10.精霊の民の幼子
鼻水事件で大笑いされた後。
荷車を押すリューを送り出してから、キッチンに戻って温かいお茶を入れて、お気に入りのキルティングがかかったソファーに腰を下ろした。
あたたかいお茶の温もりが、冷えた指先を温めてくれて、少し落ち着きを取り戻してほっとため息をつく。
リューの胸元に浮かび出た呪いの模様は恐ろしく、あのままリューは死んでしまうのではないかと思った。
リュドリスに治療してもらったはずなのに、禍々しく、黒く浮かび上がった呪いの模様。
精霊も完全ではないし、こちらが願ったとしても、気に入らない事なら何もしてはくれないのだ。
だから、リューも、おばあちゃんと同じかと思った。
精霊は気まぐれだ。
その目の前の命が今終わるのが良いと思ったのなら、精霊は手を貸さないのだ。
ふるりと身体が震える。
「でも、大丈夫。あの時とは違うもの。」
窓から差し込む温かい日差しが、ポカポカとして気持ちいい。
「せっかくの晴れだし、ちょうどリューもいないし…今が薬草のお世話のチャンスね。」
この雨ノ森はかなりの種類の薬草が採れるが、それでも足りないものはある。
特にたくさんの日光が必要な薬草は殆ど採れないと言ってもいい。
そういう日光が必要な薬草は普通は商人から購入するが、私は裏庭で精霊の力を借りながら、こっそり育てている。
「あれこれ取り寄せるのって面倒くさいのよね…」
朽ちかけた畑の柵を越え、精霊を呼び出す。
『フィーリー』
自分の不思議な響きの声が空気の中に染み込んでいく。
土の中から、植物の芽のような精霊がたくさん現れた。
よいしょっと根っこで出来た足で土から這い出て、嬉しそうに集まってきてくれた。
「いつものように、この薬草さんたちのお世話をお願いできるかな?」
『!』『…!!』
フィーリーたちは太陽の光を集めて、草木を育てるのが大好きだ。
ふわりと畑が明るく輝き、光が好きな薬草たちが元気を取り戻す。
「もしかして、精霊の力を借りたら、りんごの木も育てられるのかしら?」
昨日のりんごのお酒は本当に美味しかった。
シュワシュワしていて、甘くて、光る泡が上に登っていく姿は最高に美しかった。
「また飲みたいなぁ…」
そういえば、最後だと言われてねだったりんごのお酒を飲んだあと、ちゃんと歯を磨いて寝たのか記憶にない。
恐らく適当にベッドに飛び込んで寝てしまったんだろう。
「うわ、口臭くなかったかな…しまったわ…」
キューに朝起され、誘われるままにリューの様子を見に行ったから、そこからはリューの胸元に浮かび上がった呪いに狼狽えてしまい、歯磨きなんて今まですっかり忘れていた。
口が臭い女なんて最低だ。
このあとちゃんと歯磨きしよう。
「はぁ…」
自己嫌悪に陥っていたら、他の子より大きなフィーリーがふわりと近くに寄ってきた。
「わぁ!お花!!」
黄色と白の、リューが摘んできてくれた野花と同じ花が、差し出した手にたくさん舞い落ちる。
ふわりふわりと花が舞って、優しい香が鼻をくすぐる。
『キュッ!』
花の香りに誘われたのか、キューがこちらに走ってきた。
白い毛並みが日差しの中でキラキラ光って綺麗だ。
なんだか、凄く幸せな気分だ。
「キュー!あのね、フィーリーがお花をたくさん…」
振り向いた先のキューの背後に、目を見開いて呆然としたリューが立ち尽くしている。
私の後ろでは、まだフィーリーたちが気ままに薬草のお世話をしているし、
大きなフィーリーが出してくれた花も、まだふわりと舞っている。
キューは気にせず私に駆け寄り、満足げに毛づくろいを始めた。
精霊たちは、リューの姿をみても消える様子がなく、ごきげんに私の周りで遊んでいる。
「ルディア…君は、まさか…精霊の、民…なのか?」
「………」
この状況を見たら、それ以外の結論はないだろう。
ずっと、おばあちゃんといっしょに、隠し通してきた秘密。
「…キューが、連れてきたの?」
キューはちらりと私の顔を仰ぎ見ると、キュー!と鳴いてふわりと消えてしまった。
細かい光の粒子が、キューの元いた場所に残渣のように残り、溶けるように消えた。
「キューは…やっぱり、精霊獣だったんだな。」
「…わかってたの?」
「…野生の動物にしては綺麗すぎるし、賢すぎる。それから…さっきまでだいぶ離れた場所にいたのに、キューが肩に乗ったと思ったらこの場所にいた。」
「やっぱり。キューの仕業なのね。」
戸惑うのも無理はない。
あんなに自然に転移するなんて、魔術でも不可能だ。
「…キューは時々、そういうイタズラをするの。」
「イタズラ?」
ただ、それは、大体意味のあるイタズラなんだけれど。
フィーリーが薬草のお世話を終えて、土の中に帰っていく。
畑もいつもの平凡な様子に戻った。
私は、ぐっと覚悟を決めた。
「リュー…話、聞いてくれる?」
私も殆ど憶えていない、ずっと昔のことなのだけど。
*****
…あの日、おばあちゃんはこの雨ノ森の中で、魔獣狩りをしていたらしい。
まだこの森に住み始めて月日が浅く、近くの魔獣を生み出す洞窟も見つかっていなかったから、それなりに魔獣がうろつく森だったそうだ。
『まったく、次から次へとよく出るねぇ。ババァにはちぃとキツイよ。』
雨はよく降るし、魔獣に薬草の群生地は荒らされているしで、散々な日だったそうだ。
『今日はもう諦めて帰ろうかねぇ。どっこいしょ』
「ちょっと待った」
「なによリュー、せっかくノッてきたとこだったのに」
リューはなぜか肩を震わせている。寒いのだろうか。
「…っんん、そのご老人っぽいしわがれ声のモノマネ必要?」
「当たり前じゃない!こういうのは雰囲気やリアリティも大事だと思うの。」
「…リアリティね、そうだね、最高のリアリティだよ。ごめん、続けて。」
リューは深呼吸をしてぐっと手を握った。
何なんだろう。まぁいいか。
私は気を取り直して話を戻した。
…夕暮れに近くなってきて、おばあちゃんは近道をしようと、もと来た道から外れて少し険しい森の中を、家に向かって早足で進んでいった。
いくら魔女でも夜の森は危険だ。
『やれやれ、歩きづらい山道だねぇ…って、なんだ?』
かすかに遠くから幼子の泣き声のような声が聞こえる。
『まさか、ここは魔獣もでる雨ノ森だよ。精霊のいたずらかい?勘弁してくれよ。』
おばあちゃんはため息をつくと、魔術を唱えた。
口は悪いけど、なんだかんだ優しいのがおばあちゃんだ。
ふわりと足元が輝き、さっきよりもずっと早いスピードで、おばあちゃんは泣き声の方へ急いだ。
雨がフードからはみ出た髪の毛をじっとり濡らしていく。
『…血の匂い…獣がいるのか』
険しい顔で、手に魔術の炎を生み出す。
手遅れかもしれない、嫌な予感がゾワリと身体を駆け巡る。
そして、奥まった暗い深い森の中、泣き声の主を見つけた。
栗毛の小さい女の子が、山の斜面のくぼみの中で、身を隠すようにすすり泣いている。
側には白くて美しい毛並みの、イタチのような生き物。
血の匂いはこの子からじゃない。
『まさか、親が…?』
慌てて周囲を見渡したが、他に人の気配はない。
代わりに八つ裂きにされた魔獣化した狼の死骸が、八体ほど散らばっている。
『これ、は…』
狼の魔獣は一匹であれば大したことはないが、集団で襲いかかってくると処理が厄介な魔獣だ。
『…まさか、お前が魔術か何かでやったのか?』
子供は恐る恐る顔を上げておばあちゃんの顔を見ると、しゃくりあげながら、近くのイタチのような生き物を指さした。
おばあちゃんは、じっとその生き物を観察しようとしたが、こちらを黒い目でちらりと見たと思ったら、それはふっと消えてしまった。
『まさか…精霊、獣…』
間違いない。あの生き物は、ただの動物ではない。
では、この子は。
『お嬢ちゃん、どこから来た?』
『…おかしゃん、だめっていった。わたしににげてっていった。そしたら、こわいのたくさんいた』
深緑の目を涙でいっぱいにした娘は、たどたどしく話した。
恐らく、母親かこの子に何かがあって、精霊獣と共にここへやって来たのだろう。
『…家はどこにある?』
『…あったかい、もりのなか。でも、おかしゃん、もうかえってきたらダメ、いってた』
目からまた涙が溢れ出す。
完全に訳アリの娘だ。
厄介ごとの匂いしかしない。
おばあちゃんは、はぁとため息をついて、子供に手を差し出した。
『…まったく、とんだものを拾っちまったねぇ。まぁ、年寄のババァの残り僅かな寿命分ぐらいは面倒見てやるよ。ほれ、おいで。もう日が暮れる。』
「…と、こんな感じで私はおばあちゃんに拾ってもらったの。」
リアリティたっぷりの語りを終えた私は、達成感でいっぱいになった。
いつか役者になれるかもしれない。
どうよ、とリューをみると、リューは何かを真剣に考えていた。
「…もしかして、ルディアちゃんの役者デビューについて真剣に考えてくれてる?」
「…老人役でいい?」
「………盲点だわ…」
次は年頃の美女の演目も練習しておかないと。
「……ルディア、君はいつから精霊を使役できるようになったんだ?」
役者デビューは諦めてしまったのか、リューは精霊に話を戻した。
危うく主題を忘れるところだった。
「もちろん最初はそんなことできなかったわ。キューはなぜかずっとそばにいたけど、どちらかというと気まぐれな友達?みたいな感じだし。他の精霊達は、私がきっと精霊の民だと思ったおばあちゃんが、あちこちから古本とかあつめてくれて、それで自分で練習したの。他の精霊たちも、使役、というよりは、お友達を呼び出してお願いする、みたいな感じね。」
お願いしてもやってくれない時もあるし、お願いしなくても、思った以上の事をしてくれる時もある。
私達の間にあるのは、友情や信頼関係みたいなものだ。
その関係を壊したらいけない…そう言う事も、古本から学んだ。
「ほら、この本棚が大体精霊に関する本なの。」
目隠しされた本棚のカーテンをめくると、ふわりと古い紙の香りが広がった。
この香りを嗅ぐと、小さい頃を思い出して、なんだか気分が落ち着く。
「………ルディア、これ、読んだの?古代語だけど…」
「そうね、辞書片手にだけど。おばあちゃんも読めたから、それなりには教えてもらえてたと思う。」
別の本棚にも結構色んな本が入っている。
「おばあちゃん、何気に教育熱心だったのよね。お前は勉強しないとすぐ騙されて死ぬぞって言われたわ。政治学とかそういうのまでやらされたから、もしかして魔女帝国でも作るのが夢だったのかしら。」
「………」
リューは本棚を無言で眺めている。
リューは育ちが良さそうな雰囲気だから、こういうのはお手の物なんだろうか。
「…ルディアは、精霊の民の、最後の呪いの話は知っている?」
「そうね、その本も読んだわ。私はきっと、その生き残りなんでしょう?」
「…あの事件の発端は、15年前だ。」
リューがこちらに気づかわしげな目線をよこす。
「泣かないわよ!!覚えてないし!!!」
「分かってるよ。」
リューは、苦笑しながら隣のソファーに腰をおろしてため息をついた。
「聡明なおばあちゃんだったんだな…これだけの書籍と教育が施せる人なんて、そういないだろう。」
「えぇとね、元は東の国にいたんだってよ。結構偉かったらしいけど、面倒くさいから後は若いのに任せるわって、ここの国に逃げてきたんだって。」
おばあちゃんは東の国の話になると、いつも面倒くさそうだった。
ちょっぴり懐かしそうな顔してたけど。
「…偉い人?名前は?」
「えぇとね…長ったらしい名前なのよ。割と有名人だったとかで、街では絶対言うなって言われたわ。どこかにメモしてたと思うんだけどなぁ…」
私はゴソゴソと本棚からノートを取り出した。
精霊の勉強を始めたときに、最初に買ってくれた思い出のノートだ。
「そう、これ!アデル・デュラルーシ・メイシャコフ・リッチェル」
「…っ、それ、東の国の賢女アデルじゃないか!!」
「それそれ!昔は東の国でブイブイ言わせてたって!!」
「ブイブイ…」
リューの顔がなんだかげっそりしている。
老人のブイブイしている姿を想像してしまったのだろうか。
「…とにかく、賢女アデルは流石としか言いようがない。精霊の民があんなことになったのは、政治や私利私欲に巻き込まれたからだって言われている。実際のところは分からないが…ルディアに、ここにあるような学問を学ばせたのは、ルディアに自分の身を自分で守れるような力を身に着けさせたかったからだろう。」
「………そんな、みんなが欲しがるような力は無いわ」
私は手元に目を落とした。また、あの苦い記憶が蘇ってくる。
「何でもできるわけじゃないの。それに、ある日できても、次の日には出来なくなる事もある。精霊は気まぐれなの。精霊がやりたくないことはできないわ。私は、ただ、お願いしているだけだもの。」
ぎゅっと手を握る。お願いしても、叶わないこともある。
「…リューが負ってた、致命傷だった傷や毒はは精霊のリュドリスにお願いして治せたわ。でも、呪いは治せなかった。それに……」
叶えたい願いがどんなに強かったとしても、ダメなものはダメなのだ。一番に叶えたかった願いは、結局最後まで叶わなかった。
「…おばあちゃんの病気は、治せなかったの。」
読んで頂いてありがとうございます。
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