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■■第三十九章■■

――・・困ったな。

 家に着いた途端、アユミどころかピアやカーティスにも何一つ声をかけることなく、真っ直ぐにベランダに向かったエリオットは、それから一時間は経過しようという今に至っても、そこから出てこようとはしない。

 エリオットとは話をしなくては、と思うのだが、アユミは未だリビングから動けないでいた。


『・・何か、悩んでいるのかもしれません。

 エリオットは昔から、何か困ったことがあると高い場所に行きたがりましたから。』

エリオットの様子を心配し、アユミにそう耳打ちしてくれたピアも、今はここにいない。

 何やらカーティスと話があるとかで、今はアユミの母の寝室に二人で篭っている。

カーティスが倒れて以降、あの二人は一緒に過ごす時間が増えているような気がするのだが・・

何かあったのだろうか。と、余計な心配をしてみたり。


「・・はぁ。どうしようかなぁ・・」

 アユミは一人溜息をつき、テーブルに臥した。

なんとなくだが、エリオットが怒っている原因は自分にあるような気がしてならない。

 エリオットは、彼に黙って一人大賢者に会いに行ったアユミに腹を立てているのだ。


・・確かに、エリオットに隠し事をしていたのは悪かったとは思うが・・


「・・でも、トウヤさんが大賢者様だなんて、私知らなかったわけだし。

 別に私が危険な目に遭ったわけでもないのに・・なんであんなに怒っちゃったんだろう?」

 ぼそり、呟く。エリオットの内心の事情を知る余地もないアユミからすれば、エリオットの怒りは意味がわからなかった。

自分に不備があったのであれば、謝りたいのだが、今のアユミには、一体何を謝ればいいのかもわからない。

「はぁ・・」

 再度溜息を着いて、アユミは立ち上がった。

いつまでもこうして悩んでいたって始まらない。とりあえず当たって砕けろで、一度話しかけてみようと決心し、そろそろとベランダに近づいた。

 ガラリとガラス戸を開ければ、そこにエリオットはいた。


モフモフモフモフモフモフモフモフモフ・・

 エリオットは無心にポチの首周りの毛を撫でていた。


「わん♪」

 アユミの登場に気づき、ポチは振り返り、尻尾を振る。


――あらあら、随分幸せそうだこと・・。

 無表情でひたすらポチを撫でているエリオットの姿に、アユミは微笑ましい気持ちと気まずい気持ちの両方を感じ、口を開く。


「あの・・エリオットさん?なんかごめん。私のこと・・怒ってるんだよね?」

恐る恐る、言葉を選びつつ言った。

 そんなアユミににも、エリオットはふるふると首を横に振るだけで、やはり無言だ。

いよいよ持って、エリオットの様子はおかしい。

「エリオットさんたちに黙って・・大賢者様に会ったことは、本当反省してるよ。

 でも私も、まさか今日大賢者様に会うことになるなんて思ってもいなくて・・」

エリオットの隣にしゃがみこみ、そう話しかけるアユミに、

「・・違うんだ・・」

 とても小さな声だったが、ようやくエリオットは返答した。


「違うって?」

 きょとんと首を傾げ、エリオットを覗き込むアユミに、エリオットはゆっくりと視線を向けた。

エリオットは怒っているものとばかり思っていたから、その瞳が潤んでいる事実に少なからず驚く。

「・・ごめんアユミちゃん。俺・・どうかしてた・・大賢者様にあんなこと・・」

 くしゃりと頭を掻き、エリオットはその手でそのまま、自身の顔を覆った。

「何でだろう・・俺・・」

項垂れるエリオットの姿に、アユミの胸は痛んだ。

 傷ついているのだ。アユミが見た、別れ際のトウヤと同じように、エリオットは泣いているのだ。


「エリオットさん・・」

 震えるエリオットの背中が切なくて、アユミはそっと彼の背を撫でた。

ポチもエリオットの異変に気づいたのか、不安そうな瞳を持ち上げてくる。

「俺・・どうしよう・・アユミちゃんを嫌な気持ちに・・させて・・ごめん。」

 しゃくり上げるように零すエリオットの言葉に、アユミは首を振って言った。

「何言ってるの?辛いのは・・エリオットさんなんでしょ?」

エリオットを辛い気持ちにさせてしまったのは自分が原因で、エリオットは何も謝る必要ないのだと。

アユミはそう言って何度もエリオットの背を撫でた。

 こんな時にまで、アユミの気持ちを考えようとしてくれるエリオットの優しさが、悲しかった。

「違う・・俺・・どうしよう。」

 首を振り、エリオットは言った。顔から手を放せないまま、苦しそうに。


「俺、アユミちゃんを・・大賢者様に取られるんじゃないかって考えて・・怖くなったんだ。」

エリオットはゆっくりとその顔から手を放し、彼の二つの青い瞳はアユミの時を止めた。


「・・・え?」

 随分と間が空いてから、驚きを呟いたアユミを、エリオットの腕は抱き竦めていた。

アユミの視界からエリオットの姿が消えて、空が赤い。


「アユミちゃん、俺・・君のことが好きなんだ。」

 耳元で、エリオットの声が聞こえた。


「最近・・なかなかアユミちゃんと話せなくて、寂しかった。

 アユミちゃんが俺たちに何か隠してるのは気づいてたけど・・

 どうすればいいのか・・俺わからなくて・・」

エリオットの声は透き通っていて、真っ直ぐで。少しだけ震えていた。

「アユミちゃんは今日・・いつもより可愛い格好してて・・

 それで大賢者様と会って・・大賢者様触れられて顔赤くなってて・・」

――・・え?そんなに赤面してたの私?

 改めて言われると急に恥ずかしくなってきた。

「・・・俺、それが凄く嫌だった。だから俺・・あんなこと・・」

「・・エリオットさん。」

 全てを話し、ようやくアユミから身体を離したエリオットの顔は、真っ赤だった。

そんな顔を隠すように、再び手で顔を覆ったエリオットの姿に、アユミの心に小波が立った。


――・・どうしよう?

 胸に積もり始めた混乱が渦巻く中、アユミは自身に問う。

今のエリオットの言葉、いわゆる告白というやつではないのか?

普段からその手の話題には鈍いアユミでも、流石にこれほどはっきり伝えられてしまえば、認めるしかなかった。

 エリオットは今、アユミに真摯な恋慕の気持ちを伝えてくれた。

エリオットがそんな風に思っていてくれたなどと、今まで考えたことも無かったアユミは、必死でこれにどう対応するべきか考えた。

 アユミはこれに答えなくてはいけない。・・ではなんと?


「・・・ごめん。アユミちゃんの気持ちも考えずに・・勝手にこんなことして。

 忘れてくれて・・いいから。」

アユミの沈黙に耐え切れず、その場を去ろうとしたエリオットを、

「・・待って!」

アユミは咄嗟に立ち上がり、手を掴んで止めていた。

 なんだか無性に泣きたい気持ちがした。


「謝らないでよ・・!エリオットさんが話してくれて、私、嬉しいよ。

 でも・・私に応えられるわけ・・ないじゃない。」

驚きに目を見開くエリオットを、アユミは見つめ返す。

「私たち・・住んでる世界が違うんだよ?絶対にいつか離れちゃうんだよ?

 ・・それなのに好きになるなんて・・辛いよ。」

 掴んだ手を、放すことが出来ないまま、アユミは俯く。

こんな時なのに、脳裏に浮かんだのはトウヤの姿だった。


「・・うん。辛い。」

 その言葉に、アユミは顔を上げる。今にも泣き出しそうな瞳で、無理に笑ってみせるエリオットの顔があった。

「アユミちゃんと離れる日が来るなんて・・思いたくない。

 大好きなんだ・・アユミちゃんのこと・・。」

そう言って、いつものようにアユミの頭を撫でるエリオットの手は暖かくて・・アユミは気づいた。

 いつか来る別れの日を恐れているのは、アユミだけではなかったのだ。

アユミに想いを寄せてくれるエリオットも、同じ苦しみを感じていたのだ。


「エリオットさん・・私・・」

 アユミは決意して口を開く。エリオットにだけは、話して良いのかもしれない。

アユミがこれまで不安に感じていたこと。インフィニティである伊藤のお姉さんへの想い。

そして・・連絡が取れなくなっている母親のことも。

 アユミが話し始めると、エリオットは真剣にその一言一言を聞いてくれた。

もしかしたら、アユミが話したことでエリオットは自分を責めてしまうかもしれない。

アユミはそれを心配して、今まで話すことが出来なかったのだが。

エリオットは自責に苦しむ以上に、アユミの本心を聞けたことに対する喜びを表してくれた。


「・・・ずっと、一人で悩んでて、どうすればいいのかわからなくて。

 そんな時に、トウヤさんからメールが来たの。」

 アユミがそこまで話すと、エリオットは驚いたように目を見開いた。


「トウヤ・・。以前俺たちの探索に協力してくれた人だね?

 彼とはもう・・連絡を取らないものだと思っていたんだけど・・」

その言葉に、アユミは頷いて続けた。

 トウヤが未だアユミの身を心配していると伝えてくれたこと。

そして突然、会いたいと言われ、今日呼び出しを受けたこと。


「・・そしてそのトウヤの正体が・・大賢者様だったっていうわけ?」

 ぽかんと口を開け、そう言うエリオットに、アユミは再度頷いてみせた。

「今日はずっと、色んな話を聞かせてもらったよ。

 大賢者様がどれだけエリオットさんを大切に思っているかも・・わかったつもり。」

そう言って、戸惑いを浮かべるエリオットの瞳を見つめ返す。

 トウヤからの話も聞いたし、『SYNAPSE FANTASIA』の小説も読んだ。

アユミは既に、エリオットと大賢者の間にある絆に気づいていた。

 トウヤはエリオットのことを、まるで自分の息子の話をするように嬉しそうに語った。

それを知っていたからこそ、アユミは先程の二人が再会した姿に、深い悲しみを覚えたのだ。


「俺・・大賢者様に謝らないと・・。」

 俯き、呟いたエリオットに、アユミはふわり笑って言った。

「うん。その時は一緒に行ってあげる!きっと、大賢者様も喜ぶと思うよ。」

その言葉で、ようやくエリオットは笑顔を取り戻した。


「・・ありがとう。アユミちゃんは本当に、俺を元気付けるのが上手いね。」

 しみじみとした口調でそう言いながら、エリオットの手は再びアユミの髪を掬った。

「へへ・・そうかな?」

誉められているようなので、照れて笑うと。エリオットはようやく、その顔にいつもの無邪気な笑顔を見せた。

「うん。だっていつか・・俺が学校でサッカーの試合に出させてもらった時、アユミちゃんが応援してくれたから俺・・シュート決められたんだよ。」


 最初、大崎少年にアユミが声援を送ったことが悔しかった。

思わず熱くなって、ボールを追いかけたが、ずっとアユミのことが気になっていた。


「だから俺、シュートする前にアユミちゃんの方見たの。

 子供っぽいだろうけど・・俺もアユミちゃんに応援して欲しくてさ。」

 あの後アユミの声援を受けたのが嬉しくて、ボールを蹴る足に力を入れすぎてしまったのだと。

エリオットはそう言って恥ずかしそうに笑った。

「そ・・そうだったんだ。凄いシュートだったもんね、あれ。」

エリオットの照れが移ったのか、アユミも急に恥ずかしくなってエリオットから目を離し、俯く。

 あれ。なんだか顔が熱いぞ。

こう真っ直ぐに好意を告げられるのは、嬉しいと同時に、やはり恥ずかしかった。


「あ・・。サッカーといえば・・」

 ふと、アユミは思い出すことがあって、顔を上げる。

「オザキっちたちの試合がね、十四日・・明後日あるんだって! 

 私、見に来いって言われててさ。エリオットさんも一緒に行こうよ!」

本当は、話を聞いて直ぐに誘うつもりだったのだが、あの後は色々あって、伝えるのを忘れていた。

「・・へぇ!いいな。俺も行きたい!」

 案の定、嬉しそうに誘いに乗ったエリオットの姿に、アユミは幸せな気持ちで微笑んだ。

空の端に夕日が溶けていく中、アユミは思った。こんな時間がずっと続けばいい。


 しかし、そんなアユミの願いも虚しく。

アユミのポケットの中で、携帯のメール受信音が、鳴った。


『FROM:トウヤ

SUBJECT:突然ですが。

 今日はアユミさんに会えてよかった。お互いに有意義な時間になったと思います。

 そして突然ですが、私は明日、大学の寮に戻ることにしました。

 しばらくはこちらに戻らないつもりです。』


「・・・え?」

 メールを読み、アユミは目を見開いた。

本文には引き続き、ゼミ別に行われるプレゼンテーションの準備がある旨が書かれていたが、アユミの頭は真っ白になり、続きの文章が読めなかった。

「どうしたの・・?」

 不安そうにアユミを覗き込み、エリオットは尋ねる。


『何かあれば、いつでも連絡してください。私はアユミさんの味方でありたいのです。』


 かろうじて、最期にあるその一文だけは理解できたが、アユミの携帯を持つ手は震えていた。

「そんな・・トウヤさんが・・」

震える唇で、アユミは呟いた。


――トウヤさんが・・いなくなってしまうなんて。


「私・・どうすれば・・いいんだろう?」

戸惑いに涙が溢れた。トウヤは別に、この世界から消えてしまうわけではない。

そのことはわかっているのだが・・

今トウヤが遠くに行ってしまうと、もう二度と会えなくなるような気がするのだ。


「アユミちゃん。」

 不意に何か決意したように表情を変えて、アユミの肩に腕を回した。

「・・・へ?」

涙もそのままに、アユミは驚いてエリオットの顔を見上げる。

アユミを胸元に引き寄せた体勢のエリオットは、真剣な顔を耳まで真っ赤に染めて言った。


「俺が・・居るから。絶対にアユミちゃんを一人にしないようにするから。」

たったの一言に、彼はどれほど勇気を出してくれたのだろうか。


「・・・ありがとう。」

エリオットの言葉が嬉しくて、嬉し過ぎて。アユミは彼の目を見ることができなかった。




 


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