32p
■■第十六章■■
家を出た時と比べ、世界はすっかり灼熱に包まれてしまっていた。
もう、辺りを行き交う人の顔には既に大粒の汗が浮かんでる。
そしてそんな炎天下を歩いて歩いて、ようやく学校に辿りついた頃、校舎に掛かってる時計は十四時を示していた。
――お昼食べ損ねちゃったな・・
アユミはそのことにようやく気づいた。
普段からあまり空腹を感じない体質なので、つい忘れがちになってしまう。
「ここが・・アユミちゃんの通ってる学校かあ。」
目の前に広がるグラウンドの広さと、建物の高さに、すっかり感動しきった様子でエリオットが言った。
校門を潜る前まではすっかり怯えていたように思うが・・エリオットは恐怖よりも好奇心が勝つタイプらしい。
「今日は制服着てないし、ポチもいるから・・校舎内には入れないけど。ちょっと校庭、見て行こうか。」
そう促して、運動場の片隅、二つのゴールポストに挟まれたコートを駆け回る青少年たちに近づいていった。
彼らの練習の邪魔にならないよう、校舎の影で涼しくなってるベンチを探して腰を下ろす。
ポチも歩きつかれたのか、ベンチの下に入りこむと、だらしなく身体を伸ばした。
この体勢は、ポチが眠くなった時の合図だ。あっという間に、ポチはそこでウトウトと舟をこぎ始めた。
「ポチ、寝ちゃったね。」
アユミの隣に座りながら、エリオットが言う。
「うーーん。ここは涼しいなぁ。」
アユミもポチに負けず劣らず、だらしなく身体を伸ばす。
エリオットはそんなアユミの様子が面白かったのか、小さく笑った。
「おいこら、神聖なグラウンドに犬なんか入れてんじゃねぇよ。」
次の瞬間、不機嫌な声をかけられて、アユミは顔を上げる。
「おー。オザキっち、今休憩?」
アユミたちの目の前に立ちはだかっていたのは、サッカー部のユニフォームに袖を通した、目つきの悪い褐色の肌の少年。
アユミと同級生の大崎孝則だった。
「変な渾名をつけるなよ。それじゃあ別の名前になっちゃうだろ。」
相変わらず不機嫌な声でつっかかってくる。
「いーじゃん。皆にももう、渾名はオザキっちで広めちゃったから。」
「げ!?ウソ?」
「ウソだよ。」
アユミの言葉を信じる純粋な少年をからかってやる。
大崎少年は、いつも不機嫌な顔してアユミの前に立っているが、別にアユミのことを嫌っているわけではない。と、思う。
その証拠に、こうやってちょくちょく、アユミを見かけては構ってくるのだ。
「だ・・大体、校庭内は動物の連れ込み禁止だぞ!先生に見つかったら怒られるだろ!」
からかわれたことの仕返しといった様子で、大崎少年はまくし立てる。
アユミはちょっと困ったな、と、すねた顔をしてみせた。
「だってー、ポチの散歩の途中に寄ったんだもん。オザキっち応援しにきてやったんだからー見逃せよーー。」
適当な言い訳をしてみる。そんなこと言っても直ぐに追い返されるだろうなと予想していたのだが・・
「・・え?そうなの?」
意外にも、大崎少年の言葉鉄砲は収まった。
「そうそう。頑張れよぅ。このサッカー部のエース!」
ノリは冗談をとばす酔っ払いだが、それでも大崎少年にとってアユミの言葉は嬉しかったらしい。
「そうか・・じゃあ、仕方ないな。先生には黙っといてやるから、見つからないうちに帰れよ!」
にやけた顔を隠せない様子で、そう言い、仲間のいるコートに戻ろうと踵を返して・・
「・・てか、隣のやつ・・誰?」
そして直ぐにアユミたちのベンチに向き直った。
アユミの隣に座っていたエリオットは、いきなり自分に触れられ、大変戸惑った心情を顔に出した。
「ああ、彼?名前はエリオットさん。私の従兄弟なの♪」
大崎少年の反応の鈍さに、内心突っ込みを入れつつも、堂々と嘘を吹く。
先ほどヤヨイに簡単に見破られたのと同様の嘘だ。
「なんだ・・そうだったのか。」
しかし、大崎少年は、信じた。心なし、その表情は安堵しているように見える。
――バカだなあ。
笑顔の裏で、アユミはそんなことを考える。勿論、そこにある程度の好意は込めているつもりだ。
大崎少年は、サッカー部ではエースプレイヤーと持て囃されているが、頭のほうが若干弱い。一言で言うと単純バカ。
アユミはそんな大崎少年との会話を、密かに楽しんでいた。
「ど・・どうも、初めまして!」
にっこりと笑顔で、エリオットは大崎少年に向かう。
大崎少年はエリオットの放つ爽やかオーラにかなり気圧された様子で「うっ!」と唸ると、
「か・・かっこいいじゃねぇか。くそっ!」
そう、誉めているのか怒っているのかわからないことを口走った。
一応誉められたと認識したらしいエリオットは、嬉しそうに大崎少年に頭を下げると、口を開いた。
「ねえ、さっきから皆で何やってるの?」
視線は先程から、サッカー部の皆様に釘付けなようだ。
「・・え?サッカーだよ。何言ってるの?」
虚をつかれた様子で大崎少年は聞き返す。
・・・そういえば、アユミはエリオットにサッカーのことを教えたことはなかった。
「さっかあ・・?それが名前?」
ニコニコ笑って、更に聞き返すエリオット。
これでは根が短気な大崎少年は、キれてしまうのではないかと危惧したアユミは、慌ててフォローを入れた。
「あのね!エリオットさんはサッカーのない国で生まれてね、日本には最近来たばかりだから、知らないことが多いのよ!」
我ながらかなり無茶のある言い訳だと思うのだが・・
「なんだ、そういうことは早く言えよ。」
こんな言い訳が通るのだから、大崎少年は侮れない。
「そうか、サッカー知らないのか。こんなに面白いのに。」
心から哀れむ声で、大崎少年は言う。
「面白そうだね・・いいなあ。」
心から悲しそうに、エリオットが返した。
再び「うっ!」と大崎少年が唸るのが聞こえる。
思わずその視線の先にあるエリオットの表情を確かめると・・現在進行形でお目目ウルウル。
元々が繊細な顔立ちをしているエリオットは、こうしてみると本当に小さな子供か子犬のようで、抱き締めてやりたくなる。
「し・・仕方ねぇな。ちょっとやってみるか?」
その気持ちは大崎少年も一緒だったようで、彼は頼まれても居ないのに、エリオットにそう提案した。
「え!?いいの!?」
途端、尻尾があったら千切れんばかりに振っている勢いで、エリオットが立ち上がった。相当、やってみたかったらしい。
大崎少年はため息をつきながらも、コートの横で生徒らに指示を出している顧問の先生の下へ走っていって、エリオットの方を指差して先生に何やら話をつけた後、サッカーボールを一個、蹴りながら戻ってきた。
アユミは空気を読んで、エリオットの手からポチのリードを受け取ってやる。
「じゃ、基礎だけ教えてやるな。」
大崎少年はそう言うと、ドリブル、パス、リフティングの技を次々に披露してみせた。
流石はサッカー部のエース。ボールは、それ自体に命があるみたいに、彼の足の先を踊っている。
「器用だなあ・・」
アユミの隣で、エリオットが感嘆の溜息をつくのが聞こえた。
「ほら、とりあえずお前もボール蹴ってみろよ。」
そう言って大崎少年がボールを蹴り上げた。
そのボールは上手いこと弧を描いて、エリオットの目の前に着地する。
「わあ!」
嬉しそうに大崎少年に拍手を捧げた後、エリオットは恐る恐ると言った様子で足を上げ、つま先でボールをつついた。
――ヒュ・・ン!
そして次の瞬間、エリオットの蹴ったボールは遠くにあったのゴールネットへ突き刺さっていた。
『!!!』
その場にいた全ての人間が、一度に動きを止めたのが解った。
大半の人は、今自分たちの目の前で何が起きたのかわかっていない筈だ。
ただ、自分たちがコートで蹴っていたのと異なるボールが、ゴールネットから転がり落ちている。
「あ・・ごめんごめん!気にしないで続けてくれ・・な!?」
驚きの余りしどろもどろになりながらも、大崎少年はエリオットの蹴ったボールを拾いに行った。
詳細を聞きたがる仲間たちをかわしながら、急いでエリオットの元へ戻ろうとしていると、今度は、サッカー部顧問の竹平先生に捕まった。
「大崎・・蹴ったのはお前か?」
若干立腹した様子で睨みつけてくる竹平先生を、ごまかすことはとても出来そうになかった。
「あの・・実は・・」
仕方なく、大崎少年は白状する。
エリオットという少年に、ボールを蹴らせてみた結果がアレだったのだと。
竹平先生はあんぐりと口を空けて、エリオットたちのいるベンチから、先程ボールが突き刺さったゴールポストまでを見渡した。
「・・ってお前。あそこからゴールまで、百メートルはあるんだぞ?なんだ?冗談言ってるのか?」
大崎少年はその言葉を首を振って否定した。
「脚力が・・半端ないみたいっすね。」
力なく、そう言う。今までサッカーに関してのみ抱けていたプライドが、砕かれそうな心持だ。
そんな大崎少年とは対照的に、サッカー部顧問の竹平和義は、その瞳をきらりと輝かせた。
「面白いな・・。」
そう言って不精に伸ばした顎鬚を撫でる。
竹平の脳内には、すでに一つの企画が組みあがっていた。