書き出した者として~ 創ろうとした世界とは違うけれど、のめり込んでいく
『……このような世界になると誰が予測したでしょう』
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作者は、読者にもなれると前置きで記載したが、その真意として、作者は、自分を知らない、ということを挙げられると、(私は、未熟だが、)創り出したい側の人視点で書き出します。
作者は、人であり、人間ではない何かではないので、生きていく為には、文筆業とは他に息をし、生きていく為に生活をしなければなりません。(読者の方は知らなくとも良い作者の一面ですが)生活に身を置くということはイコール、変化に身を置いている、ということと同義でしょうと、私は考えます。
作者は、現実の変化に身を投じ、身体と心を日々変えていきます。一分一秒前の作者は、同じ人間ではありえないでしょう。細胞から思考からほんのり少しずつ変化し続ける、それが変化の中息をする人であるからです。
……時間の流れというものは、日々に忙殺される作者にとってもひどく酷に思えるものでもありましょう。何故なら、長期連載をしている作者様の場合、(自分もですが)停滞していると、年単位で前の作品から日がたっている、なんてことがざらにあります。停滞をしていなかったとしても、長期連載の場合、3年経っても完結していない、なんてこともざらにあります。作品の内容によっては、3年、同じ場所にキャラクターが居たりすることもあると思います。ただ、現実世界の作者は、日々に忙殺されて生きていますから、3年前など感覚的にははるか昔に思えるでしょう。(3年前の今、自分が何をしていたかと思い返して即答出来る自信は私には正直ありません)
昔掲げたテーマ、それに沿って世界観を創り上げようと連載を立ち上げた当初、小学6年生だった子が3年経てば、中学3年生になっているのです。作者側の思想も変化をしているでしょうし、……、さ、目の前のあなたも想像してみてくださいな。
小学6年生で立ち上げた物語を3年連載し続ける内に、毎日少しずつ少しずつ内容を変えていくとしたら……それはね、最初連載で立ち上げた物語とは全く違う内容のものに化けてしまっていることでしょう。紛れもなく、その作品は、作者と共に成長していったのです。作者がともに育った、と、言い換えてもよいかもしれません。
そんな風でありますから、所詮、作者は人間以外の何者にもなれません為に、変化はするものであり、その変化を全て前もって予測出来る程、作者は人離れしていないのです。
……作者が読者にもなりうると書きましたのは、そのように私が思考するからです。作者は常に自らの創り出すものに最初に驚く人であるだろう、そう私は想定し、作者は一番初めの読者でもあると……私は思考します。
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