そして伝説へ。
やっと英雄となる魂を転生させたことに、女神は大きく安堵の息をついた。
最後の少年は少しばかり問題があるように思えたが、だが人間の子供であれば大抵はあんなものだろう。
多くの賞賛を集めたがり、本能と性欲に振り回される。
最低限の注意は伝えたのだから、これ以上は余計な手出しだ。
思うことをやればいいし、思うように生きればいいと思う。あの少年が何を選び、どう生きるかは彼の問題だ。
泉の女神は人間のうわべの欲を満たすものをチケットとして提示してみせる。
そしてそれが真に望むものであるとは限らない。
聖女候補の娘は自分がもともと持っていたチケットのみを欲しがった。
勇者候補はこれから手にする最上のもののみを欲しがった。
そして英雄となる少年は、誰もが羨むであろうものを欲しがった。
今、女神の手には少年が落としたチケットが残されている。
それは、映画のチケットだった。
小さな劇場でひっそりと上映される、地味な恋愛映画。
映画好きな少年は、ヒット作から駄作までさまざまな映画をたくさん見続け、派手さはないものの名作を産みだす映画監督として、後世に名を残すはずだった。
もちろん、トラックでなど死ななかった。それは捏造された記憶だ。
女神は『縁がなくなる』と言ったが、正確には伝えなかった。少年が怯むのを知っていたからだ。実際には、『その相手からの愛を永遠に失う』である。
大したことではない。
手を出してはいけないものに手を出さなければいいだけのことだ。
だからもしあの少年がその罪を犯したとしても。
女神は何を思うこともない。
人間がすること、選ぶことに神々は極力干渉しない。人間にはその自由が与えられている。だから好きに生きればいい。
極論、禁忌すら人間には許されている。
その結果を受け入れることと引き換えに。
だがそれは何もかもが同じこと。選択には結果がついてくる。
ただそれだけのことなのだ。
少年が行くはずだった映画のチケットは女神の手を離れ、ひらひらと宙に舞った。
いつか朽ちて消えてしまうのだろう。
訪う者のないこの場所で。
その行く末を思うこともなく、女神は泉へとその姿を消した。
……赤ん坊の、生を叫ぶ泣き声が響いた。
その日、世界に英雄が生まれた。