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嫌忌者  作者: 直井 倖之進
3/3

嫌忌者③


                 7


 最近、娘の様子がおかしい。

 あれこれ話しかけてみても上の空だ。好物を渡してみても口をつけることなく放置されている。ずっと何かを思い悩んでいるようで、頻りに溜め息をついているのも気がかりだ。

 もし、ここに妻がいたならば、女同士ということもあり、彼女の気持ちを察してやることもできただろうに……。

 いや、過去を振り返っても仕方がない。やめておこう。それに、たとえ父親でも、親は親だ。何か彼女の力になれることがあるかも知れない。

 意を決し、私は娘に尋ねてみることにした。


「なぁ、お前。最近、悩んでいることはないか?」

「いいえ、別にないけど……」

 娘は、愛想も素っ気もなくそう答えた。

 だが、直後、私の問いで何かを思い出したのか、そっと小さく項垂れる。

 やはり、思い悩むことがあるのは確かなようだ。

 私は、質問を変えることにした。

「じゃあ、俺に頼みたいことはないか?」

「頼み?」

 娘が、ちらりと私の顔を見る。

 どうやら、この問いかけ方は当たりだったらしい。

 私は、さらに踏みこんだ。

「そう。頼み、だ。まぁ、俺にできることなどそう多くはないだろうが、これでも父親だからな。お前の頼みだったら、何でも聞くぞ」

「……何でも? 本当に?」

 娘は、値踏みするかのように私を見つめた。

「あぁ」

 私が頷いて見せると娘は、少し考える素振りを見せながらも、やがて、思い切ったように告げた。

「それじゃあ、私、お父さんに見てもらいたい男性がいるの。ついてきて」


                 8


 住処を出ると、私は、先を行く娘のあとに従った。

 それにしても、娘が恋をするような年になるとは……。

 実に感慨深い気持ちの中で、私は、いつの間にか妻そっくりになっている娘の背中を見つめた。

「着いたわ。ここよ」

 娘が急に立ちどまり、振り返る。

「お、おっと」

 意識が遠い過去の記憶へと向いていた私は、彼女にぶつかりそうになるのを何とか踏みとどまった。

「もう。しっかりしてよね、お父さん」

「あ、あぁ。すまん」

 そう言ってから、周囲の様子を確かめる。

 その途端、私は驚愕した。

 そこは、妻が殺されたあの現場だったのである。

「お、お前、まさか、……覚えていたのか?」

 恐るおそる問う私に、娘は、

「え? 何のこと?」

 と、首をかしげた。

「そ、そうか」

 私は、ほっと胸を撫で下ろした。

 実は、あの日妻が殺されたことについて、私は娘に話をしていなかった。

「お前のお母さんは、『嫌忌者』だという理由だけで殺されたのだ」そのようなこと、あまりにも娘が不憫で、伝えられなかったのである。

 そのため、当時まだ幼く、事情をよく理解していなかった娘が“真実”として記憶しているのは、「家族で遠出をしたあの日、お母さんは急病で死んだ」という、私がついた嘘であった。

「変なお父さん」

 「ふふっ」と、娘が妻に似た笑みを見せる。

「そうだな。今日の俺、何か変だな」

 私は、下手くそな作り笑いを浮かべた。

「あ、そうだ。そんなことより、ちょっとこっちにきて」

 私が変なことはもうどうでもよいのか、娘は私を物陰へと誘った。妻が殺された時と『嫌忌者』の男と話をした時、そして、これで3度目となるあの物陰である。

 私がそこに着くと、娘は、少し勿体振りながら口を開いた。

「ねぇ、お父さん。見てもらいたい男性のことなんだけど、いつもこのくらいの時間にここへくるの。だから、お父さんは、この場所から彼を確かめてね」

「あぁ、分かった」

 私は、まるで探偵にでもなったかのような気持ちで頷いた。

 娘のハートを射とめたのは、いったいどんな男なのだろうか?

 大きな物悲しさの中に、少しばかり存在する期待。そんな複雑な思いを胸に秘め、私は、その時を待った。


                 9


「き、きたわ! 彼よ!」

 やたらと興奮している様子で、そう娘が告げる。

 「俺が住処に帰ってきた時も、こんな調子で出迎えてくれたらいいのに……」そう思いながらも口には出さず、私は、黙って妻の殺害現場付近へと目を向けた。

 しかし、そこには誰もいなかった。

「いないぞ」

「違う。もっと左のほうよ。よく見て!」

 そう教えられ、そちらへと視線を移す。

 すると、……いた。

 大きな体をした男の姿が、そこにあったのである。

「あ、あいつは……」

 男の顔を目にした途端、私の声は自然と震え始めた。

 それもそのはず、忘れようとも決して忘れることなどできないその男は、妻を殺したあの犯人だったのである。

「ねぇ、どうかな? 彼、素敵だと思うんだけど……」

 たわけたことを口にする娘に、私は声を荒げた。

「駄目だ!」

「え? どうして?」

「どうして、って……」

 そこまでを言って、私ははたと気がついた。

 妻が殺されたことは、娘には内緒にしている。ゆえに、彼女が何も知らないのは、当然のことだったのである。

 娘の心に傷をつけたくはない。だが、事ここに至っては、最早どうしようもなかった。

 私は、正直に伝えることにした。

「いいか、落ち着いて聞くんだ。あの男は、お前のお母さんを殺した犯人だ。だから、好きになることはもちろん、奴には、近づいてさえいけないんだ」

「え? お母さんが殺されたって、どういうこと? お母さん、病気だったんじゃなかったの?」

「それは俺がついた嘘だ。本当は、殺されていたんだ。……あの男に!」

 私は、今もこちらに気づくことなくそこにいる男を示した。

「そ、そんな……」

 娘の大きな瞳が一度男に向き、それから、徐に私へと戻ってくる。

 にこりと笑って、彼女は口を開いた。

「分かった! お父さん、彼が気に入らないから、そんなことを言ってるんでしょう。でもね、騙そうとしても無駄よ。私、知ってるんだから。彼が、私たちに“住処を与えてくれている”こと。“食べ物を与えてくれている”ことも。そんな優しい人が、お母さんを殺すはずがないじゃない」

「い、いや、それは違……」

「まぁまぁ、お父さんはそこで見ていて。私、彼に告白してくるから!」

 そう言うと娘は、私の必死の制止を振り切り、駆け出して行った。


                 10


 男の前へと、いきなり娘が躍り出る。

「う、うわっ!」

 よほど驚いたのか、男は大きな声を出した。

 だが、

「突然、現れてしまってごめんなさい。でも、私、どうしても貴方に伝えたいことがあって……」

 そう娘が話している間に冷静さを取り戻したのか、男は、やおらあの武器を取り出した。

 そして、

「私、貴方のことが、好き。……大好き!」

 そう告げる娘目がけて、それを発射した。

 直後、娘は動かなくなった。

「うわああああああぁ!」

 私は、声の限りに叫んだ。

 やはり、土台無理な話だったのだ。普通の人間と『嫌忌者』との恋など、成就するわけがなかったのである。

 私は、娘の許へと駆け寄ろうとした。

 しかし、先ほど男が放った“ピレスロイド系殺虫剤”の効果が残っていて、簡単には近づけない。

 そうしているうちに、男が私に気づいた。

「もう一匹いやがった!」

 そう言って、こちらへと“殺虫剤”を噴射する。

 私は、それを避けた。私たち『嫌忌者』が本気になれば、その移動速度は、時速300キロメートルを超えるのである。

「くそっ! ちょこまかと動きやがって、逃げるな!」

 男が怒鳴る。

 ……逃げるな、だと?

 妻を殺され、娘まで殺されたのだ。逃げる気など、もう私にはない。

 一定の距離を置いて立ちどまると、私は、男へと体を向けた。

「終わりだ」

 そう宣言し、男が再び“殺虫剤”を構える。

 確かに、私はここで終わるのかも知れない。死ぬのかも知れない。

 しかし、私たち『嫌忌者』は、世界中で約1兆5千億匹いる。恐竜が絶滅した時でさえ、私たちは生き残った。2億5千万年前から存在する私たち『嫌忌者』の歴史は、伊達ではないのだ。

 たとえ私が倒れようとも、これからも『嫌忌者』は、忌み嫌われし者として生き続ける。人間と『嫌忌者』との戦いは続くのである。

 ……妻よ。……娘よ。待っていてくれ。私も、すぐにそちらへと行こう。

 私は、その背にある漆黒の羽を広げ、男へと飛びかかった。

 同時に、

「この、『ゴキブリ』め!」

 男が“殺虫剤”を噴射する。

 そう。私は、『嫌忌者』、……『ゴキブリ』である!

 まっすぐ男へと突撃する私の両眼に、今、細かい霧状のものが映った。

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