天使の揺籠
一太は慈愛に満ちた眼差しで村長夫妻を見つめた。
「夫婦とは、同じ未来を歩む者。」
「ならば、その歩みを支える場所もまた、一つであるべきです。」
静かに両手を胸の前で重ねる。
「失われた安らぎに、再び温もりを。」
「離れた心に、再び寄り添う場所を。」
「──眠りは、明日を生きるための祝福。」
「どうか、この揺り籠が、お二人の未来を優しく包みますように。」
ゆっくりと右手を天へ掲げる。
「顕現せよ――」
「天使の揺籠」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
大地が低く唸り、夜空に純白の光が柱となって立ち昇る。
その光は遥か彼方――
一太が暮らす丸太小屋まで一直線に伸びていく。
次の瞬間。
丸太小屋の寝室に置かれていた愛用のベッドが、眩い光に包まれた。
フワリ、と宙へ浮かび上がる。
窓をすり抜け、森を越え、夜空を流れ星のように飛翔する。
そして――
ドォォォォォォン!!
轟音と共にタカミ村の広場へ降り立った。
白木で作られた、一太愛用のベッド。
月明かりを浴びて神々しく輝いている。
村人たちは思わず息を呑んだ。
「お、おお……。」
「空から……ベッドが……。」
「奇跡だ……!」
その一方で、一太の意識だけは盛大に絶叫していた。
(やっぱりぃぃぃぃぃっ!!)
(俺の家ぇぇぇぇぇっ!!)
(俺のベッドぉぉぉぉぉっ!!)
(冷蔵庫の次はお前かぁぁぁぁぁ!!)
しかし、聖人となった口元は穏やかな微笑みを崩さない。
「どうか、このベッドをお使いください。」
「ですが、忘れないでください。」
「このベッドは、お二人を仲直りさせる魔法の道具ではありません。」
「お二人が互いを思いやり、歩み寄ろうとする意思があってこそ、この揺り籠は真の安らぎをもたらします。」
「夫婦の絆を取り戻すのも。」
「そして、この村に再び穏やかな日々を取り戻すのも。」
一太は優しく微笑む。
「それは、お二人自身の手に委ねられているのです。
広場は静寂に包まれていた。
やがて、一人の村人がぽつりと呟く。
「……すごい。」
その一言をきっかけに、あちこちから感嘆の声が上がり始める。
「まさか空からベッドを呼び寄せるなんて……。」
「これが神の奇跡……。」
「本当に聖人様だ……!」
称賛の声は瞬く間に広場中へ広がっていった。
村長は目頭を押さえながら、一太へ深々と頭を下げる。
「本当に……ありがとうございます。」
その隣で、奥さんも頬を赤らめながら小さく頭を下げた。
「これからは……ちゃんと二人で向き合ってみます。」
その言葉に、村人たちから温かな拍手が湧き起こる。
「よし!」
「運ぼうぜ!」
「男だけじゃ重い!」
「私たちも手伝う!」
いつの間にか男も女も関係なく集まり、皆で力を合わせてベッドを担ぎ始めた。
「そっち持って!」
「ゆっくり、ゆっくり!」
「角をぶつけるなよ!」
先ほどまで対立していた村人たちが、笑い合いながら一つのベッドを運んでいく。
その姿を見て、村長夫妻も思わず顔を見合わせて微笑んだ。
「皆さん……。」
「ありがとうございます。」
一太はその様子を穏やかな笑みで見守る。
(……いや、俺のベッドなんだけどな。)
心の中だけは泣いていた。
◆
やがて、一行は村長宅へ到着する。
「よし、このまま真っ直ぐ!」
「もう少し右!」
「慎重に!」
ベッドは玄関の前まで運ばれた。
そして――
「入れろ!」
「せーの!」
ゴッ。
……動かない。
「ん?」
「もう一回!」
「せーの!」
ゴンッ!
やはり入らない。
玄関よりも、ベッドのほうが大きかったのである。
「…………。」
全員が固まる。
村長が玄関とベッドを見比べる。
奥さんも見比べる。
村人たちも見比べる。
「……入らない。」
誰かが現実を口にした。
「「「あっ……。」」」
その場の全員が同時に気づいた。
「どうするんだ、これ。」
「窓からは?」
「もっと無理だ!」
「屋根を外すか?」
「いや、それじゃ家が壊れる!」
せっかく和やかになった空気が、一瞬で大混乱へと変わる。
そんな中、一太だけは静かに一歩前へ出た。
その表情は変わらず穏やかで、慈愛に満ちている。
「案ずることはありません。」
優しい声が、ざわめく村人たちを静かに包み込んだ。
「人が暮らす家も、人を支える寝床も。」
「互いを思いやる心があれば、必ず寄り添うことができます。」
一太はベッドへ向かって、ゆっくりと右手をかざす。
「ならば――。」
「その隔たりを、今ここで取り払いましょう。」
「ま、まさか……。」
「また奇跡が……。」
聖人は、新たな力を行使しようとしていた。
続きは近日公開予定でございます!
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