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ラウンド2:劇薬の功罪~金融緩和は希望か、麻薬か~

(ラウンド1の激しい応酬が残した興奮と緊張が、スタジオに満ちている。あすかは、中央のホログラムで浮かぶ『金融緩和』の四文字を静かに見つめている。やがて彼女は顔を上げ、穏やかだが、有無を言わさぬ力強さで語り始めた)


あすか:「救済か、規律か。皆様の議論は、それぞれの正義がいかに切実なものであるかを、私たちに教えてくれました。しかし、その議論の根底には、皆様の時代と私たちの時代を隔てる、一つの決定的な違いが存在します」


(あすかはクロノスを操作する。すると、スタジオの背景に、美しく輝く金の延べ棒と、古い金貨の映像が大きく映し出された)


あすか:「『ゴールド』です。皆様の時代、国家が発行するお金…すなわち通貨の価値は、この『金』との交換が保証されていることが大前提でした。『金本位制』。それは、通貨の価値が、政府の都合で揺らぐことのないようにするための、絶対的な『いかり』であり、国家の信認そのものでした」


(高橋とFDRはどこか懐かしそうに、松方は自らが築いたものを誇るように、スミスは分析対象として冷静に、その映像を見つめている)


あすか:「しかし、この絶対的な錨は、時として国家の自由を縛る『足枷』にもなりました。デフレで経済が冷え切っていても、金の保有量が少なければ、政府は自由にお金を刷って市場に供給…つまり『金融緩和』をすることができなかったからです。…高橋さん、ルーズベルト大統領。お二人は、その『足枷』を、自らの手で断ち切る決断をしました」


(あすかの視線が、鋭く二人を射抜く)


あすか:「それは、当時の人々にとって、国家が自ら信認を投げ捨てるに等しい、革命的な、あるいは冒涜的ですらある行為だったはずです。なぜ、お二人はその『禁じ手』を使えたのですか?まずは高橋さん、あなたからお聞かせください。あなたは日本銀行に国債を直接引き受けさせるという、まさに前代未聞の金融緩和を断行しました。一体、どのような覚悟があったのでしょうか」


【賛成派の証言:当事者たちの告白】


高橋是清:「(穏やかな表情を崩さず、しかしその目には遠い日の覚悟が宿っている)…禁じ手、か。まあ、そうじゃろうな。わしは若い頃、相場師の真似事のようなことをしておったからのう。相場というものは、理屈じゃない。人の『気』の流れじゃ。当時の日本は、デフレという病で、すっかり『気』が滅入ってしまっておった」


あすか:「『気』、ですか?」


高橋是清:「そうじゃ。皆が、明日になればもっと物の値段が下がると信じ、誰も金を使わん。誰も物を買わん。その『気』が変わらん限り、どんな立派な理屈を並べても、経済は動かんのじゃ。蔵相室でソロバンを弾いておる役人たちには、それが分からんかった」


(高橋は、ふっと息をつき、続ける)


高橋是清:「金本位制は、確かに立派な仕組みじゃ。じゃが、それに縛られて国が滅んでしまっては、本末転倒じゃろう。わしは考えた。この滅入った『気』を吹き飛ばすには、何かドカンとでかい打ち上げ花火が必要じゃ、と。それが、日銀による国債の直接引き受けじゃった」


フランクリン・ルーズベルト:「(頷きながら)花火…良い表現だ。まさにその通りだ!」


高橋是清:「もちろん、役人たちは血相を変えて反対した。『高橋さん、そんなことをすれば円の信認は暴落し、激しいインフレになりますぞ!』とな。わしは笑ってこう言うたんじゃ。『インフレになって結構。デフレよりよっぽどマシじゃわい』と。彼らは理論家じゃ。じゃが、わしは実務家じゃからのう。理論家が青い顔をしておる間に、民は飢え、国は沈んでしまう」


あすか:「恐れは、なかったのですか?」


高橋是清:「(きっぱりと)なかった、と言えば嘘になる。じゃが、わしの腹は決まっておった。もし、この政策が失敗し、国を塗炭の苦しみに陥れたならば、この命をもって償う。それだけの覚悟はあったつもりじゃ。幸い、相場師の勘が当たってのう。市場にカネが溢れると、民の『気』は少しずつ上向き、株価も上がり、経済はゆっくりと回り始めた。…わしは、ただ賭けに勝った。それだけのことかもしれん」


(一人の実務家としての、凄絶なまでの覚悟。その言葉の重みに、スタジオは静まり返る。あすかは次に、もう一人の当事者へとマイクを向けた)


あすか:「ルーズベルト大統領。あなたもまた、大統領就任直後に、銀行を一時閉鎖し、そして、ドルと金との交換を停止するという、極めて大胆な決断をしました。あなたの場合は、高橋さんのような『賭け』とは、少し違う意図があったように見受けられますが」


フランクリン・ルーズベルト:「(自信に満ちた笑みを浮かべて)その通りだ、あすか君。私の決断は、賭けではない。あれは『闘争』だったのだよ」


あすか:「闘争、ですか?」


フランクリン・ルーズベルト:「そうだ。ウォール街の国際金融資本家たちとの闘争だ。彼らは、金本位制というシステムを利用して、通貨の供給量をコントロールし、世界の富を支配していた。国家の経済政策が、ニューヨークの一握りの銀行家の都合で左右される。そんな馬鹿げたことがあってたまるか!」


(FDRの口調が、次第に『炉辺談話』を彷彿とさせる、力強い演説のトーンに変わっていく)


フランクリン・ルーズベルト:「私は、通貨発行の主権を、金融家の手から、アメリカ国民の手に取り戻したかったのだ。金という、ただの黄色い金属に、国家の運命を縛られてなるものか!国民の生活、国民の未来こそが、通貨の価値を裏付ける唯一の『金』であるべきだと、私は信じた!」


あすか:「有名な言葉がありますね。『金の十字架に、国民を磔にはさせない』と」


フランクリン・ルーズベルト:「その通り!我々が断ち切ったのは、金本位制という足枷だけではない。国民を絶望させていた、古い秩序そのものだったのだ。もちろん、多くの抵抗があった。保守的な人々は、私の政策を『社会主義的だ』と非難した。しかし、私は国民に直接語りかけた。『これはあなた方のための改革なのだ』と。そして、国民は私を支持してくれた。私の金融政策は、単なる経済政策ではない。民主主義を守るための、政治闘争だったのだよ!」


(FDRのカリスマ性が、スタジオを圧倒する。民を救うための「覚悟」を語った高橋。国民の主権を取り戻すための「闘争」を語ったルーズベルト。二人の『禁じ手』の当事者たちは、それぞれの正義と信念に基づき、その行為を力強く肯定した。しかし、その輝かしい物語に、冷水を浴びせる者がいた)


あすか:「…覚悟と、闘争。しかし、その決断が、国家の最も大切なものを破壊した、とお考えの方もいらっしゃいます。松方さん。あなたが生涯をかけて築き上げようとした『円の信認』。高橋さんの政策を、あなたはどうご覧になりますか」


(金融緩和という「禁じ手」を使った理由を、高橋是清が「覚悟」、フランクリン・ルーズベルトが「闘争」と語った。その輝かしい物語を、冷え切った沈黙で受け止めていた松方正義が、抑えられた怒りで震える声と共に、ついに口を開く。いよいよ、原理主義者による『断罪』が始まろうとしていた)


松方正義:「…覚悟、じゃと?闘争、じゃと?…笑わせるな。わしに言わせれば、それはただの『国家に対する裏切り』じゃ」


(その場が凍りつく。高橋の穏やかな表情が消え、FDRの笑顔が引きつる)


松方正義:「高橋!お主は分かっておるのか!わしが、そしてわしと共に明治の世を創った者たちが、どれだけの心血を注いで、この国の通貨の信認を築き上げたかを!銀本位制から、悲願の金本位制へ…。欧米列強と肩を並べるため、貿易で不利益を被らぬため、そして何より、この『円』という通貨を、世界が認める『財産』とするために!そのためにわしは、『デフレの鬼』と罵られることも厭わなかった!」


(松方は席を立ち、高橋を指差す。その指は怒りにわなないている)


松方正義:「その、わしらが命懸けで築き上げた日本銀行を、お主はなんだと思うておるか!政府の借金を肩代わりさせる、ただの財布か!安易に紙幣を刷り散らかす、打ち出の小槌か!それは、わしが創った日銀ではない!お主がやったことは、先人たちの血と汗の結晶である神殿に、土足で上がり込み、その礎を己の都合で引っこ抜いたに等しい!唾棄すべき行為じゃ!」


高橋是清:「(静かに、しかし力強く)松方殿。あんたが立派な神殿を建てたことは、わしとて百も承知じゃ。じゃがな、その神殿を守るために、神殿の周りに住む民が飢え死にしては、本末転倒ではないのか?わしは、まず母屋を襲う火事を消したまでじゃ。神殿が無事でも、国という母屋が焼け落ちては、元も子もなかろう!」


松方正義:「その場しのぎの言い訳を!一度燃やした神殿の柱は、二度と元には戻らん!お主が一度タガを外したせいで、その後、軍部が好き放題に戦費を要求し、国債を乱発する道を開いたことを、忘れたとは言わせんぞ!」


(痛いところを突かれ、高橋がぐっと言葉に詰まる。その隙を見逃さず、あすかはもう一人の原理主義者に問いを投げかけた)


あすか:「スミス先生。松方さんの怒りは、ご自身が築いたものへの誇りから来ているようです。一方、あなたの批判は、より普遍的な、原理に関わるもののように聞こえますが」


アダム・スミス:「(静かに頷き)はい。松方殿の心情、お察しいたします。ですが、問題はさらに根深い。…高橋殿、ルーズベルト大統領。あなた方は、先ほどから『カネを市場に供給する』と、ごく簡単におっしゃる。しかし、それは、この世で最もやってはならないことをしているのと同じなのです」


フランクリン・ルーズベルト:「ほう?最もやってはならないこと、とは?」


アダム・スミス:「それは、『価値を測るための、ものさしを歪める』ということです」


(スミスは、テーブルの上の水の入ったグラスを指差す)


アダム・スミス:「貨幣とは、いわば、この水の量を測るための『ミリリットル』という目盛りのようなものです。人々は、その目盛りが常に一定であると信じているからこそ、安心して水を買い、売ることができる。公正な取引が可能になるのです。しかし、あなた方がやった金融緩和とは、為政者の都合で、その目盛りを勝手に書き換える行為に他なりません」


あすか:「ものさし、ですか」


アダム・スミス:「そうです。昨日まで10ミリだった目盛りが、今日になったら、同じ長さなのに『これは20ミリだ』と政府が宣言するようなものです。そんな歪んだものさしを使って行われる取引は、もはや公正なゲームとは呼べません。それはただの『いかさま』です。そして、人々がその『いかさま』に気づいた時、何が起きるか。人々は、真面目に物を作って売るという、地道な努力を馬鹿らしく思うようになる」


(スミスの言葉が、熱を帯びる)


アダム・スミス:「人々は、生産的な労働ではなく、歪んだものさしの歪みを利用して儲けること…すなわち『投機』に走るでしょう。汗水流して働く者より、巧みにカネを転がす者が富む社会。為政者が自ら、不労所得を奨励する社会。それが、あなた方の政策がもたらす、真に恐ろしい『意図せざる結果』なのです。それは、経済の規律を破壊するだけでなく、人々の勤労に対する道徳心そのものを破壊するのです」


フランクリン・ルーズベルト:「(スミスの言葉を遮り、激しい口調で)道徳だと!?先生、その『公正な取引』とやらで、ウォール街の銀行家たちは、大恐慌の前、国民から富を吸い上げていたではないか!彼らこそが、自分たちに都合のいい『いかさま』のルールを作り、国民を貧困に突き落とした張本人だ!我々は、その腐りきった『ものさし』そのものを、国民のために破壊したのだ!それを、なぜあなたが非難できる!」


松方正義:「(FDRに向かって)お主の言う『国民のため』とは、すなわち衆愚政治のことか!耳障りの良い言葉で民を扇動し、国家の根幹である通貨の信認を破壊する。これ以上の独裁が、一体どこにある!わしは、少なくとも民に媚びは売らなんだ!」


高橋是清:「(松方とFDRをなだめるように)まあ、待て、お二人とも。…スミス先生。先生の理論は、実に美しい。一点の曇りもない。じゃが、それはあくまで、晴れた日の話じゃ。わしらが直面したのは、嵐の海じゃった。海図も羅針盤も役に立たんような、大時化おおしけじゃ。そんな時に、港で天文学を論じておっても、船は沈むだけですぞ。必要なのは、船乗りの勘と、船を動かす腕力じゃ」


アダム・スミス:「(静かに首を振り)高橋殿。あなたの言う『勘』とは、言い換えれば『根拠なき熱狂』あるいは『集団的な恐怖』のことではありませんかな。為政者の役割とは、その場の『気の流れ』に迎合することではなく、むしろ、いかなる嵐の中にあっても、理性の灯を頼りに、進むべき針路を冷静に見定めることにあるべきだと、私は考えますが」


(議論は完全に平行線を辿る。「現実」を語る実践家と、「原理」を説く思想家。「国家」を憂う者と、「国民」を想う者。それぞれの正義は、決して交わることがないように思われた)


【ラウンド2の締め】


あすか:「(白熱する議論に、割って入る)皆様。ありがとうございます。劇薬『金融緩和』は、希望の翼にも、破滅への媚薬にもなりうる…。皆様の言葉は、その両面の恐ろしさと魅力を、私たちにまざまざと見せつけてくれました」


(あすかは、ゆっくりと立ち上がり、クロノスに一つの問いを映し出す)


『価値とは、誰が決めるのか?』


あすか:「皆様の議論は、突き詰めれば、この問いに行き着くのかもしれません。通貨の価値を決めるのは、絶対的な存在である『金』なのでしょうか。それとも、国家の権威でしょうか。あるいは、スミス先生の言う『市場』か。はたまた、ルーズベルト大統領の言う『国民の総意』か…」


(4人は、その問いを、それぞれの表情で見つめる。それは、彼らがその生涯をかけて、答えを探し続けた問いそのものだった)


あすか:「価値の源泉を巡る闘争。それは、次の、より根源的なテーマへと繋がっていきます。国家は、私たちに何をしてくれるのか。そして、私たちは、国家に何をすべきなのか」


(あすかは、深く、そして挑戦的に微笑む)


あすか:「歴史バトルロワイヤル、第3ラウンド『国家の役割~「見える手」と「見えざる手」~』で、皆様の『国家観』そのものを、お聞かせいただきたいと思います」


(スタジオの照明が再び落ちる。しかし、先ほどとは違い、そこには哲学的な問いの余韻が満ちていた。経済論争は、今、国家と個人の関係性を問う、壮大な魂の対話へと、その舞台を移そうとしていた)

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