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第六十二話:王太后の「勅命」と、消えゆく安息

 穏やかな午後の終わり。王宮へ戻る馬車を前に、王太后はカイトの手を優しく、しかし離さない強い意志を込めて握った。

「カイト、決めたわ。私、これから週に一度はここへ通うことにするわね」

 その場にいた全員の動きが止まった。カイトは注ごうとしていた最後の一杯を危うくこぼしそうになり、オズワルドは思わず「……は?」と、およそ武人らしからぬ間の抜けた声を漏らす。

「お、王太后様。お気持ちはありがたいですが、王宮からわざわざ毎週お越しいただくのは、お体に障るのでは……」

「あら、カイト。これは『治療』よ。貴方の施術を受け、この庭でアウラたちが遊ぶ姿を眺め、あの『ぷりん』を食す。これほど健康に良いこと、他にあるかしら?」

 王太后は茶目っ気たっぷりにウィンクした。

「それに、王宮のあの重苦しい空気の中にいるより、ここでマリーとお喋りしている方がよほど血の巡りが良くなるわ。陛下には私から言っておくから、いいわね?」

「……畏まりました。そこまで仰るなら、全力でお迎えいたします」

 カイトは深々と一礼した。逆らえるはずもない、これは事実上の勅命である。


 王太后が満足げに去った後、クラリスがカイトの袖をぎゅっと掴んだ。

「カイト……週に一度って、これから毎週、王宮の護衛たちがこの屋敷を囲むことになりますわよ? 秘密の隠居生活どころか、王室御用達の別荘みたいになってしまいますわ!」

「……そうですね。おまけに、王太后様が来るとなれば、お出しするお菓子のレパートリーも増やさないといけません。プリンだけでは飽きられるでしょうし」

 カイトは遠い目で空を見上げた。平穏な学園生活と隠居の計画が、音を立てて崩れ去っていく。

「旦さん、これは……えらいことになりはったな。王太后様が毎週来るとなれば、屋根裏の仕事も増えるで。王宮のネズミどもがついてくるかもしれんし、わしももうちょい警備を強化せなあかん」

 ランバが影の中から、どこか楽しげに呟く。


 翌週から、グランヴィル侯爵邸は一変した。

 毎週定例の「王太后様の治療日」に向け、カイトは学園の合間を縫って新作の菓子——今度は「シュークリーム」の試作に追われ、クラリスは王太后の「お話し相手」としての教養をマリーから叩き込まれる。

 さらに、人型のルーヴは「王族を迎えるに相応しいメイド」としての精度を極限まで高め、アウラは王太后が来るのを心待ちにするようになる。

「カイト様……私、もう王太后様にお会いしても緊張しなくなりましたわ。慣れとは恐ろしいものですわね」

 三回目くらいの訪問時、クラリスは優雅に茶を飲みながらそう呟いた。

「いい傾向ですよ、お嬢様。……さあ、今日のお菓子は『パンケーキ』です。生クリームをのせて熱々出てきますから、火傷に気をつけてください」

 カイトの平穏は確かに遠のいた。だが、王太后という最強の盾が毎週訪れるこの場所は、今や王宮の刺客すら手を出せない「世界で最も安全な聖域」へと変貌を遂げつつあった。


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