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■■第四十一章■■
アユミの帰りを待つエリオットの心情は、戸惑いと後悔で、ひっきりなしに揺れていた。
座っていても落ち着かず、無駄にリビング内を歩き回るエリオットの様子に、ピアは困ったように口を開いた。
「大丈夫ですよ・・?一緒にいるのはカーティスです。アユミさんは決して危険な目に遭いません。」
そう声を掛けるのも何度目であろうか。
当然、ピアも不安を感じてはいたが、エリオットのそれとは比べ物にならないらしい。
「わかってる・・でも・・気になるんだ。
悪い予感がする・・。アユミちゃんは・・もう戻って来ないんじゃないかって・・」
トウヤの消滅を知り、不安に震えていた少女の姿を思い出すと、エリオットは堪らなく胸が痛んだ。
絶対に一人にしないと誓ったのに。絶対に自分が彼女を守るんだと・・決めていたのに。
エリオットの声は、傷ついたアユミに届かなかった。アユミはトウヤに会うために、出かけてしまった。
しかも、そこにアユミを連れて行くのは自分ではなく、カーティスだったのだ。
何一つ、彼女の力になれない自分が悔しかった。
エリオットはカーティスの万能さに嫉妬し、幾度も惨めな気持ちが自身を覆った。
――俺が・・居るから。絶対にアユミちゃんを一人にしないようにするから。
エリオットがそう伝えた時、アユミは彼の腕の中にいた筈だった。
僅かに顔を赤らめ、頷いてくれた筈だった。
アユミはエリオットを信じてくれたのに。エリオットはアユミの期待に応えるような事は何もできないのだ。
悔しくて、苛々して、情けなかった。
「エリオット・・?」
くしゃりと髪を掻き上げ、エリオットはその手で自身の顔を覆う。
ピアはエリオットの直ぐ傍にまで来てくれていた。
慣れない手つきでエリオットの髪を撫で、少しでもその心を癒そうとしてくれる。
ピアは本当に・・いつも、優しい。
「ピアちゃん・・俺、昨日ね。アユミちゃんに告白した。」
顔を上げられないまま、エリオットはそう零した。
「・・・え?」
顔を上げれば、彼女の心底驚いた顔が見られるのだろう。しかし、それを見る勇気はない。
エリオットはまるで独り言のように、唇から零れるままに言葉を紡いだ。
昨日、アユミと大賢者が並んで歩いてる様を見て、嫉妬したのだと。
アユミが自分以外の男の人と一緒にいるのが嫌で、取られるのが嫌で、思わずアユミに思いを告げてしまったのだと。
自分の痴態を晒すような気持ちで、エリオットは言った。
「・・なのに俺。何も出来ないんだ。」
搾り出したその声は、間抜けなほどに震えて響いた。
不意に、エリオットを撫でるピアの手が止まる。
「エリオット・・それは・・」
落ち着いた、穏やかなピアの声。
全てを話しきったエリオットは、一種の諦めを覚えて、顔を上げた。
しかし、ピアが続けて言ったのは、エリオットを諌める言葉でも、エリオットに呆れた言葉でもなかった。
「それは・・本当に。おめでとうございます。」
ふわり微笑んだ、ピアの綺麗な顔。エリオットは目を見開いて、それに見入った。
「立派になったんですね。私はずっと、貴方を小さい頃のままだと感じていましたが・・
誰かを守りたいと思えるほど・・成長していたのですね。
もうただの・・優しいだけの貴方じゃ・・なくなってたんですね。」
そう言って、ピアはエリオットの手を取った。
涙に濡れたその掌を、ピアの温かな体温がぎゅっと抱き締めた。
「・・・俺のこと。覚えててくれたの?」
ほんの少しだけ目を見開いて。エリオットは尋ねた。
驚いていた。それは遠い昔の出来事である。ピアとほんの僅かな期間だけを共に過ごした子供たちの中の一人、たったそれだけの存在でしかなかった幼い日のエリオットのことを、ピアは覚えていたというのか。
神童と呼ばれ、誰よりも早く、国からの引き抜きを受けたピア。
平凡か、それ以下の生き方しかすることができなかったエリオットとは、全くレベルの違う生き方をしてきたピア。
そんな彼女が、自分の事を覚えていてくれたなんて、思ってもみなかった。
「覚えてましたよ。ずっと、貴方に憧れていて。貴方を守りたくて。この旅に名乗りを上げたのです。」
幼い頃から大人以上の能力を認められたピアは、自然、子供でいられなかった。
周りの大人たちに負けないよう、背伸びをし、自分を取り繕って生きてきた。
素直な感情の表し方すら理解できないまま、大人になり急いだピアにとって、エリオットの無垢な姿は、何よりも眩しいものだった。
・・・自分の経験できなかった、幼い日々を、ピアはエリオットに重ねて経験していたのかもしれない。
ピアからそう告げられて、エリオットは胸の中に温かいものが満たされるのを感じた。
「・・・ありがとう。俺、ピアちゃんが居てくれて・・良かった。」
ピアの掌を握り返すと同時に、エリオットの瞳からぽろりと零れるものがあった。
「エリオット・・。アユミさんは優しい人です。エリオットの前から消えるようなこと、彼女はしません。
貴方の好きになった人を・・信じていてください。」
穏やかな声でそう言われ。エリオットは頷く。
――ガチャ・・
遠くで扉が開く音がしたのは、丁度その時だった。
「・・あ!」
小さく声を漏らし、ピアの手を放す。
互いに視線を交わして、二人玄関へ向かった。
最初にアユミが入ってきた。
ほっと息を付いて、アユミに駆け寄るエリオットの後ろで、ピアがカーティスのために因果律の壁に空洞を設ける。
「おかえり!」
エリオットは二人に声を掛ける。
「・・ただいま。」
先に返事をしたのは、カーティスの方だった。
いつもなら真っ先に明るい声で返事をくれるアユミが、今日はやけに静かだ。
というか、二人とも妙に表情が暗い。
「アユミちゃん・・?」
不安になって、アユミの顔を覗き込む。虚ろな瞳の少女は、青ざめた唇を震わせて立っていた。
「・・・エリオット。アユミを寝室へ。
先にピアと話してるから、直ぐに戻って来い。」
淡々とした声で、カーティスはエリオットに指示を出した。
エリオットも、アユミも、一度も見ようとしない彼の様子に只ならぬ危機感を感じる。
ピアを連れて、リビングへと消えた彼の後姿を確認し、エリオットはそっとアユミの肩に手を置いた。華奢な肩は細かく震えていて、エリオットが触れたことにすら気づいていない。
「・・大丈夫?アユミちゃん・・?何が・・あったの?」
床に膝を付き、アユミの瞳を覗き込んでみたが、そこには何も映っていないようだった。
ただ、唇から小さく零れる言葉があることに、エリオットはようやく気づいた。
『私は誰?私は誰?私は誰?私は・・・?』
「アユミちゃん!?」
驚き、咄嗟に強く、その両肩を掴む。
「しっかりして・・!何が起きたか・・教えて!」
不安に声が裏返りそうだった。そんなエリオットの言葉に、アユミはぼんやりと唇を開いた。
「エリオットさん・・私・・いなくなっちゃった・・」
少女の言葉の意味がわからなくて目を見開く。
何故か涙が溢れてきた。
――悪い予感がする。アユミちゃんがもう戻って来ないんじゃないかって・・
どうしよう俺・・その予感が、こういう形で実現するなんて・・思ってなかったんだよ。
「アユミちゃん!?」
不意にエリオットの腕の中に倒れこんだアユミは、そのまま寝息を立て、何も返事することはなかった。