第2話 近づく距離と懐かしさ
バーを出たあとも。
少しだけ、現実感がなかった。
(……あきら先輩)
頭の中で、何度か名前を繰り返す。
懐かしさが、遅れてくる。
あの頃、遠くから見ていた人。
話すことなんて、ほとんどなかったのに。
(……なんで)
こんなふうに、普通に話しているんだろう。
夜の空気は、少しだけ湿っていた。
初夏の匂い。
歩きながら、ふと立ち止まる。
(……現実、だよね)
夢じゃない。
ちゃんと、会った。
話した。
それだけなのに。
どこか、特別な出来事のように感じる。
ポケットの中のスマートフォンが、わずかに震える。
(……?)
取り出す。
画面を見る。
知らない番号。
一瞬、迷う。
でも、すぐに開く。
メッセージ。
「あきらです。さっきはありがとな」
短い一文。
(……早い)
少しだけ、驚く。
バーを出て、まだそんなに時間は経っていない。
(……こういうところ)
昔の印象と、少し違う。
もっと遠い人だと思っていた。
でも今は。
思ったよりも、距離が近い。
「あのあと大丈夫だったか?」
続けて届く。
自然な気遣い。
あすかは、少しだけ考える。
どう返すか。
(……普通でいい)
「こちらこそ、久しぶりに話せて楽しかったです」
送る。
少しだけ、間が空く。
既読。
そして、すぐに返ってくる。
「俺も楽しかった」
「今度、どっか行かない?」
(……早い)
思わず、小さく息を吐く。
でも。
嫌ではない。
むしろ――
(……分かりやすい)
そう思う。
迷いがない。
曖昧でもない。
それが、少し新鮮だった。
(……どうしよう)
一瞬だけ、考える。
でも。
もう答えは、決まっていた。
「はい、ぜひ」
送る。
すぐに、既読がつく。
「よかった」
「休みいつ?」
テンポが早い。
会話が途切れない。
あすかは、少しだけ笑う。
(……こんな感じなんだ)
なおきとは、全然違う。
あのときは。
距離を測りながら。
ゆっくり進んでいた。
でも今回は。
最初から、近い。
(……いいのかな)
ほんの少しだけ、不安がよぎる。
でも。
それ以上に。
懐かしさと、期待がある。
「来週の土日なら大丈夫です」
送る。
「じゃあ土曜どう?」
「昼から空いてる?」
具体的。
迷いがない。
あすかは、少しだけ息を整える。
(……進むの、早いな)
でも。
止める理由もない。
「空いてます」
送信。
すぐに返事。
「じゃあ決まり」
「迎え行くわ」
(……迎え)
少しだけ驚く。
でも。
自然に受け入れている自分がいる。
「ありがとうございます」
短く返す。
やり取りが、止まる。
静かな夜。
スマートフォンの画面が、暗くなる。
(……決まった)
次に会う約束。
こんなにあっさり。
でも――
嫌じゃない。
むしろ。
(……楽しみ)
その気持ちが、少しだけある。
部屋に帰る。
靴を脱ぐ。
電気をつける。
いつもの空間。
でも。
少しだけ違って見える。
ベッドに座る。
スマートフォンをもう一度見る。
さっきのやり取り。
短い会話。
でも。
確かに、何かが始まっている。
(……あきら先輩)
名前を、もう一度思う。
あの頃、遠かった人。
憧れていた人。
その人と。
今、約束をしている。
(……不思議)
時間が、繋がったような感覚。
過去と現在が、重なっている。
でも――
その中に。
ほんの少しだけ。
引っかかるものがある。
(……なんだろう)
まだ、言葉にはできない。
小さな違和感。
でも。
今は、それよりも。
「楽しみ」の方が大きい。
あすかは、スマートフォンを置く。
部屋の明かりが、静かに広がる。
初夏の夜。
止まっていた時間が、少しだけ動き出す。
それが、どこに向かうのかは。
まだ、分からないまま。




