嫌忌者②
5
体ひとつ分ほどの細い道を通ったり、真っ暗なトンネルを抜けたり、見上げんばかりの巨大な植物に度肝を抜かれたり。
出先で娘は、初めてのものを発見するたびにそちらへと走り、立ちどまり、感嘆の声を上げていた。
楽しい時間は瞬く間にすぎ去り、その帰り道。私たちは、住処からほど近い場所まで戻ってきていた。
「おい、そんなにちょろちょろしたら危ないぞ」
先を行く娘を、私は追った。
幸い娘が幼いためすぐに追いつき、横に並ぶ。
すると、
「お母さ~ん! 早く~!」
娘が振り返り、妻を呼んだ。
「はいはい。まったく、貴女は女の子なんですから、もっとおしとやかにしないと……」
そうは言いながらも、妻が少し急ぎ足になる。
その様子を、私たちはその場から見守った。
ところが、こちらへとくる途中、何を思ったか、妻は急に立ちどまった。
それから、ゆっくりと、自分の右手のほうへと体を向ける。
彼女に倣い、私もそちらへと視線をやった。
次の瞬間、私の心臓は飛び跳ねた。私たち『嫌忌者』の敵である人間が、そこにいたのである。
敵は、男だった。たとえ私が立ち向かったとしても、敵わぬこと必定の大男である。
何もかもが、時までもが凍りついたかのようなその中で、男は妻に告げた。
「最近見かけないと思っていたら、こんなところにいたとは。……殺してやる」
「拙い!」そう判断した私は、とっさに妻を助けようと走り出した。
だが、それを、男には覚られぬほどの小さな動きで、そっと彼女が制する。
私は察した。妻は、私たちに、「逃げろ」と言っているのである。
無論、そんなことできるわけがない。私は、彼女の指示を無視しようとした。
……しかし。
私は娘へと目をやった。もし、感情に任せて行動し、私と妻の両方が殺された場合、残ったこの子はどうなる? 残ったこの子は……。
妻か娘か。苦渋の選択を迫られ、私は、娘を選んだ。
「くそっ!」ひと度心の中でそう叫び、娘を連れて物陰に身を潜めたのである。
顔だけを出し、対峙している妻と男との双方の様子を覗う。
「う、嘘だろ……」
私は我が目を疑った。
そこに映し出された光景。それは、妻に向かって武器を構える男の姿だったのである。
男の人指し指は、既に“トリガー”にかかっていた。
やがて、男がそれを引く。
直後、妻は動かなくなった。
妻が殺された。その事実に、私は完全なパニックに陥った。
だが、
「ねぇ、お父さん、どうしたの?」
よく事情を把握していない娘の言葉が、私に冷静さを取り戻させた。
「帰るぞ」
有無を言わさぬ口調でそう告げると、私は、娘とともに住処へと走り出した。
6
「いいか、絶対にここを離れるんじゃないぞ。何があっても、だ」
住処でそう娘に言い聞かせ、私は、すぐさま妻が殺害された現場へと戻った。
しかし、彼女の亡骸は、既にそこにはなかった。
「……やはり、か」
私は、力なく呟いた。
こうなることは、薄々分かっていた。一般的に私たちのような『嫌忌者』の亡骸は、たとえどこでそうなったとしても、誰かに発見され次第、すぐに片づけられてしまうのである。
普通の人間も『嫌忌者』も、持っている命は、たったひとつだ。
それなのに、奴らは、『嫌忌者』の亡骸をただの“死骸”として扱うのである。
「畜生! どうしてだ! どうして、俺たちは忌み嫌われ続けるんだ!」
私は、やり場のない怒りを叫びとしてぶつけた。
その時、
「さっき女が殺されたばかりだっていうのに、大声を出すな。奴に気づかれてしまうぞ」
そんな声が、先ほど私と娘が身を隠していた物陰から聞こえてきた。
「だ、誰だ?」
慌てて私が問うと、
「安心しろ。俺は、お前と同じ『嫌忌者』だ」
そう言って、ひとりの男が姿を現した。
男は、私と同年代のようだった。
「そんなところにいたら、奴の恰好の餌食だ。早く、こっちへ」
彼は、自分がいる場所へと私を招いた。
「……で、様子を見ていたところによると、あんた、殺されたあの女の知り合いか?」
私がそちらへと着くや否や、そう男は尋ねてきた。
「あぁ、妻だ」
「へぇ、そうか。かなりの別嬪だっただけに、そいつは残念だったな。だが、同情なんかしねぇぞ。何せ、こっちは独り身だからな」
「別にそんなことは俺も望んではいない。それより、ひとつだけ教えてくれ。妻は、妻の亡骸は、いったいどうなった?」
「あぁ、そのことか。そいつは何とも言いづらいんだが、あんたがあの女の旦那だったってのなら仕方がない。教えてやるよ。死んだあと、すぐに何か真っ白なものに包まれて運ばれて行った。どこに運ばれたのかまでは、知らないが」
「そうか。ありがとう、すまなかったな」
そうそうに会話を切り上げ、私は動き出した。
それを、
「おい、ちょっと待て。どこに行くつもりだ?」
と、男が呼びとめる。
「決まっているだろう。妻の亡骸を見つけに……」
「あてはあるのか?」
あまりにも冷静なその口調に、私は思わず立ちどまった。
男は続けた。
「いいか、よく聞け。忘れてはいないだろうが、俺たちは『嫌忌者』だ。嫁のことは、諦めるより他ねぇんだよ」
「諦める? そんな理不尽……」
「理不尽だろうが、それが決まりだ。……あんた、子供は?」
「幼い娘がいる」
「可愛いか?」
「当たり前だ!」
「じゃあ、なおさらじゃねぇか。娘のためにも、あんたは死んじゃいけねぇんだ。……分かったな?」
そう言うと、男は私の顔を覗きこんだ。
話す言葉は荒いが、この男は、間違いなく私のことを心配してくれている。
それが痛いほどに伝わり、私は、
「分かった」
と頷いた。
「よし、それでいい。ところで、あんた、嫁が死んだのを知っていたってことは、奴が持っていたあの武器についても見たってことか?」
……武器。私の脳裏に、妻が殺された瞬間の、あの光景が蘇る。
それを無理に振り払い、私は答えた。
「あぁ、見た」
「あいつはな、俺たちを一瞬でショック死させるほどの力を持つ、強力な武器だ。だから、あれを見たら戦おうなどと考えるな。とにかく逃げるんだ」
「分かった。忠告、ありがたく受け取っておく」
私は、男に礼を伝えた。
「別に気にすることはねぇよ。あんたも俺も、同じ『嫌忌者』だからな。ただ、俺はすぐにでもここを離れるつもりだ。あんな武器を使われるんじゃ、命が幾つあっても足りねぇからな。だから、あんたも娘を連れて遠くへ逃げたほうがいい」
「そうだな、考えてみる」
ここは妻が殺害された場所だ。離れるつもりなど毛頭なかったが、私は、気持ちとは裏腹にそう答えた。
「じゃあ、またどこかで会うこともあるだろう。達者でな」
最後に小さく笑って見せると、男は、そのまま振り返ることなく去って行った。
男の話では、妻を殺害した武器は、相手をショック死させるというものだった。
ならば、少なくとも妻は、苦しむことなく天に召されたのだろうか?
何もかもが悪夢のようなその中で、唯一それだけが、私の心の救いであった。
この後、妻を亡くした私は、男手ひとつで何とか娘を育てていった。
そして、時は流れた。




