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■■第四十章■■
早朝六時。バス停でその日の始発を待つトウヤは、来た時と同じ格好で立っていた。
赤いキャップ帽子にキャスター付の鞄を下げ。先程からずっと、携帯を耳に当て、話し込んでいる。
『・・じゃあ、こっちに着くのは十時くらいか。
着いたら連絡しろよ?今日は俺バイトもねーし。久しぶりに遊んでやっからよ♪』
「はいはい。楽しみにしてるよ。」
電話の相手は学友のコウノスケで、彼はトウヤの人格に変化があったことにも気づかず、相変わらず暢気な友人であり続けてくれた。
過去のコウノケが定期的に行っていた彼との連絡も、今のトウヤは欠かさずやっている。
今後の策を案じなければならない緊迫した日々の中で、コウノスケとの会話は良い息抜きになると感じていた。
低い排気音が聞こえ、トウヤは顔を上げる。
朝の薄い日差しの中で、始発のバスがようやく到着したようだった。
「それじゃ、これからバスに乗るから、切るよ。」
そう言い、軽い挨拶を交わした後に電話を切る。
ふぅと息を吐くトウヤの目の前で、停車したバスはゆっくりと扉を開けた。
荷物を抱え、ステップを越える。まだ車内に人気はないようだ。
適当に二人掛けの椅子を選び、トウヤは荷物と共にそこにかけた。
動き出したバスの中で、窓の向こうの景色を見やる。
改めて思う。短い間だったが、久しぶりの帰郷はトウヤに多大な影響を残したものだ。
「運命までも・・変わってしまったんだからな。」
そう呟いてみると、なんだか随分大事になってしまったようで、可笑しい。
誰も見ていないのを理由に、一人クスクス笑いを零すと、トウヤは再び携帯を開いた。
今出発した旨をアユミに連絡しようと思ったのだ。
昨晩、アユミとは数回遣り取りしたが、彼女はトウヤが自分の傍を離れることを幾らか心細く思っているようだった。
一応、互いに電話番号の交換も済ませているが、今は早朝だし、一応バスの中である。
トウヤはメール作成画面を開き、アユミに対してメールを打ち始めた。
『おはよう。こちらは今バスの中です。そちらの様子に変化はありませんか?
起きたら、連絡くださいね。』
そう送信し、携帯を閉じる。窓の向こうの景色は飛ぶように変わって行った。
閑静な住宅街から、あと数時間もすれば多くの人で賑わうのであろうアーケド街の交差点。
トウヤは、ふと頬を緩めた。
アユミが教えてくれたのだが、エリオットは一度、この通りを歩いたらしかった。
何事にも真っ正直に反応してしまう彼のことだ。自分たちの世界ではありえない、この世界の建物や雑貨に、戸惑い、興奮していたのだろう。
そんな彼の隣を歩いてみたかったような気がして、残念だ。
昨日トウヤに敵意を剥き出しにしたあの様子は、後程アユミに尋ねたところ、ただのヤキモチだったらしい。
いずれエリオットからは心底嫌われる日が来るのは覚悟していたつもりだが。
それでも、ああして面と向かって嫌悪感を出されると、仮にも彼の育ての親としては傷つく。
らしくないほど戸惑ってしまったあの時分の記憶を手繰り寄せ、トウヤは再度笑った。
――ピピピッ♪
「・・っと。」
どれだけの時間ぼうっとしていたのだろうか。バスは今、真っ直ぐに伸びる国道を走っている。
メールの受信を知らせる携帯を取り出し、新着メールを開けば、そこにあるのは少女の名前。
思っていたよりも早い返信の理由は、アユミ曰く、昨日からの眠りが浅かったからだそうだ。
一日の間に様々な出来事を体験して、神経が冴えてしまったのだろうか。
「・・しかし。エリオットが告白するとはね・・」
小さく呟いてみたら、自然とニヤニヤ笑いが止まらない。
昨日、あの後アユミと遣り取りたメールの内容の大半が、エリオットに関するものだった。
エリオットがアユミに伝えた、初々しい想いの話は、エリオットには悪いがアユミから聞き出させてもらった。
色恋沙汰などから遠く離れた年寄りの楽しみとして、彼には勘弁してもらいたい。
しかしながら、あのエリオットも辛い恋をしてしまったものだ。
可哀想だが、二人の別れの日は必ず来るだろう。
トウヤは暫くの間、アユミとのメールを楽しんだが、直に携帯の充電の方も危なくなってきた。
『ごめん。充電がヤバイから、しばらく返信できない。
寮に着いたら、久しぶりにブログにコメント入れるから。何か新しい記事上げておいてよ。』
そうメールを送信する。
今のアユミは何よりも、トウヤと関わりたがっている。
アユミの身近にいるエリオットたちの状況が非日常的な変化を見せる以上、一見何の変哲もない日常を送っているように見えるトウヤの存在は、彼女にとって自身が失いかけている日常の手掛かりになっているのだろう。
ブログに記事を書くよう勧めたのは、アユミのこれまでの習慣を思い出させ、彼女に少しでも安らいで欲しかったからだ。
――ピピピッ♪
しばらく待つと、彼女から了解の旨が届いた。
トウヤはその文面に安心して、携帯を閉じ、窓の外を見る。
「・・・ん?」
思わず、窓枠に身を乗り出した。
今もバスは真っ直ぐな国道を走っている。そしてバスが走る隣の車線、そこには見覚えのあるアメリカンバイクの姿があった。
乗っているのはライダースーツに身を包んだ、華奢な女性だ。
「まさか・・!?」
窓を開けたトウヤに、バイクに乗った女はひらひらと手を振って見せた。
黒の全身つなぎに真紅のライン、コテコテのライダースーツ姿である。インフィニティはあんな衣装まで持っていたのかと呆れた。
・・というか、彼女は一体何のつもりなんだ?
辺りに他の車の姿がないのを良いことに、バイクをバスに寄せ始めた彼女の運転に、トウヤは人事ながらも冷や汗が出た。
「・・おい!無茶するな!」
トウヤの声は、異変に気づいたバスの運転手のクラクションによって阻まれた。
しかしそれらを全く意に介さず、トウヤの座席の真横に並んで走るインフィニティは、ふとその顔をこちらに向けた。
フルフェイスのヘルメットの奥で、彼女がニヤリと微笑んだのが見えた。
瞬間、彼女の手の先から、トウヤに向かって何かが飛び出す。
「・・!!?」
ポスリと軽い音を立て、トウヤの膝の上に落ちたそれを確認する間に、インフィニティはヒラリとバイクを翻し、反対車線に入ってしまった。
「随分・・危ない運転をするんだな。」
リカと違って、インフィニティはこの世界の道路交通法を知らないのかもしれない。
そんな予感を感じつつ、開けた窓を閉め。トウヤは再び、インフィニティの投げた物体に目を遣る。
それはトウヤの掌に収まる程に小さい、黒い・・布袋のようだった。
眉を潜め、袋を裏返してみる。そこには、金色のペンで書き込まれた元の世界の文字列があった。
『大賢者様へ捧ぐ。
貴殿の身に異変が及びし時、この袋を開け。
その時貴殿は、この世で最大の神秘を目にするだろう。』
「・・全く。あいつは何を考えているんだか・・」
そう呟いて、袋はポケットに仕舞う事にした。
見れば、辺りの景色は国道を抜け、街中の入り組んだ道に差し掛かっていた。
ほんの少しだけ睡眠をとらせてもらうと、トウヤの大学がある街は直ぐだった。
市内のバスターミナルで一旦降り、後は大学寮付近の停留所へ向かうバスに乗り換えるだけだ。
ターミナル内に降り立ったトウヤは、周囲を見渡して首を捻った。
コウノスケとは、ここで待ち合わせをしておいた筈なのだが。彼の姿が見当たらない。
ポケットから携帯を取り出し、コウノスケに電話を掛けてみる。
コール回数七回。コウノスケが出る気配はない。
「・・ったく。迎えに来るって言ってたのによ。」
ぼやき、トウヤは電話を切った。
どうせコウノスケのことだ、急な用事でも入れてしまって、約束のことなど忘れているのだろう。
待つ必要もないと判断し、トウヤは乗り換えのバスが止まる乗り場を目指し、歩き始めた。
・・・十一時五十分。
トウヤの乗るバスが、ようやく大学寮に辿りついた時、太陽の位置は充分に高かった。
久しぶりに見るコンクリート仕立てのアパートを見上げ、トウヤは息を吐いた。
新たな人格を得た今でも、やはりトウヤの最も寛げる場所はこの寮だ。
大学に入って二年間、ここで生活しているうちに、実家よりもこちらに馴染んでしまっていた。
携帯のストラップ代わりにしていた鍵を取り出し、二階にある自分の部屋の扉を開ける。
二週間近く留守にしていたこの部屋だ。さぞかし蒸し暑くなっているだろうなと予測していたのだが。
意外にも、トウヤを迎え入れる空気は涼やかだった。
「・・・??」
靴を脱ぎ、部屋に踏み込む。まるでつい先程まで冷房が効いていたかのような涼しさだ。
部屋は八畳一間のシンプルな構成。玄関から真っ直ぐに伸びた廊下の先にある部屋が唯一の生活スペースである。
その部屋に続く扉を、何事だろうかと訝しむ気持ちで開く。
ギィという低い音と共にトウヤの視界に飛び込んできたのは、ベッドと板張りの床の上に散乱する衣服。その中には明らかに女物も混じっており、当然ながら、トウヤに見覚えのない物ばかりである。
「・・誰か、俺の留守中勝手にこの部屋に入ったのか?」
明らかな人の形跡に、口に手を当て、考えてみる。
この部屋の鍵は、一階に住む寮母に頼めば貸してもらえるだろう。
つまり、この部屋の侵入者は、何らかの理由をつけて、寮母を騙し、合鍵を作ったのだろう。
そしてそんなことをしそうな人間は、トウヤの知る限り一人しかいない。
「・・・コウノスケか。」
心当たる名前を呟き、トウヤは顔をしかめた。
人の住処に平気で押し寄せる彼の性質は知っているし、それを踏まえた上でつきあっているので、今更、こういう有様に驚くつもりはないが・・
それでもせめて、毎日電話していた以上、許可を取る一言は欲しいところだった。
「どうせ・・何かやましい事情があったんだろう。」
溜息をつき、あたりに散らばる服を片付ける。中に女性物の下着が混ざっていたのにはぎょっとしたが。まぁこれも、一々騒ぐつもりはない。
ただ一言だけ、コウノスケに文句を言ってやろうと思い、トウヤは携帯を取り出す。
――プルルル・・・
七回コール、出ない。十五回コールでない。二十回コール・・・
「・・っち。何で出ないんだよ・・」
舌打ちをして、電話を切ろうとした。
ボタンを押そうとして携帯画面に視線を遣る。
――・・・ん?
違和感に気づいて、眉を潜めた。
携帯画面には今、コール先の電話番号が表示されている。
それは良いのだが、その電話番号の上に、何の表示も見当たらないのだ。
コウノスケの電話番号は、携帯内の電話帳にも登録してある。
なので、彼に電話をかけてる以上、今携帯の画面には彼の名前が表示されている筈なのに、それがない。
「・・おかしいな。」
電話を掛ける相手を間違えてしまったのだろうか。
――プルル・・ップ
「・・・!!」
突然、コール音が止まり、電話の向こうに、誰かが出た気配がした。
慌てて携帯を耳に当てる。
「・・・もしもし?」
誰に繋がったのかも解らないまま、恐る恐る尋ねてみた。
『・・もしもし?』
スピーカーの向こうから返ってきたのは、紛れもない自分の声だった。
背筋に冷たいものが走って、トウヤは思わず電話を切る。
「・・何だったんだ?」
今のは、何かの間違いだったのだろうか。
しかし、再度コウノスケに電話をしようという気にもなれず。
トウヤは気晴らしにと、久しぶりに自室のパソコンの電源を入れた。
床に置いた卓袱台の上に乗っているのは中古屋で買ったiMacで、大学に入ってからはずっと愛用している。
起動音が響いた後、久しぶりに見るデスクトップが浮かび上がった。
トウヤはマウスを動かし、インターネットプラウザを立ち上げる。
アユミはもう、新しい記事を書いただろうか。
ブックマークリストからアユミの管理するブログのURLを選び、トウヤはブログに入った。
「・・・ん?」
そして再度、トウヤは眉を潜める。
アユミのブログには新着記事が上がっていた。確かにそれはつい先程更新されたばかりの記事だった。
おかしいのは、それ以前の更新も頻繁になされていた事だ。
トウヤが帰省していた八月五日から本日八月十三日に至るまで、アユミは毎日、ブログを更新していたようだった。
「・・おかしいな。コウノスケのやつ、一度もブログは更新されていなかったって・・言ってた筈なのに。」
呟き、トウヤは最新記事に目を通した。
『8月13日
TITLE:THE☆ショッピング
わっほい♪今日は待ちに待ったショッピングDAYです!
ブログで知り合ったAYAMEさんと、悪友のみっちーと一緒に出かけるんだZE☆
楽しみで、今日は早起きしちゃったZE☆
いってきま〜す。でわでわ☆』
「・・・・・・・は?」
読んだ。視線を数巡りさせて読んだ。
しかしそこにある文体は、トウヤが良く知るアユミのものではなかったし、そこに書かれている出来事も、トウヤが知るアユミの現状とはかけ離れているものだった。
ブログのデザイン事態も、やたらとキラキラしたデコレーションの施された少女趣味なものに変わっているが、確か、アユミのブログはもっとシンプルで落ち着いたデザインだった筈だ。
一瞬、ブログの管理人がいつの間にか変わってしまったのかと勘ぐったが、プロフィールを探したところ、そこには確かに、『アユミ・16歳』の文字があった。
意味がわからないまま、ブログの文末までスクロールさせたトウヤは、そこに書き込まれたコメントを見て、固まった。
『FROM:トウヤ
はいはい。いってら〜☆』
画面に顔を寄せ、何度も瞬きをしてみる。因果律の歪みなのだろうか。
そうだとしても、これは余りにも意味がわからない。
「・・・・っ!?」
不意に、トウヤは視界が揺らぐのを感じた。
体中に激痛が走り、耐え切れずトウヤはその場に臥す。
「・・ぅ・・あ?・・」
唇から悲鳴が零れる。一体自分の身に、今何が起きているんだ?
・・考えるまでもないことだった。大賢者であるトウヤにとって、これは見慣れた現象の筈だった。
異世界に行った旅行者が突然苦しみ出す姿。大賢者は自身の行う実験の中で、幾度もそれを見てきた。
幾度も幾度も、その苦しみに震える少年の姿を見てきた。
――プルルルルルル・・
遠くなっていくトウヤの耳に、音が聞こえた。卓袱台に置いていた携帯が鳴っているのだ。
「あ・・・」
携帯へと伸ばした腕を侵食していく、黒く細長い痣が見えた。見る見るうちに痣は体中を覆い始める。
――死の因果だ。
苦い気持ちで、トウヤは自らを蝕む痣の正体を思った。
インフィニティ。彼女はあまりにもトウヤの自我を弄り過ぎた。
既にトウヤと大賢者の自我の割合は、死の因果を防げる配分を超えていたのだ。
発動した死の因果は止めることが出来ない。もう、駄目なのだ。
『貴殿の身に異変が及びし時、この袋を開け。』
不意に、その存在を思い出した。
「・・・うぅ・・」
朦朧とする意識の中で、トウヤはポケットに入れていた包みを探り当てる。
異変とは、まさにこのことなのだろう。
インフィニティは、トウヤに死の因果が襲い掛かることに気づいていたのだ。
手探りで袋を開き、中から一枚の欠片を摘み上げる。
――鏡の・・欠片?
目の前に掲げたそれには、今にも闇に落ちそうなトウヤの藍色の瞳が映し出されていた。
突然、欠片に触れた指先に鋭い痛みを感じた。見る見るうちに血液が零れ、鏡面に赤い筋を作る。
それは流れを速め、そして鏡面に文字を滲ませた。
眉を潜め、トウヤはその文字を読み上げる。
「お前は・・誰だ・・?」
途端、トウヤははっとした。
反射的に鏡を投げ捨てる。壁に当たり、粉々に砕けた鏡からは一筋、黒い煙が上がる。
間抜けにも油断していた。あの鏡は、インフィニティの放つ呪いだったのだ。
トウヤが文字を読み上げることにより、呪いは発動してしまった。
そしてこの呪いは間違いなく、トウヤを死の因果から守るためにあるのではない。
「・・・くっ・・」
勢いをつけて体を起こし、鳴り止まない携帯を手に取る。
せめて彼女にだけは伝えなくては。この命が終わりを迎える事を。
――お前は誰だ?
携帯の画面に映りこむ自分の顔が、年老いた老人へと変わり、尋ねてきた。
意識の中で、トウヤはそれに応える。
・・私は大賢者であり、トウヤだ。
――では、トウヤは誰なのだ?
・・トウヤ・・?トウヤは私のHNで・・本名は・・?
それを思い出した時、トウヤは目を見開いた。
震える手で握り締めた携帯。鳴り続ける電話の発信者は、彼の望む通りの少女の名前で、その名前を映し込む彼の視界の中に、つぅっと一本の赤い線が現れた。
この世界の全ての生き物の血を混ぜたものよりも、もっとずっと濃いその赤色は、まるで閉じた瞼が開くように、膨らんでいくようだった。
『・・ほら・・ね?これがこの世で、最も神秘的な光景・・』
そう言って笑う、インフィニティの声が聞こえた気がする。
全て彼女の計算通りだったのだ。
死の因果に蝕まれた時点で、トウヤに利用価値はない。
インフィニティは最初から、彼の存在そのものを消すつもりでいたのだ。
「間に・・あって・・くれ。」
祈るように、電話に出たトウヤの視界の中で。
今、<この世界を監視する目>は、開いた。




