
キノギは口を開きかけて、閉じて、椀に口を付けた。
「亡者共にお前の太刀は通用しない」
「貴女を守る結界を作れます」
「……今よりも、この先のために体力を残せ。そうでなくては困る」
「ご安心ください。後にも先にも、貴女のためならヘマしません」
「どうでもいい」
鋭くあっさり言われると、頭を抱えて転げまわりたくなる。
「キノギ様、俺のこと嫌いですよねー」
「お前の能力は重宝している」
「ありがたーいお言葉です」
嬉しい言葉だが、拗ねる方が勝った。乾燥野菜と乾燥肉を湯に入れて、柔らかくなるまで、黙々と鍋をかき回した。
「あと七日以上あるとは面倒だな」
「あちらも、動きは見せませんね。律儀な」
「他の所の様子は変わりなしか」
「港の方で、拐かしが何件か位ですね」
お湯を飲み終わったのか、キノギは椀を膝の上に置いた。ヤトが手を出すと、椀を渡す。
「兵を呼ぶか」
「浅はかな!本当にご気分が優れないのですね……!!今日は何もしてはいけません。貴女がなんと言おうと、今日は俺が結界を張ります。邪魔をするなら押し倒しますからね、覚悟して邪魔をしてください」
「お前のそういう正直なところは大嫌いだ」
キノギは立ち上がり、社から少し離れると、顔を上に向けた。
「……おい男!!降りろ!!お前の夢を聞かせろ!」
すると、木の上から荷物を抱えた男が滑り降りてきた。
「なんとなく、俺に気付いていたようには思ったが」
ヤトがキノギの横に立つと、少しだけ口を尖らせた。
「俺よりも美丈夫……」
「コッチのちびのが綺麗な顔してる」
「キノギ様は、当然の美しさで御座います」
「喧しい」
静寂が通り過ぎる。
「あー……夢、ね。夢。忘れた」
「そんなはずは無い。本来なら、私ではなくお前に全て掛かるように仕掛けたというのに」
「さらっと言ったな」
「キノギ様には不要な負担が掛かっては、命に危険が及ぶのです」
「お前は」
「俺はキノギ様の護衛です。護衛が使えなかったら護衛ではありません」
青年は大きく舌打ちをした。
「女と男の死の間際を見ただろう」
「……女だ。女共だけだ」
キノギは指を口元に当てた。すぐに小さくぶつぶつと何かを言い始める
「おい、コイツの頭平気か?」
「貴方と俺と比べ物にならないくらい秀才でいらっしゃいます」
ああそうか、と青年は吐き捨てる。
「ああ、むしゃくしゃする」
「俺も、キノギ様が休んで頂かない所為で気が気じゃありません。落ち着きません」
キノギはそんな二人に構わず、目を閉じて、まだ何かを呟き続けている。
「男」
「カイだ」
「なら、カイ。鬼共の顔は確認できたな」
それを聞いて、目を丸めた。だが直ぐに喉を鳴らして笑い始める。
「お前、変な奴」
「キノギ様を侮辱するのであれば、容赦しません」
ヤトが微かに殺気立つとキノギが顔を上げる。
「お前達の私闘は許す。兵が呼べないのであれば、頼るのはお前達だけだ。ほどほどに腕を慣らせ」
カイが怪訝そうに顔を歪める。
「言ってくれる」
「伊達にキノギ様に認められている訳では御座いませんので。俺は別に」
カイが呆れたように肩を落とす。
「本当、変な奴等だ」
少し間を空いてキノギが、「娘か」と気付いたように呟いた。