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ラウンド3:国家の役割~「見える手」と「見えざる手」~

【導入:哲学的な問い】


(ラウンド2の激論が残した問い、『価値とは、誰が決めるのか?』。その言葉の余韻がスタジオを支配している。あすかは、静かにその問いを見つめていたが、やがて顔を上げ、4人の論客たちに、さらに根源的な問いを投げかけた)


あすか:「皆様、ありがとうございました。金か、国家か、市場か…。価値の源泉を巡る皆様の議論は、私たちに、当たり前だと信じていた世界の足元が、いかに揺らぎやすいものであるかを教えてくれました。そして、それは、次の、より大きな問いへと私たちを導きます」


(あすかはクロノスを操作し、テーブルの中央に、新たなテーマを浮かび上がらせる)


テーマ:国家は、どこまで民に介入すべきか?


あすか:「スミス先生の言葉を借りるなら、これは『神の見えざる手』に委ねるべきか、それとも政府の『見える手』が積極的に導くべきか、という問いです。すなわち、皆様の『国家観』そのものをお聞かせいただきたい。まずは、ルーズベルト大統領。あなたは、ニューディール政策によって、政府の役割を劇的に拡大させました。あなたにとって、国家とは何ですか?」


フランクリン・ルーズベルト:「(待ってましたとばかりに、自信に満ちた声で)素晴らしい質問だ、あすか君。私にとって、国家とは、極めてシンプルなものだ。それは、『国民が、より良い暮らしを実現するために共同で使う、便利な道具』だよ」


あすか:「道具、ですか?」


フランクリン・ルーズベルト:「そうだ。リンカーン大統領は言った。『人民の、人民による、人民のための政治』と。政府とは、どこか天上から我々を支配する権威ではない。The government is us; we are the government.(訳:政府とは我々であり、我々こそが政府なのだ)。国民一人ひとりでは成し遂げられないような、巨大なダムの建設や、老後の生活保障といった大きな課題を、みんなで力を合わせて解決するための、最高の道具、最高の共同体。それが、私の信じる国家であり、民主主義だ」


(FDRは、社会保障法の成立を思い起こすように、熱を込めて語る)


フランクリン・ルーズベルト:「大恐慌が教えてくれたのは、個人の力だけではどうにもならない『運命の嵐』がある、ということだ。病気、失業、そして老い。そうした嵐に見舞われた時、個人を孤独に見捨てるのではなく、国家という共同体の船が、皆で助け合う。そのために、我々は税金を払い、政府を組織しているのではないかね?『見える手』は、国民の幸福を掴み取るための、希望の手なのだよ」


あすか:「では、あなたが言う『幸福』とは、具体的にどのような状態を指すのですか?」


フランクリン・ルーズベルト:「それは、まず第一に『恐怖からの自由』だ。失業の恐怖、病気の恐怖、老後の恐怖。そうした恐怖から解放されて初めて、人は、自分らしい人生を追求し、夢に挑戦できる。国家の役割とは、国民が挑戦に失敗しても、再び立ち上がれるためのセーフティネット…安全網を、社会の隅々まで張り巡らせることにある!」


(FDRの理想主義に満ちた国家観。それは、力強く、そして多くの人々にとって魅力的に響いた。しかし、その言葉を、アダム・スミスは静かに、だが、決して見過ごすことはなかった)


あすか:「恐怖からの自由…。しかし、スミス先生。その手厚い保護が、逆に人間の可能性を縛ることはないのでしょうか?」


アダム・スミス:「(静かに頷き)…あすかさん、あなたは極めて重要な点を突かれた。…大統領、あなた様の理想、そして国民を想う善意は、疑いようもありません。実に崇高な国家観です。…ですが」


(スミスは、穏やかながら、有無を言わせぬ論理で反論を開始する)


アダム・スミス:「その『安全網』は、果たして、本当に人間を幸福にするのでしょうか。確かに、それは人々を『恐怖』からは解放するかもしれない。しかし、同時に、その恐怖と対峙し、乗り越えようとする、人間の最も尊ぶべき『活力』をも奪い去ってしまうのではないか。それが、私の懸念です」


フランクリン・ルーズベルト:「活力だって?飢えて凍えている人間に、活力など生まれるものか!」


アダム・スミス:「(冷静にFDRの言葉を受け止め)ええ、もちろん、極限状態にあっては、まず生命を救うことが最優先でしょう。ですが、問題は、その『救済』が恒常的になった時です。政府が常に安全網を張り巡らせている社会では、人々は危険を冒して新しい挑戦をしようとしなくなるでしょう。なぜなら、挑戦に失敗するリスクを取るより、政府の保護の下で、そこそこの生活を続ける方が、よほど『合理的』な選択になってしまうからです」


(スミスは、彼の主著『国富論』の有名な一節を引用する)


アダム・スミス:「我々が、肉屋やパン屋から、日々の糧を得られるのは、彼らの博愛精神や善意によるものではありません。彼らが、自らの利益を追求するからです。その利己的な行動が、『見えざる手』に導かれ、結果として、社会全体の富を増大させる。これが、経済発展の原動力なのです。しかし、あなたの言う国家は、その原動力を、政府の『見える手』による計画や分配に置き換えようとしている。それは、経済のエンジンから、最も重要な部品を取り去ってしまうことに等しい」


フランクリン・ルーズベルト:「それは、強者の論理だ!市場の自由に任せた結果、大恐慌が起きたではないか!一部の強者が富を独占し、大多数の弱者が切り捨てられる。それがあなたの言う『見えざる手』の正体だった!」


アダム・スミス:「(初めて、少しだけ悲しそうな表情を浮かべて)…大統領、あなたも、多くの人々も、私の『見えざる手』を誤解しておられるようだ。私は、無制約な利己心の追求を、手放しで肯定したわけではありません。私のもう一つの主著『道徳感情論』で論じたように、『見えざる手』が正しく機能するための大前提は、人々が、他者の不幸に共感し、その喜びを我がことのように喜べる『共感(シンパシー)』の能力を持っていることです。そして、その共感に基づいた『公正なルール』が、社会に行き渡っていることです」


(スミスの言葉が、単なる経済論から、人間論へと深化する)


アダム・スミス:「あなたがおっしゃる大恐慌前の社会は、一部の人間が『公正なルール』を捻じ曲げ、他者への『共感』を忘れた、利己主義が暴走した社会です。それは、私の理想とは全く異なる。…しかし、その処方箋として、政府が全てを管理し、国民を保護するというのは、あまりに短絡的です。それは、人間の尊厳に関わる問題です」


フランクリン・ルーズベルト:「尊厳、だと?」


アダム・スミス:「はい。人間の尊厳とは、施しを受けることによって得られるものではありません。たとえ小さくとも、自らの才覚と努力によって仕事を成し遂げ、その対価としてパンを得ること。そこにこそ、人間の真の誇りと尊厳は宿るのです。あなたの『見える手』は、国民から恐怖を奪う代わりに、その、自らの手で尊厳を掴み取る機会をも、奪い去ってしまうのではないか。…私は、それをこそ、最も恐れるのです」


(FDRの「共同体による救済」という理想と、スミスの「個人の尊厳に基づいた自立」という理想。アメリカという国家の根底に流れる、二つの偉大な思想が、激しく衝突する。あすかは、その火花が、遠い東方の島国で、全く異なる形の炎となって燃え上がったことを知っていた)


あすか:「…国家が国民に何を与えるべきか。あるいは、与えるべきではないのか。その問いは、皆様の時代から遠く離れた日本で、また別の形の国家観を生み出しました。松方さん、あなたにとって、民に優先する『国家』とは、どのような存在だったのでしょうか」


(あすかの言葉を受け、これまで欧米の二人の議論を冷ややかに、あるいは、どこか遠い国の話として聞いていた松方正義が、重々しく口を開く。彼の言葉は、このスタジオの空気を、再び明治の緊張感へと引き戻す力を持っていた)


松方正義:「(重々しく口を開き、FDRとスミスの二人を一瞥してから)…道具、じゃと?尊厳、じゃと?…泰平の世を生きた者たちの、結構な戯言(たわごと)に聞こえるわ」


フランクリン・ルーズベルト:「(カチンときて)戯言だと?松方サン、我々は…」


松方正義:「(FDRの言葉を無視し、続ける)お主らには分かるまい。四方を海に囲まれ、資源も乏しいこの島国が、虎狼(ころう)の如き欧米列強に囲まれ、いかにして独立を保とうと必死であったか、その心根が。我々には、悠長に民の自立心を育てたり、一人ひとりの幸福を追求したりしておる時間など、なかったのじゃ!」


(松方の声が、明治という時代の切迫感を帯びて、スタジオに響き渡る)


松方正義:「わしにとって、国家とは、民に優先して存在する、絶対の器じゃ。民とは、その器に盛られた米粒に過ぎん。器が貧弱で、外敵の一撃で砕け散ってしまえば、中の米粒は地面に散らばり、鳥に啄(ついば)まれるが道理。そうならぬために、まずは何よりも先に、国家という器を、どこにも負けぬほど強固に、そして大きくすることこそが、為政者の唯一最大の責務じゃった!」


あすか:「その『国家の器』のために、民という『中身』が犠牲になることも、厭わないと?」


松方正義:「(一切のためらいなく)無論じゃ!富国強兵!それこそが、わが明治政府の国是じゃった。わしが断行した『松方デフレ』で、多くの農民が苦しんだことは、先ほども言うた。じゃが、そのおかげで財政は再建され、軍備は近代化され、この国は、清国やロシアとの存亡を賭けた戦に、かろうじて勝利することができた。あの時、わしが民に媚び、財政出動などという甘い汁を吸わせておれば、今頃、この国は、ロシアの植民地と化しておったやもしれんのだぞ!」


(松方の言葉は、もはや経済論ではなかった。それは、国の存亡を背負った指導者の、血を吐くような告白だった。その悲壮なまでの国家観に、FDRが鋭く切り込む)


フランクリン・ルーズベルト:「待ちなさい、松方サン。あなたの言う国家は、国民のためのものではなく、国家それ自体が目的になってしまっているように聞こえる。それは極めて危険な思想だ。国民の幸福を犠牲にしてまで国家の強化を目指す道は、我々が戦ったファシズムへと、一直線に繋がっている!」


松方正義:「(鼻で笑い)ファシズム?理想ばかりを語るお主には、国の土台そのものを奪われる国の痛みなど、分かるまい。お主の国は、常に強者じゃった。じゃが、我々は常に弱者として、生き残るために必死じゃった。その違いが分からん者に、わしの政治を語る資格はない!」


(国家のあり方を巡り、日米の歴史的背景の違いが、埋めがたい溝となって現れる。その時、これまで静かに二人のやり取りを聞いていた高橋是清が、なだめるように、しかし確信を込めて口を開いた)


高橋是清:「まあ、待て、松方殿。あんたの言うことも、一理ある。この国が、常にひもじい思いをして、列強と渡り合ってきたことは、このわしが一番よう分かっておるつもりじゃ」


(高橋は、かつて日露戦争の戦費調達のために、ロンドンやニューヨークを駆け回った日々を思い出すように、目を細める)


高橋是清:「じゃがのう、松方殿。あんたの言う『国家という器』だけが、いくら立派で強固になっても、その中に入っておる『民という酒』が、腐って酸っぱくなってしまっては、元も子もないのではないかな?誰が、そんな不味い酒を飲みたいと思うかね?」


あすか:「器と、中身…ですか」


高橋是清:「そうじゃ。わしにとって、国家と民は、どちらが上でも下でもない。いわば『車の両輪』じゃよ。どちらか一方だけが先走っても、まっすぐには進まん。国家という右の車輪が強くなりすぎれば、民という左の車輪が追いつけず、あらぬ方向へ曲がってしまう。逆に、民の要求ばかりを聞いて、国家の財政という右の車輪がガタガタになっても、やはり前に進まん。その時々の道のでこぼこを見ながら、左右のバランスを取り、時には油を差し、時には泥を掻き出し、なんとか前に進めていく。それが、この国で政治をやるということの、本当の難しさであり、醍醐味でもあるんじゃ」


アダム・スミス:「(静かに、しかし鋭く)高橋殿。その『バランス』という言葉は、非常に聞こえは良いですが、それは、一貫した哲学の欠如を糊塗するための、便利な言い訳にもなりはしませんかな?」


高橋是清:「ほう、哲学の欠如、と申されるか」


アダム・スミス:「はい。あなた様のやり方は、いわば『その場しのぎ』の連続に見える。デフレになればカネを刷り、インフレの兆候が見えれば軍事費を削ろうとする。それは一見、現実的で柔軟なように見えますが、そのような場当たり的な対応の繰り返しが、かえって長期的な国家の針路を見失わせ、市場に無用な混乱を招く原因ともなりうるのです。為政者には、嵐の中でも揺るがない、北極星のような不動の『原理』が必要なのではないでしょうか」


高橋是清:「(楽しそうに笑い)先生の仰ることは、ごもっとも。あなたの哲学は、いわば、寸分の狂いもない、完璧な家の設計図のようなものじゃろう。じゃが、先生。わしらが家を建てねばならんこの日本という土地は、ご存知か知らんが、世界で一番、地震が多い土地なんでさ」


(高橋の言葉に、スタジオの空気が変わる)


高橋是清:「完璧な設計図通りに建てた、石造りの立派な家も、大きな揺れが一発くれば、あっけなく崩れ落ちてしまう。わしらが建てねばならんのは、揺れに応じてしなり、時には歪み、傾きながらも、決して倒れはしない、柔構造の木の家なんじゃ。そのためには、設計図にない柱を一本足したり、壁を少し薄くしたりすることも必要になる。それが、この国で政治をやるということの実態なんじゃよ。先生の立派な哲学も、この国では、ちと窮屈すぎるかもしれんのう」


(「国家のための非情な規律」を説く松方。「国家と民の現実的なバランス」を説く高橋。そのどちらもが、日本という国の特殊な歴史と風土の中から生まれ出た、切実な国家観だった)


【ラウンド3の締め】


あすか:「(深く頷きながら、4人の顔をゆっくりと見渡す)ありがとうございました。道具としての国家、個人の尊厳のための国家、絶対的な器としての国家、そして、バランスを取るための国家…。皆様の国家観は、それぞれが全く異なっているようで、しかし、そのどれもが、皆様が生きた『時代』と、生きた『場所』の空気を、色濃く映し出しているように思えます」


(あすかは、静かに立ち上がる。その声は、これまでの進行役としての声とは違う、一つの結論へと向かう、物語の語り部の声だった)


あすか:「絶対的に正しい国家の形、などというものは、ないのかもしれません。あるのは、その時代、その場所で、人々がいかにして生き延び、いかにしてより良く生きようと格闘したかという、切実で、愛おしいほどの、物語だけ…」


(しばしの沈黙。あすかは、カメラの向こうの視聴者に、真っ直ぐに語りかける)


あすか:「では、ひるがえって、現代。グローバル化が進み、国境の意味が薄れ、一つの価値観では到底語れないこの世界で、私たち21世紀の人間は、一体、どんな国家を目指し、そして、どんな人間であるべきなのでしょうか」


(その問いは、スタジオにいる誰にも答えられない、未来への問いだった)


あすか:「次の最終ラウンドでは、皆様に、この問いに対する『答え』として、21世紀に生きる私たちへの、『未来への提言』を、お伺いしたいと思います。皆様の魂の言葉が、私たちの進むべき道を照らす、最後の光となることを信じて」


(あすかが一礼すると、スタジオは静かな光に包まれる。経済論争から始まった対話は、国家論、人間論を経て、ついに、未来を創造するための、最終章の幕を開けようとしていた)

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