最終ラウンド:未来への提言~21世紀に生きる君たちへ~
(ラウンド3が終わり、スタジオには静かで、しかし濃密な思索の時間が流れている。4人の論客たちは、もはや激しく言葉を交わすことなく、自らが語った国家観、そして他者が語った国家観の重みを、それぞれに噛み締めているようだった。あすかは、その静寂を破るのではなく、そっと寄り添うように、語りかける)
あすか:「皆様、ありがとうございました。皆様の言葉は、それぞれが生きた時代そのものの叫びであり、祈りであったように感じます。…絶対的に正しい国家の形など、ないのかもしれません。あるのは、その時代、その場所で、人々がいかにして生き延び、より良く生きようと格闘したかという、切実な物語だけ…」
(あすかは、ゆっくりと立ち上がり、4人の顔を、そしてカメラの向こうの視聴者を、真っ直ぐに見つめる)
あすか:「では、ひるがえって、現代。グローバル化が進み、一つの価値観では到底語れないこの世界で、私たち21世紀の人間は、一体、どんな国家を目指し、そして、どんな人間であるべきなのでしょうか。…これが、皆様にお伺いする、最後の問いです。これまでの議論の全てを踏まえた、あなたの『結論』として、21世紀に生きる私たちへ、『未来への提言』を、お聞かせください」
(スタジオの照明が、最後のラウンドにふさわしく、荘厳で穏やかな光に変わる。あすかは、まず、全ての議論の礎となった哲学者へと視線を向けた)
あすか:「最初に、アダム・スミス先生。あなたから、お願いいたします」
【未来への提言】
アダム・スミス:「(静かに頷き、これまでの冷静な分析家の表情ではなく、一人の人間として、慈愛に満ちた哲学者の顔で語り始める)…ありがとうございます。まず、申し上げたいのは、21世紀を生きるあなた方が、私の時代とは比べ物にならないほどの『富』を手にしているということです。それは、あなた方の先祖が、時に過ちを犯しながらも、懸命に働き、創意工夫を重ねてきた、偉大な成果です。そのことを、まずは誇りに思うべきでしょう」
(スミスは、そこで一度、言葉を切る)
アダム・スミス:「しかし、その豊かな社会の中で、あなた方は、最も大切なことを見失いつつあるのかもしれない。…私の提言は、ただ一つ。『富の追求と、道徳の両立を、再びその手に取り戻しなさい』ということです」
あすか:「道徳、ですか」
アダム・スミス:「はい。私は、人々が自らの利益を追求することが、社会全体の富に繋がると申しました。それは今でも真実です。しかし、その大前提として、人々が、他者の喜びや悲しみに『共感』する心を持っていることを、私は信じていました。顔の見える共同体の中で、あからさまに他者を出し抜いたり、欺いたりする者には、社会的な制裁が下る。そういう『見えざる規律』があったのです」
(スミスの視線が、少しだけ遠くを見つめる)
アダム・スミス:「しかし、あなた方のグローバル経済は、その『共感』の範囲を、あまりに広げ過ぎてしまった。画面の向こうの、顔も見えぬ人々から、いかにして利益を上げるか。その経済活動が、地球の裏側で、どのような影響を与えるのか。人々は、その想像力を失いつつあるように見える。…もう一度、立ち返ってください。あなたの仕事は、あなたの投資は、あなたの消費は、本当に、誰かを不幸にしていないか。それは、あなたの胸の中にある『公平な観察者』が、是とする行いか。富を求めること自体は、罪ではありません。しかし、道徳なき富の追求は、あなた方自身の魂を、そして社会そのものを、内側から蝕んでいくでしょう。…経済の前に、まず、人であれ。それが、私の最後の願いです」
(哲学の父からの、人間性の回復を願う、静かで、しかし根源的なメッセージ。あすかは深く一礼し、次に、最も厳しい表情で座る、財政の鬼へと向き直った)
あすか:「松方さん。あなたからの、厳しい叱咤をお願いいたします」
松方正義:「(スッと背筋を伸ばし、その瞳には憂いと怒りの色が混じっている。その声は、叱責そのものだった)…叱咤、か。よかろう。単刀直入に言う。『未来からの窃盗を、今すぐやめよ!』…以上じゃ」
(そのあまりに短く、あまりに痛烈な言葉に、スタジオが息をのむ)
あすか:「…未来からの、窃盗…」
松方正義:「そうじゃ!お主らは、今の快適な暮らしのために、湯水のように国のカネを使い、そのツケを、まだ生まれもせぬ未来の子供たちに平気で押し付けておる!それは、子供の貯金箱から、親がカネを盗み出しておるのと同じこと!断じて許されることではない!」
(松方の声が、怒りで震える)
松方正義:「わしは、民に憎まれ、石を投げられても、国家百年の礎を築こうとした。それは、わしが、わが子や孫、そしてその先の世代が、この国で堂々と生きていけることを、心から願っておったからじゃ。未来への責任!それこそが、為政者が片時も忘れてはならぬ、唯一の道徳ではなかったのか!」
(松方は、少しだけ声を和らげ、懇願するように続ける)
松方正義:「…今すぐ、国家の家計簿…バランスシートとやらを、全国民で直視せよ。そして、この膨大な借財を、どうやって返していくのか、真剣に議論せよ。痛みを伴うやもしれん。人気取りの政治家は、耳障りの良いことしか言わぬやもしれん。じゃが、その痛みから目を背ければ、その先に待つのは、国家の破綻…すなわち、お主らが築き上げてきた全ての富が、紙くずと化す未来だけじゃ。…わしのような憎まれ役が、今の日本に、一人でもおることを願う。…頼む。この国を、安易に滅ぼしてはならん…」
(鬼と呼ばれた男の、魂からの悲痛な叫び。それは、未来への責任を問う、愛に満ちた檄だった。重苦しい空気が漂う中、あすかは、その空気を打ち破る希望の光を求めて、次の人物に声をかけた)
あすか:「…ルーズベルト大統領。厳しい未来への警鐘を受け、あなたは、私たちにどんな希望を語ってくださいますか」
フランクリン・ルーズベルト:「(松方の言葉を真正面から受け止め、しかし、彼のトレードマークである、不屈の笑顔を浮かべて)松方サンの怒り、もっともだ。未来への責任は、決して忘れてはならない。…しかし、未来を恐れるあまり、今を生きる我々が、行動を止めてしまっては、それこそ本末転倒だ。未来とは、何もしなければ、ただ暗闇が続くだけなのだからね」
(FDRは、車椅子の上から、力強く語りかける)
フランクリン・ルーズベルト:「私の提言は、私が大恐慌の闇の中で叫んだ言葉と、何も変わらない。『行動を恐れるな!まず、何かを試してみることだ!』…君たちの時代は、我々の時代よりも、はるかに困難で、複雑な課題に満ちている。気候変動、新しい疫病、そして国家を超えた貧困…。これらの巨大な敵は、もはや一国の政府だけでは到底太刀打ちできないだろう」
(FDRの視線が、世界全体を捉える)
フランクリン・ルーズベルト:「だからこそ、私は君たちに問いたい。『君たちの時代の、ニューディールは何か?』と。それは、国境を越えた、新しい『共同体』の形かもしれない。地球環境を守るための、世界規模のTVA(テネシー渓谷開発公社)かもしれない。大事なのは、評論家のように腕を組んで、問題を分析しているだけでは、何も変わらないということだ。失敗を恐れずに、新しいアイデアを試し、もしそれが間違っていたら、素直に認めて、また次のアイデアを試せばいい。人類の歴史とは、その、壮大な試行錯誤の繰り返しではなかったのかね?」
(FDRは、最後に、優しい父親のような目で、カメラを見つめる)
フランクリン・ルーズベルト:「希望とは、黙って待っていても、誰かが与えてくれるものではない。希望とは、自らの手で、行動の中から創り出すものなのだ。さあ、顔を上げなさい、My friends.君たちの前には、成すべき偉大な仕事が、山のように待っているのだから!」
(絶望を希望に変えた男からの、行動を促す、力強いエール。最後に、あすかは、全ての議論を受け止めてきた、日本の現実主義者へと、静かにマイクを向けた)
あすか:「高橋さん。哲学、規律、そして希望。様々な提言が出ました。この日本で生きる私たちに、あなたは、最後の言葉として、何を伝えますか」
高橋是清:「(穏やかに微笑み、これまでの三人の言葉を、一つ一つ噛みしめるように)…いやはや、立派なご意見ばかりで、このダルマも感服いたしましたわい。スミス先生の道徳、松方殿の規律、ルーズベルト大統領の希望。どれも、国を思うての、まことの言葉じゃろう」
(高橋は、少し悪戯っぽく笑う)
高橋是清:「じゃが、わしのような俗物には、ちと高尚すぎるかもしれんのう。…わしの提言は、実に単純なことじゃ。『難しいことを考えるのを、一旦やめてみなされ』…これに尽きる」
あすか:「…やめてしまう、のですか?」
高橋是清:「そうじゃ。あなた方は、ちと、頭でっかちになりすぎとるんじゃないかな。偉い学者の言うこと、新聞に書いてある難しい経済指標、インターネットとかいう箱の中の、顔も見えぬ誰かの意見…。そんなものに振り回され過ぎて、一番大事なものを見失っておるように思う」
(高橋は、自分の膝をポンと叩く)
高橋是清:「一番大事なもの。それはな、『自分の暮らしの実感』じゃよ。自分の給料袋の中身は、去年より増えたか、減ったか。近所の商店街は、賑わっておるか、シャッターが閉まっておるか。子供たちが、腹を空かせておらんか。友達と、気兼ねなく一杯飲みに行けるか。…政治も経済も、突き詰めれば、そういう日々の暮らしのためにある。それ以上でも、それ以下でもない」
(高橋の言葉は、まるで家族に語りかけるように、温かい)
高橋是清:「だから、もし政治に文句が言いたくなったら、難しい言葉で言う必要はない。『わしらの給料を上げろ!』『この物価高をなんとかしろ!』…そう、大きな声で言えばいいんじゃ。政治家というものは、そういう声に一番弱いもんじゃからのう。そして、そういう当たり前の声が、ちゃんと政治に届く国にしていくこと。それが、あなた方が、まずやるべきことではないかな」
(高橋は、最後に、ふっと優しい笑みを浮かべた)
高橋是清:「立派な国家論も、腹が減っては戦はできぬ、とのことわざ通りじゃて。まずは、みんなが、三度三度、うまい飯を腹いっぱい食える国。わしが願うのは、結局、それだけのことかもしれんのう」