12.アティーノ墓地(2)
「この墓所は、誰が管理しているんですか?」
「聖皇家が。侯爵は、墓所の維持を、財産のほとんどを返上する条件としていましたから。
跡継ぎになるのを拒んだ親戚達に、資産を分けたくなかったんでしょうね」
ヴァランタンは、ため息をついた。
「……なんというか、寂しい話ですね。
家は絶えたのに、豪華な墓だけ残しても、仕方ないじゃないですか。
詣でる人だって、いないのに」
「確かに……」
エスキベルも眼を伏せた。
広大なドッラーノ侯爵家の墓所を回り込んで、裏手に出る。
侯爵家の墓所の奥側には、月桂樹の大木が何本か丸く茂っていて、木陰が広がっていた。
外にも、もう一本あり、その下に慎ましやかなベナンダンティ家の墓所があった。
柔らかい風が吹き、月桂樹の葉の芳香が、ヴァランタンの鼻をくすぐる。
ごく普通の、富裕な平民の墓所だ。
門扉のない、小部屋ほどの敷地に、年月を経た墓がいくつか。
一番左の、ま新しい墓がジュリアのものなのだろう。
隅には幼子の彫像を刻んだ、夭折した子どもの墓が1基ある。
ジュリアの墓は、名前と生没年だけを刻んだ、簡素すぎるものだった。
彼女は、28歳だったようだ。
カサカサに枯れた、野の花と思われる小さな花束が供えられていたのを片付け、買ってきた花束を献花台に横たえる。
香を焚き、エスキベルは死者の祈りを捧げた。
ヴァランタンも、唱和する。
祈りが終わった後も、エスキベルは、かなり長い間、頭を垂れていた。
ヴァランタンは、後ろから見守る。
やがて立ち上がったエスキベルに、ヴァランタンは訊ねた。
「かなり、その……シンプルなお墓ですが。
葬儀はどうだったんですか?」
「埋葬式は行ったのですが、正式な葬儀は、まだなのです。
故人を偲ぶ言葉を墓碑に刻むのは、正式な葬儀の折にと」
ヴァランタンは少し驚いた。
「てっきり、私が寝込んでいる間に、葬儀は終わったのだとばかり思っていました」
もう半月も経っているのに、なぜ葬儀が行われていないのだろう。
「ジュリア嬢の父親は、四人きょうだいの末っ子でして。
父方の伯父や伯母が3人、ご健在なのですが、いずれも遠方にお住まいで。
顧問弁護士が手紙を出したのですが、一番近い方に今頃知らせが届いたかどうか……」
手紙が着くまで2週間近くかかるというと、国の南端か、南方の島々か。
他国に住んでいる者もいるのかもしれない。
知らせが届いても、すぐに聖都に来て葬儀を行えるとは限らないし、きょうだいの間で調整するとなると、半年、もしかしたら1年以上かかってしまいそうだ。
「それはまた……母方はどうなんですか?」
「ジュリア嬢の母君はターラのご出身で、そちらのご親戚はさらに遠く……
聖都にいらっしゃる機会があるかどうかも」
ターラとは、これも聖都から二ヶ月近くかかる、大陸西南端の国だ。
ジュリアのエキゾチックな容貌は、母から受け継いだものだったのか。
「……天涯孤独の身ではないにしても、身内の縁が薄いんですね」
聖都の人々は、聖都の周辺を離れたがらない。
この古い都こそが世界の中心だと、信じているからだ。
なのに、ジュリアの親戚は、揃いも揃って遠くにいるという。
母方は仕方ないが、父親のきょうだい三人もだ。
あの庭で、エスキベルが身寄りはいるのかと問うた時に、ジュリアは微笑むだけで答えなかった。
なにか諦めているような、微笑みだったが──
「埋葬式に立ち会われた、ご近所の方が教えてくださったのですが……
伯父も伯母も、早くに家を出て、ほぼ義絶状態だったようで」
「それは……『魔女の水牢』との関わりを嫌って、ということですか?」
おそらく、とエスキベルは頷いた。
「だからこそ、ジュリア嬢の祖父は、イヴァナの慰霊を断念したのでしょう」
「なるほど……
悪霊の鎮魂など、そもそも素人が担い切れるものではありませんしね」
言いながら、ヴァランタンはジュリアの父母、祖父母の墓を見渡して、あれ?と思った。
ジュリアの弟──確か、ジョルジュの墓がない。
「ええと、ジュリア嬢の弟君の墓は?」
「……あちらですよ」
ヴァランタンは、奥の幼子の墓を示した。
「え? 彼は、寄宿学校で亡くなったのでは?」
この国では、寄宿学校に入学できるのは十三歳から。
幼子として葬るのは、せいぜい五、六歳くらいまでだ。
「ジョルジュ・ベナンダンティが亡くなったのは、五歳の時。
避暑に行った、セラヴェント湖で……
水際でジュリア嬢や乳母と遊んでいた時、ほんの僅か目を離した隙に、溺れてしまったそうです」
エスキベルは、沈痛な面持ちで言う。
「え。じゃ、じゃあ……
ジュリア嬢が殺した三人は……」
「ジョルジュ・ベナンダンティの死とは、まったく関係ありません。
ジュリア嬢は、あの魔女に、大切な家族の記憶を書き換えられていたのでしょう」
「そんな……」
ヴァランタンは絶句した。
足元が、ガラガラと崩れ落ちていくようだ。
ジュリアは、ヴァランタンとエスキベルを殺そうとした女だ。
だが、ヴァランタンはジュリアを憎む気持ちはあまりなかった。
むしろ、気の毒な女性だと感じてしまう。
弟を亡くし、家族を、未来を失い。
食べるに困らない財産はあるとはいえ、自由に使うことはできない。
一人きりで、小さな庭いっぱいに、毒花を育てつづけ。
そして、魔女の手先となり──裏切られてしまった。
寂しい、侘しい人生だという者も多いだろう。
だが、ジュリアは、彼女が切望していた、弟の復讐を叶えて亡くなったのだと思っていた。
間違った行為にせよ、彼女なりの本懐を遂げたのだと思っていた。
その願いまで、すり替えられていたとは。
「いや、そんなことってあります!?
あんまりじゃないですか。
彼女は、弟の仇討ちのつもりで、無関係な青年を三人も殺してしまったんですか!?」
思わず、ヴァランタンはエスキベルに詰め寄った。
「……そうです。
魔女は、人の恐れ、悲しみ、憎しみにつけ込み、悪の道にいざなう者。
だから、我々は、魔女と戦わねばならないのです」
エスキベルは、強い眼でヴァランタンを見返す。
「特に、あの侍女、……魔女ラウラ。
あの女は、必ず滅ぼさねば」
その瞳は怒りできらめき、唇が震えていた。
いつも淡々としているエスキベルらしくない。
怒りが、熱い塊となって、彼の中で蠢いているのが、目に見えるようだ。
ふと、ウルスラの言葉が脳裏に蘇った。
そうか。あれは、このような憤激のままに行動することを、戒めるためなのか──
「猊下がおっしゃっていたのは……私達は、魔女にも、憎しみの心にも勝利しなければならない、でしたか」
うろ覚えで口にすると、は、とエスキベルが息を引いた。
視線が泳ぎ、ふーっと大きく、吐息をつく。
「……そうです。それが大切なのです」
我を取り戻したのか、エスキベルは幾度も頷く。
困ったような笑みを、黒髪の神官は浮かべた。
「……私は、歴史を学ぶ学徒だったのです。
故あって、ある意味方便として、この道に入りまして……
導き手としての自分に、どうしても自信がもてなかった。
神官を演じているだけじゃないかと、思うことも多々ありました」
エスキベルの個人的な事情は、初めて聞く。
むしろ、かなり優れた神官だろうと思ったが、ヴァランタンは彼の言葉を待った。
「ですが、ジュリア嬢は、私の拙い導きに応じて、回心してくれた。
彼女が亡くなったのは、本当に残念ですが……
ようやく、神官としてなすべきことが一つ、出来たのかもしれない、と思った」
エスキベルがジュリアにロザリオを握らせ、その手を堅く包んでいた光景を思い出した。
女神の恩寵から手を離してはならない、離すことはできない、と言葉ではなく身体で伝えるように。
末期のジュリアと共に唱えた祈りは、エスキベル自身の祈りだったのだろう。
「そのジュリア嬢が、謀られていたとわかった時……
なんというか……私は初めて、心の底からの憤怒を知ったのです」
エスキベルは、目を伏せて首を横に振った。
「そうだったんですね……」
ヴァランタンは、ため息をついた。
情が、思いが、憎しみを招くのだ。
「……魔女との戦いにおいて、彼女のことは私の弱点になるかもしれません」
ぽつりと、エスキベルは呟いた。
それはそうかもしれない、とヴァランタンは思う。
思うのだが──
「弱点のない強さなど、この世にはありませんよ。
強さとは、弱点をどう活かすかにかかっているのです。
……と、我が師が言っていました」
最初に武術の手ほどきをしてくれた、祖母の言葉だ。
「武とは、そういうものなのですか?」
不思議そうに聞いてくるエスキベルに、「そうです」とヴァランタンは重々しく頷いてみせた。
エスキベルは、素直に納得してくれたようだ。
「……それにしても、難しくないですか?
魔女の誘惑に負けてはならないが、魔女への憎しみに溺れてもならない。
まるで、両側が断崖絶壁になった、細い道を渡るようなものじゃないですか」
ヴァランタンが苦笑しながら言うと、エスキベルも微笑んだ。
「その道こそが、女神フローラの御心に叶う道なのですよ。
それに……人には、善性という強い柱がある」
「善性?」
「両親が亡くなった後、ジュリア嬢は、ほとんど社交もせず、寂しく暮らしていたようなのですが……
神殿の慈善活動には、熱心に取り組んでいました。
週に二度、近くの神殿で、恵まれない子どもたちに読み書きや刺繍を教えて。
あの時編んでいたレース編みも、孤児院のバザーに寄付するためのものだったんです」
ヴァランタンは、あっけにとられた。
確か、自分たちが庭に入った時、ジュリアは、編み物を慌てて片付けていた記憶はあるが──
「既に、魔女に取り込まれていたのに、ですか?」
エスキベルは、せつなげな眼で頷いた。
「彼女の中では、子どもたちを助けることと、弟の復讐が両立していたのでしょう。
悪に歪められても、彼女の善性が毀たれていたわけではなかったのです」
ヴァランタンは、しばし呆然とした。
人というもの。
悪というもの。
神というもの。
世界は、思っていた以上に、複雑なのだ。
エスキベルは、わずかに潤んだ眼でジュリアの墓を眺めている。
その眼には、悔いが滲んでいた。
彼女の魂は救われたが、命は失われてしまった。
もっと巧く立ち回っていれば、命も救うことができたかもしれないのに。
そして、結局、魔女ラウラは取り逃がしてしまった──
せめて、手向けになにかできることはないか、とヴァランタンは思い巡らせて、あ、と声を漏らした。
「……そういえば、マルセーニ伯爵家に貰った口止め料の寄付先を、あなたに相談しに行ったことから、こんなことになったんですよね。
この際、あの口止め料を、ジュリア嬢が関わっていた活動に寄付するのは、どうでしょう」
エスキベルは、おお、とヴァランタンの両手を取った。
「素晴らしいお考えです。
すぐに、ご紹介しましょう」
ヴァランタンは、エスキベルの手を握り返した。
息子をジュリアに殺されたマルセーニ伯爵が知ったら、どう思うかわからない。
だが、少なくとも子どもたちには罪はなかろう。
「ジュリア嬢に、報告して帰りますか?」
「そうですね。
祈りましょう。
彼女のために。
そして……私達のために」
風が出て、月桂樹の葉がさやさやとそよぎ始めた。
ふたたび、エスキベルはジュリアの墓に額づき、ヴァランタンも頭を垂れた。
最後までご覧いただき、ありがとうございます!
この作品は、異世界恋愛風ホラー「大使館付武官・ヴァランタンの覚書」の三作目にあたります。
既発表作品は↓のリンクから…
第一作は二人の出会い、第二作が本作でも言及のあった「婚約者が次々と亡くなってしまう美貌の令嬢」の話です。
ついでに言うと、ヴァランタンはもともと異世界恋愛ミステリ「公爵令嬢カタリナ」シリーズのキャラクターです。そちらのリンクも↓にありますので、ぜひ!
ヴァランタン「自分は『推理』『災難』に脳筋枠で登板して、『差し替えられた花嫁』では(ほぼ)語り手やってます。よろしくお願いします!」
エスキベル「私は、あちらには登場しないんですけどね……」