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■■第二十一章■■
約束の時間まで、あと十分といったところだ。
トウヤは昨日と同じファーストフードの店の前で、欠伸ばかりしていた。
完全に寝不足だ。昨日寝る前に読んだ小説がまずかったのか、昨晩は妙にリアルな夢を見てしまって、あまり寝た気がしなかったのだ。
夢の中の世界がやたらと寒かったのを覚えている。今は夏なのに、夢の中は冬だったのだ。
うろ覚えだが、大きな西洋の城の前で老人と幼い男の子が話している内容だった。
「小説のなかに・・そんなシーンもあった気がするけど。」
小説とは、会話の内容が微妙に違っていた気もする。
何というか、小説の中の男の子のほうが、まだ勝気だった。
トウヤはどちらかというと、老人のほうに感情移入してしまって、朝目を覚ましたとき、少し泣いてしまった。
何が悲しかったのかまでは覚えていないのだが。妙な苦しさが心に焼き付いて、今この瞬間も離れない。
「あ!いた〜♪」
不意に聞こえた明るい声に顔を上げる。
指定時間よりまだ早かったが、こちらに歩いてくる四人の若者の姿があった。
アヤ、カオル、ミチコ、そしてその横にいるの痩せた糸目の少年が、テツなのだろう。
「こんにちわ!今日もカッコいいですね〜♪」
ふざけてるのか本気なのかよくわからない挨拶をしてきたアヤに、トウヤも笑って返す。
糸目の少年が一歩歩み寄って、
「俺がテツです。よろしく。」
と、名乗ってくれた。彼女たちの友人だというから、もっと派手な男を想像していたが、見たところ、テツは髪も黒いし、ピアスも開いていない。真面目な高校生に見える。
トウヤは少しほっとして、自分の本名を彼に伝え、挨拶を返した。
ちらっとミチコの様子を伺ってみる。今日の彼女は淡い水色のワンピースに、頭には白地のカチューシャと、随分乙女チックだ。
昨日と同じように少し緊張した様子で、トウヤと視線があった途端、耳まで真っ赤になって顔を伏せてしまった。
トウヤは苦笑いを噛み殺して、四人を引き連れ、店内に入った。それぞれに注文をしてもらい、トウヤたちは席に着く。
「それで、俺は何話せばいいんですか?」
単刀直入に、テツが質問してきた。
既にアヤからこちらの事情は聞いているらしい。話が早くて助かる。
「君のクラスにいる、石川亜由美についての情報が知りたいんだ。
彼女の情報であれば、どんなものでも構わないのだが・・」
トウヤがそう言った途端、テツは不その細い目を見開き、不思議そうな顔をした。
「石川・・っすか?そいつはウチのクラスじゃなかった気がするんですけど。」
「・・え?」
予想外の言葉にに、思わず声をあげたのはミチコだった。
「ちょ・・どういうこと?あんたのクラスにいたでしょ?石川だよ?」
ミチコがそうテツに突っかかるので、テツは困ったように頭を掻いた。
「いや、そんなこと言われても。いねぇし。石川亜由美ってコは知ってるけど。あれだろ?サッカー部の大崎の・・」
「そうそう、同じ中学だったんだよね!」
カオルがそう乗っかった。
テツはカオルに向かって頷くと、注文したコーヒーに一旦口をつけてから、トウヤを向いた。
「とりあえず、そいつは三組には居ないです。」
「おかしいなぁ・・。文化祭に喫茶店をしたのは君のクラスじゃなかったのかい?
確か、彼女は喫茶店の会計係をやってた筈なんだが・・。」
「そうよ。うちの学年で喫茶店やったの、三組だけだったでしょ?」
トウヤの台詞を、ミチコが後押しした。テツは少し驚いたように息を呑んで言った。
「いや・・確かに。うちのクラスは喫茶店を出し物にしてましたが・・あの時会計やってたの、俺っすよ?」
「・・・っは?本当に?」
トウヤはテツの何倍も驚いて、思わず椅子から身を乗り出してしまった。
「本当です。俺、金の計算はバイトで慣れてましたから。任されてたんすよ。」
「当日手伝ってくれてた女子とかいなかったの?」
「いません。女子は全員接客に出てもらってましたから。」
トウヤは頭を抱えた。・・何だ、これ。どういうことだ?
トウヤは文化祭当日確かに見たのだ、レジの裏で忙しなく働いていた少女の姿を。
それに、その少女が会計担当であったことは、少女自身のブログからも確認していたのだ。
まさか、この事実を否定されるとは思ってもいなかった。
「・・俺は、当日その喫茶店に行ったんだ。
レジに立ってる制服姿の女の子を確かに見た。そのコが石川亜由美の筈なんだ。」
「それは・・ありえませんよ。俺らがやってたのコスプレ喫茶ですもん。レジする奴らだって何かしらの扮装してました。制服のままの店員はいなかった筈っすよ?」
真顔でそう答えられて、トウヤは頭が真っ白になる。
自分の記憶違いだったのか?少女Iはブログで嘘をついていたのか?何のために?
「・・ってことは、間違いなく、テツのクラスに石川ってコはいないのね?」
アヤがそう確認する。
「ああ。確か二組じゃなかったか?」
テツはそうミチコに尋ねた。どうやらミチコは二組らしい。
「いない!いないよぉ!私三組のコだと思ってたもん!」
ぶんぶんと頭を横に振って、ミチコは否定する。
「それじゃあ・・ちょっと待ってくれ。石川亜由美の存在を、なんで皆は知ってるんだ?」
鈍く痛み始めた額を抑えながら、トウヤはそこにいる全員の顔を見渡した。
「え・・。だって、有名だったから・・」
戸惑ったように、アヤが答える。
「有名?」
「そう。・・えっと。石川ってコがじゃなくって、大崎ってやつがなんだけど・・。」
引き続き答えたのはカオルだった。
「大崎ってね、ウチの学校のサッカー部のエースなの。
ウチのサッカー部、去年の県大会で、初めて準優勝まで行けたんだけど。
それもこれも、大崎の力があったからってこと、皆知ってるから。」
「石川サンはその大崎と同じ中学だったんだって、大崎が言ってたから。それで皆知ってるんだよ。」
ミチコがそう続けた。
「ミチコちゃん、そういえば昨日、石川亜由美と話したことがあるかもって言ってたけど・・実際に会ったことはあるの?」
尋ねてみる。ミチコは少し肩を竦ませた。
「あれは・・石川サンが三組の生徒だったらの話です。
私友達が三組にいるから、よく向こうの教室に遊びに行くんで、大半の女子とは話したことがあったんですけど・・。」
「なるほど・・。」
トウヤは納得して、溜息をついた。
「この中に、石川亜由美と直接会ったことがある人はいますか?」
尋ねてみたが、四人は揃って首を横に振った。
「大崎に聞いてみるしかないよな。」
テツがそう言ったので、少女三人も頷いた。
「その大崎君って人、サッカー部なんだよね?もしかして今日も練習で学校にいるかな。」
トウヤは尋ねてみる。
「いると思いますよ。もう直ぐ県大会ですから、サッカー部は毎日練習中です。」
テツが頷いた。そういえばいつか学校を観察した時に、サッカー部の姿も写真に収めた気がする。
椅子の下に置いていた鞄を拾い上げ、立ち上がるトウヤを、四人の瞳が驚いた目で見上げた。
「・・って、これから行くつもりですか?」
きょとんとミチコが尋ねてくる。
「うん。今日は本当ありがとう。おかげで進展があったよ皆はゆっくりしていってくれていいから。」
それじゃあと手を振って、その場を去ろうとした。
「ち・・ちょっと待ってくださいよ。学校に行くならウチらも・・」
慌てて席を立ったアヤを、テツが引き止めた。
「まてよ。これは極秘な仕事なんだろ。俺たちがぞろぞろついていったら目立ちすぎるぞ。」
細い眼に鋭い光を燈した少年は、ほんの少し口の両端を持ち上げると、続けた。
「だから・・着いていくなら誰か一人だけだ。」
テツの視線が、アヤからミチコに移動する。自然、アヤとカオルの視線もミチコに集中した。
「・・え?私?」
戸惑ったように、ミチコは自分を指差して言う。
・・おいおい、勝手に話を進めるなよ。と呆れもしたが、
トウヤはその大崎という人物を知らないのだから、案内役がいることは有難かった。
「・・そうだね。もし迷惑じゃなければ。ミチコちゃん、ついてきてもらえるかな?」
笑顔で頼んでみる。途端、ミチコは頬を真っ赤に上気させて、そこまでしなくてもいいと止めたくなる程、何度も頷いた。
カオルがこっそりと、ミチコに親指を立てて見せたのがわかった。
アヤが嬉しそうにテツの肩を叩いている。どうやら、彼らはこれを狙っていたようだ。
トウヤはこっそり溜息をついてから、ミチコの元へ歩みよると
「よろしくね。」
と、片手を差し伸べた。
「は・・はい!こちらこそ!」
すっかりテンパった様子で、ミチコはその手を握り、立ち上がると、
「じゃ・・じゃあね!」
と、他の面子に挨拶してから、トウヤの後に付いてきた。
「ごめんね?お友達と別かれさせちゃって。今日はこの後、遊ぶ予定だったでしょ?」
隣を歩く小柄な少女を見下ろして、そう聞いてみる。
「いえ!あの・・別に予定があったわけじゃ・・ないんで!」
緊張してるのか、ミチコはやたらとリアクションをつけて言う。
「・・・でも、三人ともとっても仲が良いんだね。皆どういう関係なの?」
このまま緊張させ続けるのも可哀想に思えて、トウヤは彼女の友人の話題を振ってやる。
「えっとですね、アヤと私が中学からの親友で、カオルとは高校入学したとき・・」
案の定、この話題はミチコの気を楽にさせたらしい。
少し安心した様子で語り始めた彼女たちの馴れ初めに相槌を挟みつつ、二人は店の出口に向かっていた。
ふと、カウンターに並んでいる人の群れに視線をやる。
「・・・え?」
思わず、その場に立ち尽くした。目を奪ったのは、今店員に注文を言っている最中の制服姿の少女。その姿に見覚えがあったのだ。
「どうしたんですか?」
心配そうなミチコの声に、ようやく我に返る。
「あ・・いや。何でもないんだ。ぼーっとしちゃったかな?」
多少無理矢理だが、笑って見せる。ミチコは安心したように笑って、頷いた。
店の自動ドアが目の前で開く。一瞬、トウヤは先程の少女に目を遣った。
この時間、制服姿の来店客は多く、その少女も特に目立つことなく周りに溶け込んでる。
制服を着崩すこともなく、髪を染めることもしていない、素朴な、どこにでも居るような女子高生の姿だ。
――ありえないよな?
少女Iは今、自宅に監禁されている筈だ。こんな場所に居るわけがない。
それに、トウヤは少女Iの顔をよく覚えているわけではないのだ。これは、勘違いの可能性が高かった。
「違う筈だ・・そんなわけがない。」
そう自分に言い聞かせる。
不思議そうにこちらを見つめているミチコに気づくと、トウヤは少し微笑んで、少女の肩を軽く押した。
「行こうか。」
トウヤは少女Iの面影を振り切るように、学校へ向かって歩き始めた。