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嫌忌者  作者: 直井 倖之進
1/3

嫌忌者①


                 1


 表通りに面した駅前の一角で、マイクを握った男が声高に叫ぶ。

「皆、同じ地球に住む仲間です。共存しましょう。共栄しましょう」

 ……立派だ。

 古い銀杏の木が見守る小学校の教室で、子供たちを前に教師が語る。

「人も動物もお花も虫も、皆、お友達です。仲よくしましょう」

 ……立派だ。


 しかし、それならば、どうして、私は忌み嫌われるのか?


 今日も奴らは、まるで、「お前は、生まれたこと自体が罪なのだ」と言わんばかりに、こちらへと憎しみの刃を向けてくる。

 ゆえに、私は知っている。駅前で叫ぶマイクの男も教室で語る教師も、謳う言葉は、まったくの詭弁なのだということを。

 もし、奴らの腹を切り裂いてみたならば、そこにあるのは臓物ではなく墨袋。嘘と偽善とがどす黒く混在する墨袋が詰まっているに相違ない。

 そう。奴らは嘘つきの偽善者で、私は忌み嫌われし者、『嫌忌者』だ。

 この事実は、たとえ千万の建前を並べたとて、決して覆ることはない。

 何故なら、それは、もうずっと昔からの“決まりごと”なのだから。


                 2


 まだ春浅い日の午後、大学以外の目立つ建物などない住宅街の片隅で、私は『嫌忌者』として生を受けた。

 当然のことながら、両親も『嫌忌者』である。

 幸いにして住処と呼べる場所があるにはあったが、日々の生活は苦しかった。“貧乏子だくさん”の言葉どおり、兄弟姉妹が多くいたのもその理由なのかも知れない。食うに困った時には、ゴミ箱を漁って飢えをしのいだこともあったほどだ。

 だが、そのような中で、私は、次第に“生きる術”というものを身につけていった。普通の人間としてではない。『嫌忌者』としての“生きる術”である。

 そして、幾ばくかの時がすぎ去り、私も恋を知るようになった。


 ある日、私の前に唐突に現れた女性。得も言われぬほど美しかった。初めて彼女を目にした時には、背に大きな羽を持つ女神を連想したほどである。

 至当なる結果として、私は、その女性にひと目惚れした。

 四六時中、彼女のことを想い、彼女の姿だけを追い求めるようになっていったのである。

 胸のうちにて湧き上がるこの気持ちを、今すぐに伝えたい。そう私は願った。

 しかしながら、それにはひとつ大きな問題があった。残念なことに、私の容姿は非常に醜いのである。

 そのため、同じ『嫌忌者』ではあるものの、彼女と私は月とすっぽん。交際はもちろんのこと、隣に並ぶだけでも、不釣り合いなのは明らかだった。

 「無理だ」、「諦めろ」、「相手になどされるわけがない」そんな考えが次々と脳裏に浮かび、私は彼女に声をかけることを躊躇った。

 生物の摂理として、一般的に、“雄”たるものは強くなければならない。それなのに、私は、非常に臆病だったのである。

 「お前のような男が、これ以上いったい何を望む?」、「こうして、遠くから彼女を見つめているだけでも、十分に幸せではないか」そう私は、無理に自分を納得させようと努めた。

 そんな私に奇跡が起きたのは、それからすぐのことだった。


「最近、よくお姿を拝見しますが、この近くにお住まいなのですか?」

 それが、彼女の第一声だった。

 ずっと声をかけることができずにいた私に対して、何と、彼女のほうから話しかけてきてくれたのである。

「え? あ、はい。お、俺、……いや、僕、この近くにお住まいです!」

 今思い返してみても、あの時の私は完全に舞い上がっていた。恥ずかしい。

 だが、彼女にはそれが好印象だったようだ。つぶらな瞳をして、優しく笑いかけてくれた。

 その後、私たちは、私が奥手だというのもありながらも、少しずつ互いの愛を確かめ合い、深めて合っていった。


 時が経ち、驚くほどあっさりとプロポーズを受け入れてくれた彼女に、私が問う。

「本当に、俺でいいのか?」

 いつもの笑みを見せ、彼女は答えた。

「何をおっしゃっているんですか。私には、貴方しかいません」

 こうして、私たちは、晴れて夫婦となった。


                 3


 住み慣れた場所を離れての新しい生活。『嫌忌者』であるがゆえに、日々の暮らしは相変わらず貧しかったが、それでも、「つらい」とか「苦しい」などとは思わなかった。妻さえいてくれれば、どんな困難でも乗り越えられる。そう信じて疑わなかったのである。

 そんな私たち夫婦に、次なる転機が訪れた。妻が、子を産んだのだ。

 誕生したのは、玉のように可愛い女の子、娘だった。

「俺に似なくてよかったな。目が大きなところなんか、お母さんにそっくりだぞ」

 そう語りかけ、生まれたばかりの娘をあやす。

 すると、隣にいる妻が言った。

「そんなことはないですよ。私たちの娘なのですから、貴方にも似ています。ほら、……えーと、あ、そうだ。少し色黒なところとか」

「何だ、俺に似ているのは色だけか?」

 私は、少しむっとした風を装って見せた。

「あらあら、貴方、怒らないでください。怒ると幸せが逃げちゃいますよ。幸せを呼びこむには、いつも笑顔で、ね」

 妻が笑う。

 「……確かに」私はそう思った。

 初めて出会ったあの日も、今も、いつだって妻は笑顔だ。

 だから、そのお陰で私たち夫婦には、娘という幸せがやってきてくれたのだろう。

「ありがとう」

 私の口から、そんな言葉が自然と口をついて出た。

 それに妻は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに、

「どう致しまして」

 と、いつもの笑顔へと戻った。

 

 今にして思えば、この時の私たちは、娘の誕生を含めて本当に幸せだった。

 しかし、その幸せは、私に、自分たちは『嫌忌者』なのだということをいつしか忘れさせてしまっていた。

 私たちは、忌み嫌われし者、『嫌忌者』である。その事実を思い知らされる日は、既に、そう遠くはない未来にまで迫っていた。


                 4


「よし、その“作戦”で行こう」

 そう私が密かに伝えると、娘は、

「行こう! 行こう!」

 と大はしゃぎした。

「おい、静かにしないと、お母さんに気づかれてしまうぞ」

「あ、そうか。ごめんね、お父さん」

 注意する私に合わせ、娘の声も小さくなる。だが、その顔は、何ら反省することなく、にこにこしていた。

 最近ますます妻に似てきたその笑みに、ついつい私も笑顔になる。娘のこととなると、どうしても弱くなってしまうのである。

 そもそも、今回の“作戦”というのも、その発端は、彼女にねだられたからだった。

 外に連れ出しても問題ないほどに大きくなった娘に、

「ねぇ、お父さん。私、お父さんとお母さんと一緒に、お出かけしたいなぁ」

 と、頼まれたのである。

 行き先は、いつも遊びに行っているところよりも、さらに遠くだった。

 「……疲れるぞ」そうは思いつつも、他ならぬ娘の願いならば仕方がない。私は、二つ返事でこれを承諾した。

 ところが、私は別に構わないのだが、妻はあまり遠出を好まない。

 そこで、私と娘とで妻を説得しようと、“作戦”を立てたというわけだ。

「それでは、行くぞ。我が愛娘よ」

「ラジャー」

 私たちは、妻の許へと向かった。


「あら? お揃いでどうしたのかしら?」

 いそいそとした様子で目の前に並ぶ私たちを妻が怪しむ。

 私は、すぐに口を開いた。

「いや、たまには、親子水入らずで遠くに出かけるのも悪くないかと思ってな。俺とこいつと、お前も一緒に……」

「え? 私も、ですか?」

 案の定、遠出の嫌いな妻が少し迷った顔になる。私は、すかさず娘に合図を送った。

 次の瞬間、娘は動いた。

 実に素早い動きで妻の傍らへと駆け寄り、

「ねぇ、お母さん。お母さんも、一緒に行こうよ~」

 と、甘え始めたのである。

 これには、さすがの妻の心も大きく揺れたようだ。

「どうしようかしら……」

 顔を擦り寄せてくる娘を受け入れながら、そう悩んでいる。

 「いいぞ、その調子だ!」私は、心の中でガッツポーズを取った。

 私たちの“作戦”というのは、これだった。

 私も娘も、単独で妻を説得するには力不足。そこで、同時に頼むことでそれを受け入れさせようとの“作戦”だったのである。

 そして、最後の決めの言葉は、私の役目となっている。

 私は、妻に告げた。

「こいつと同じく、俺もお前と一緒に出かけたいと思っている。……嫌か?」

 「ふふっ」と、小さく笑って妻は答えた。

「嫌なわけがないじゃありませんか。分かりました。ご一緒しましょう」

 こうして、私たちは、いつもよりも少し遠くまで外出することになった。


 もう“作戦”は完了したはずなのに、今もなお妻に甘え続けている娘。

 その母子の姿に私は、背に美しい羽を持つ女神と、それに寄り添うまだあどけない天使を見ていた。

 まさかこの日が、妻との今生の別れになってしまうのだということなど、露ほども思いもせずに……。

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