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――プルルルルル・・・
時刻は正午も近い。皆に事情を話したアユミは、その視線が集中する中で、トウヤに電話をかけていた。
「・・出ないな。」
既に何回目のコールだろうか。トウヤの話では、もう寮に着いている筈の時間なのだが・・
まだ電話に出ることが出来ない状態なのか、はたまた、電話が鳴っていることに気づいていないのか。
「・・何か事件に巻き込まれていなければいいのですが・・」
自身の師匠でもある以上、心配になる心は人一倍強いらしい。ピアが不安そうな声を出した。
「うん・・そうだね。」
呟き、アユミはコールの音に耳を済ませる。
コールは、留守番電話に切り替わることも、電話局のアナウンスに変わることもなく、淡々と続いていた。
――プルルル・・ップ
「・・あ!」
遂に、コール音が途切れた。電話が切れてしまったのだろうかと焦ったが・・
『・・もしもし・・』
スピーカーから聞こえてきた声に、アユミは安堵の息を漏らした。
ピアに視線を送り、電話が繋がった旨を伝える。
「トウヤさんですか?すいません、話したいことがあって・・気づいているかもしれないんですが・・」
嬉々として言葉を紡ぐアユミの耳に、トウヤは篭るような低い声で言った。
『・・れ・・だ・・?』
「・・へ?」
明らかに様子がおかしい声色に、アユミは眉根を寄せる。
果たして、アユミの知るトウヤの声はこんなに低かっただろうか。
『アユミさん・・私は・・誰だ・・?貴女は・・誰だったんだ?』
「トウヤさん・・?どうしたんですか!?」
ざわりと鳥肌が立った。トウヤの様子が尋常でなく、おかしい。
尋ねるアユミに応えるように、スピーカーの向こうから、コポリと水が噴出すような音がした。
『トウヤ・・?誰・・?』
途端、プツリと電話が切れた。ツーッツーと鳴り続ける携帯を慌てて耳から離し、アユミは再度トウヤに電話を試みた。
数回のコールの後、直ぐに男の声が聞こえた。
『はい〜もしもし?誰だっけ?』
「・・っ!!?」
見知らぬその声に、アユミは反射的に電話を切る。
「・・アユミちゃん・・?」
事態が読めず、エリオットは不安げな視線を向けてきた。
「・・トウヤさんが・・」
呆然と、アユミはエリオットを見て、言った。
「トウヤさんが・・消えた・・」
全く見知らぬ男の声。なのにアユミは気づいてしまった。
あの男が・・トウヤなのだ。
因果律に歪められた、あの偽アユミのブログにコメントをしていた、偽トウヤ。
それが今の男だったのだ。
「トウヤさんが・・・」
アユミの知っていたトウヤが・・消えてしまった。
それ以上何も考えることができなくて、アユミは頭を押さえた。酷く、頭が痛かった。
トウヤが消えた。そして本物のトウヤが現れた。
じゃあ、自分はどうなるのだ?ブログにいた偽アユミと、アユミは入れ替わってしまうのだろうか?
激しく混乱していた。それ以上に、重い悲しみが襲い掛かってきた。
「トウヤさんが・・トウヤさんが・・・!」
アユミが憧れていた人。同じ高校の先輩として、優しいコメントをくれた人。
アユミのために手を貸してくれて、アユミの心を支えてくれた人。
アユミを一人にしないと言ってくれた人。アユミの・・初恋の人。
「トウヤさんが・・いなくなっちゃう!!」
見る見るうちに視界は滲んでいった。胸が痛くて、死んでしまいたかった。
「アユミさん・・!?」
驚き、立ち上がったピアは、震える手でアユミの肩に触れた。
「・・何が起きたの!?アユミちゃん?」
傍に駆け寄り、アユミの顔を覗き込んだエリオットは、少女の瞳に混乱以外の色を見つけることができなかった。
「・・っち!」
舌打ちをし、カーティスも席を立った。次の瞬間。
――ウォーーーーーーーーン
間近に、犬の遠吠えが聞こえ、三人は顔を見合わせる。
ベランダにいるポチだ。彼らの心に、さっと予感が過ぎり、言葉を交わすまでもなく同時に、ベランダに飛び出した。
そこには柵の向こうに向かい、遠吠えを続けるポチの背中。
そして柵の向こうから、ベランダを見上げているバイクに乗った一人の女の姿。
『・・・インフィニティ!』
三人は同時に、その名前を叫んでいた。
そしてその声が聞こえたのだろう。リビングに居たアユミが玄関へ駆けて行く音が聞こえた。
「・・アユミちゃん!!」
急いでその後を追おうとするエリオットを、ピアは食い止める。
「まって・・!結界を・・!」
急ぎ、印を組んだ指と呪文でエリオットの身体を囲む。
家を囲む因果律の壁に空洞を作ると、エリオットをそこから出した。
引き続き、カーティスに同じ術をかける。
「・・すまない。俺は・・あいつに会わないと・・!」
彼にしては珍しい程に、言葉は焦りに震えていた。
二人を玄関から送り出し、ピアは急いでベランダへと戻る。
既に眼下には、アユミとエリオットの姿があった。
インフィニティは優雅に頭に被っていたヘルメットを取り払い、ちらりとピアに視線を送った。
「・・っ!」
たったそれだけのことで、身体を強張らせてしまったか弱い少女に、インフィニティの興味は冷めたのだろう。直ぐに視線を目の前の二人。アユミとエリオットに向けた。
「・・さて、困ったわね。私はアユミちゃんを迎えに来ただけなんだけど。」
にこり微笑み、インフィニティは言った。
「・・・私?」
意外な言葉に、アユミの瞳には戸惑いが生まれてしまう。
「貴女は・・何を考えているんだ?」
睨みつけ、鋭く言い放つエリオットに、インフィニテイは僅かに肩を竦めて答えた。
「アユミちゃんが大賢者様のことを心配してるだろうと思って、迎えに来たのよ。
アユミちゃんだって、今直ぐに彼の元へ、行きたかったんでしょ?」
――・・何故、彼女がそんなことを知っているのだろう?
これは全て彼女の罠なのかもしれない。しかしそれでも、アユミは頷くしかなかった。
「行きたい・・!トウヤさんの所に・・連れて行ってくれるの!?」
縋るように、インフィニティに近寄ったアユミに、
「そうよ。そのつもりだったんだけど・・」
インフィニティは笑顔のままそう答え、視線をアユミの背後、建物の影に隠れてこちらの様子を覗っている男に向けた。
「どうせ貴方は許してくれないんでしょ。カーティス?」
咄嗟に振り返ったアユミとエリオットは、苦い顔でこちらに向かって歩いてくるカーティスの姿を見た。
「・・・お前の考えが読めない。」
カーティスが唸るように言うと、インフィニティはコロコロと笑った。
「読めない女だってミステリアスで良いじゃない。寛容に付き合える男じゃないと、女は逃げちゃうわよ?」
業と少女のような声色でそう甘えてみせ、インフィニティはバイクを降りた。
「カーティス。不安なら貴方が連れて行きなさい。貴方になら全て、任せられるわ。」
そう言い、インフィニティは愛しそうにアユミの髪を撫でる。
「インフィニ・・ティ・・?」
アユミはぼんやりと美しいその女性を見上げた。
「怖がらないで。私はアユミちゃんを守りたいだけ・・」
そう囁く彼女の笑顔は、ほんの少しだけ悲しそうに見える。
インフィニティは脇に抱えていた自身のヘルメットを、アユミに被せると、丁寧にアユミの首元へと固定した。
「行きなさい。行って、見てきて。全て、貴方のためになるから。」
まるで幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと、インフィニティの唇は言葉を紡いだ。
「・・アユミちゃん?」
恐る恐る、アユミに話し掛けようとしたエリオットを、カーティスが制した。
「アユミ。大賢者様の居場所はわかるのか?」
尋ねられ、アユミは頷く。
以前遣り取りしたメールの中で、トウヤは自身の大学寮の住所も、アユミに教えていた。
「大体なら・・わかると思う。後は現地に行って・・聞けば・・。」
カーティスを見つめ、そこまで答えた矢先。アユミの身体は宙に浮いた。
「・・へ?」
呆然と、アユミは自分が既にバイクの後部座席に座っていることに気づく。
どうやらカーティスに抱えられたらしい。
アユミの目の前で、カーティスが運転席に跨るのが見えた。
「・・っちょ!?カーティス!運転なんてできるの!?」
最もな疑問は、エリオットから投げかけられた。
「大丈夫だ。大体は、理解している。」
ゴゥンと、エンジンが掛かる音が響く。
「私のバイク・・傷つけないでね?」
にこり笑って、インフィニティが手を振ったのが見えた。
隣には不安そうなエリオットの顔、見上げれば戸惑ったようなピアの顔。
「・・カーティスさん・・私・・」
――やっぱり、行くのやめておきます。
そう言おうと口を開いた途端。
「行くぞ。」
カーティスの運転するバイクは地面を蹴り、走り始めた。
「か・・カーティスさん!本当に大丈夫なんですか!?」
耳元で唸る風の音に負けないよう、アユミは叫ぶように尋ねた。
「何がだ!!?」
同じく怒鳴るように返答するカーティス。
「そりゃ・・!運転が・・ですよ!!免許も持ってないのに・・!!」
幾らカーティスが万能だからとはいえ、彼が始めて乗ったバイクの後部座席に座るなんて、恐ろしすぎる。
ようは自分の我侭のせいでこんな事態が起きたわけなので、大変言葉にしづらいのだが。できれば、アユミはもう降りたかった。
「免許か・・確かに。俺が持ってるのは王国が認める殺人免許だけだな。」
カーティスの返事は、比較的小さな声だったのだが。それをはっきりと聞き取ってしまった自分が悔しい。
「・・・こ・・殺される。」
物騒な免許の名前から、アユミは自らの死を覚悟した。もう駄目だ。私今日死ぬのかも。
・・しかしアユミのそんな心配も虚しく、カーティスの運転は比較的安定していた。
一度街中を歩いただけなのに、道路を使う車の法則もある程度理解してしまったらしい。
最初のうちはアユミに標識の意味を尋ねていたが、その回数も徐々に減って行き。しまいには熟練ドライバーのような落ち着きさえ見せ始めた。
「カーティスさんって・・凄いや。」
ぼそり、呟く。当然その声がカーティスに届くわけはない。
アユミの頭は次第に、トウヤの大学がある地域までに向かう道のりを考えることでいっぱいになった。
途中でコンビニに寄り、地図を見せてもらう等して、それなりに人の助けも借りたが、十五時を回る頃には、アユミはトウヤの通う大学まで辿りついていた。
「・・この通りの・・裏にあるみたいですね。」
すっかりカーティスの運転に慣れたアユミは、大学に通う学生の一人に描いてもらった地図を片手に、カーティスに指示を出していた。
「裏か・・。」
カーティスは巨大なバイクをヒラリ翻し、通りの角を曲がった。
・・・大型二輪筈なのに、カーティスの体格と比較すると、一瞬中型二輪に見えるから不思議である。
今ではすっかり身体に馴染ませてしまったバイクを操作し、器用にウィンカーまで付けて、カーティスはバイクを道の脇に止めた。
「・・この建物・・みたいですね。」
アユミのアパートよりもずっと新しい、鉄筋コンクリート仕立ての四階建て。
トウヤのメールにあった住所と一致するのを確認して、アユミとカーティスはバイクから降りた。
「ここのニ○六号室らしいですから・・二階ですね。」
携帯片手に階段を上るアユミの後から、カーティスの背の高い影が続く。
「・・・何の気配もしないな。」
背後で、低く呟く声が聞こえて、ビクリと肩を震わせる。
「それって・・やっぱり・・大賢者様が消えたってこと・・?」
振り向くことすら怖くて、アユミは真っ直ぐ前を見つめた。
ニ○三・・二○四・・・二○六・・ここだ。
「・・ああ。恐らく。」
呟くカーティスの声からは、何の感情も読み取れない。
自分を殺しかけた大賢者のことを、カーティスは一体どう思っているのだろう。
震える手で、トウヤの部屋のインターホンを押そうとしたアユミの前で、突然、ニ○六号室の扉が開いた。
「・・・!!」
驚き、扉から退いたアユミの前で、扉に手をかけたまま、一人の男がきょとんと立ち尽くしていた。
銀色にブリーチをかけた髪は、首周りを覆うほどに伸びきり、根元に黒い地毛が現れ始めている。
歳の頃は二十歳くらいだろうか。顔自体は割りと整っている方で、なんとなく、トウヤに似ているような気はするが、彼に比べてこの男は品格がないというか、一言で言うならオーラがない。緩い室内貴姿は、ちょっと近所に煙草を買いに行こうとしただけと言わんばかりだ。
「・・・え?誰?」
何故か自宅の前に立ち尽くしている、黒髪の少女と、やたら背の高い強面の姿に、男はすっかり肝を冷やしてしまったらしい。
声が僅かに裏返っていた。
「あの・・この家って・・トウヤさんの家ですか?」
突然出てきたこの見知らぬ男の姿に、アユミも驚きを隠せないまま、尋ねた。
よく考えてみれば、トウヤという名前は本名でないのだから、そう尋ねても意味はないのに・・
「トウヤ・・?」
男はその名前を繰り返し、マジマジとアユミの顔を見た。
「確かにそれ・・俺がネットで使ってる名前だけど・・なんで知ってるの?」
――・・え!?
その意外な言葉に、今度はアユミが男の顔をマジマジと見つめる番だった。
「・・・ていうか君さ・・え?」
飽きもせずにアユミの頭の先から足の先までをじろじろ見つめながら。男は眉根を寄せた。
『・・ちょっと〜。コウノスケぇ?どうしたの〜?』
不意に、部屋の向こうから女性の声が聞こえた。
今まで寝ていたのだろうか、声質が若干甘ったるい。
「・・・コウノスケ?」
聞き覚えのある名前に、アユミは記憶を探った。
確か・・この名前もトウヤから聞いていた筈だ。トウヤの・・唯一の友人・・その名前が・・コウノスケ。
そのコウノスケの横に今、一人の女性が顔を突き出した。
ホットパンツにキャミソール姿のまま、顔を突き出した茶髪のお姉さんは、寝起きの筈なのに、薄っすらと化粧をしている。歳は幾つかわからないが、色気のある人だと感じた。
「・・え?誰?」
その色っぽい声で尋ねられ。アユミはわたわたとカーティスに視線を向けた。
この事態は想定していなかった。なんと答えればいいのだろうか。
その助けを求めるつもりで、カーティスを見たのだが・・
「・・・これは・・」
低く呟くカーティスは、目の前のお姉さんとアユミの姿を、交互に見つめるばかりだった。
気がつけば、コウノスケも、アユミとお姉さんを見比べているし、お姉さんのほうも、アユミから視線を離さない。
「???」
この場で唯一、事態が理解できないアユミは、困ったように目の前のお姉さんに視線を戻した。
お姉さんは、あんぐりと口を開けて、言った。
「貴女って・・ドッペルゲンガー?」
言われて気がつく。アユミは、このお姉さんと瓜二つだったのだ。
「え・・?何これ・・?」
戸惑うアユミの腕を、伸びたカーティスの腕が捕らえた。
「帰るぞ・・。」
彼はアユミのわからない何かに気づいたようだった。
見上げるカーティスの横顔が、苦く歪んでいて。アユミは急速に不安が高まるのを感じた。
――・・どういうこと?あの女の人は誰なの?トウヤさんは?
『・・おいアユミ、お前姉妹いたのか・・?』
遠くから聞こえてくる二人の会話が嫌でも耳に入る。
アユミ・・。コウノスケは今、隣に居る女性をアユミと呼んだのか?
『・・知らないわよ。お父さんから何も聞いてないもん。』
困ったように答えるその声は、既にしっかりと発音されているもので・・
アユミは気づいた。これは自分と同じ声だ。
「カーティスさん・・?」
縋るように、自分の腕を引っ張り歩き続ける男を見上げた。
「カーティスさん・・ねぇ!」
彼が何か、アユミを救うような説明をしてくれるのを願って、何度も名前を呼んだ。
なのに、カーティスは一言も答えない。
震えるアユミをバイクの後部座席に座らせ、カーティスは無言のまま、エンジンをかけた。
そうして家に辿りつくまで。カーティスは一度もアユミを振り返らなかった。




