空白の一日
目もくらむような光を誰しもがあきらめと共に見つめる中、しかしヘンゼルは己の最期を前に一矢報いようと銃口をイアへとむけた。
しかし、その引き金が引かれることはなかった。
「よくやったな、イア」
自身のすぐ横から声が聞こえたことに驚き、ヘンゼルが背後を振り返った時。
その目は驚きに見開かれた。
そこに凛と立つのは白い長髪をなびかせた一人の女性。
後ろ姿からセフィリアであろうとは思ったものの、しかしヘンゼルはすぐにそうだと断言することはできなかった。
なぜならば背後に、白い4枚羽が広がっていたから。
白一色のその姿は、伝承で語られる天使の姿そのままで、ヘンゼルはよもや自分はすでに死んでいて、彼女は天からの使いなのではと思ったが、それはあり得ない。
なぜなら彼女が守ると決めたのであれば、最早その守りが抜かれることなど皆無なのだから。
「ん、とりあえず”邪魔”だ」
そう言って。
誰が気づいただろう。その”邪魔”という単語、それが詠唱だったなどと。
セフィリアは剣を縦に一振。
バキッ、パキ、バキィ―――――――――――――――ン!!
途端何かが割れたような甲高い音と共に、空間に亀裂が入り、そして砕けた。
信じ難いかもしれないが、ともかく、そうとしか言い表せない光景がヘンゼルの前にはあった。
そして極光はまるで吸い込まれるかのように、いや、実際に吸い込まれていたのだろう。
やがてニーヴィルの放ったブレスは全て生み出された謎の穴に吸い込まれ、それを確認したセフィリアが逆再生のように剣を上へと振り上げると、その穴もまた巻き戻したかのように亀裂へと戻り、そして最後には完全に閉じてなくなってしまった。
あまりの光景に誰もが言葉を失う中、ブレスを放った古龍、ニーヴィルがセフィリアの前に舞い降りた。
セフィリアもまるで知り合いにでもするかのように片手をあげて「よっ」と声をかける。
『ククク、ただ者ではないとはないかとは思っていたが、よもや神に属するものだったとは。 道理で魔王を畏れぬわけだ』
「む、私はあんな奴らとは違うぞ。 それに今はれっきとした人として生きているからな」
『クカカカカ!! 神をあんな奴ら呼ばわりか!! わしが敵わぬわけよ!!』
親しく話す2人の姿に放心状態であった周囲はようやく帰還を果たすも、しかしすぐに喧騒に包まれる。
当然だ。
なにせ古龍だけでも驚愕に値するというのに、次に現れたのは天使(としか周囲には思えなかった)でしかも古龍と親しげに言葉を交わしているのだ。騒ぎにならないわけがない。
「まあともかく、イアの呼びかけに答えてくれて安心したよ。 ありがとう」
『フム。 この程度、礼を言われるほどでもない。 しかしセフィリア殿、其方が少女から離れるとは珍しい』
ニーヴィルの言葉にセフィリアはばつが悪そうに頭を掻いた。
「本当はすぐにでも戻りたかったんだけどな‥‥‥‥‥ いかんせん、面倒な敵だったんでな。 本当にイアが無事でよかったよ」
ニーヴィルはそんなセフィリアの言葉に面白そうにクツクツと笑う。
最も、見た目では完全に歯をむき出して唸っているだけであったが。
『しかしその結果、少女は見事一人での戦いを勝ち、確実に成長を遂げたわけだ。 師であれば、素直にそれを喜ぶべきではないか?』
「む、そういうものなのか?」
いまいちわかっていない様子のセフィリアに、今度は呆れたように首を振る古龍。
『セフィリア殿はそれほどの強さを持ちながら、そのあたりはまるでダメな様だな。 過保護にもほどがある』
「うっ!? い、いや、でもだな。 ちゃんと訓練は厳しいものをだな‥‥‥‥‥」
『そういう事ではなかろうて。 ‥‥‥‥‥‥どうやらいろいろと学ぶべきであるのは少女だけではなく、セフィリア殿も同じ様だな』
心当たりがありすぎてしどろもどろになるセフィリアにニーヴィルがそういうと同時、ゴスペルの慌てた声がセフィリアの耳に届く。
「おい、セフィリアさん!! 話をするのもいいが、イアちゃんは怪我をしてるんだから見てやってくれよ!!」
「む、そうだな」
セフィリアは4枚羽を消すとマフラーをコートに戻していつもの姿になり、イアの元へと歩み寄る。
イアは流石に限界だったのだろう。気絶して倒れていた。
セフィリアはうつぶせになったイアの体を仰向けにすると剣で自身の指を傷つけ、そして流れ出た血を右足の傷口に塗りたくった。
そのまま治療しては弾丸が体内に残ってしまうではないかと思うかもしれないが、魔銃により生みだされた弾丸は魔力によって生み出されたもの。
イアを傷つけた弾丸はその役目を果たし終えた時点で、魔力となって霧散していた。
イアは意識を失っているために痛がることもなく、そして傷口はセフィリアの血の効能によって見る見るうちにふさがっていく。
今回はオーギュスト、そしてサリィがそれを見て驚きの声をあげた。
「こいつぁ、たまげたな‥‥‥‥‥」
「嘘‥‥‥‥ 本当に血を塗っただけで傷が治るなんて‥‥‥‥‥」
しかし初見だというのに全く驚いていない者が一人、カレラだ。
なぜならカレラは吸血鬼。
血については詳しく、そして魔力を多く含む血はすぐれた薬になるという事も知っていた。
そしてあれだけ圧倒的な力、魔力を持つセフィリアの血が、どれほどの良薬になるかも。
「これでイアは問題ないだろう。 残るは‥‥‥‥‥」
そう言ったセフィリアはヘンゼルへと視線を向ける。
その頭の中では、戦いに水を差したセフィリアに対しプライドが高い貴族らしく文句を言ってくるヘンゼルの姿が浮かんでいた、のだが。
しかし目に映ったのはそのイメージとは正反対で、自身に対して平伏するヘンゼルの姿であった。
見れば、その姿勢をとるのはヘンゼルだけではなく、なんとこの場にいるもの全員であった。
セフィリアはその奇行に怪訝な表情を作りながら口を開く。
「何をしているのですか? ヘンゼル様」
一応貴族に対する礼儀として、敬称をつけてその名を呼んだセフィリアに、ヘンゼルはそのままの姿勢で答えた。
「敬称などと、ただの人間にすぎぬ私には不要でございます。 天使様」
「‥‥‥‥‥‥は? 天使?」
「はい、背に輝く純白の4枚羽。 あの古龍の一撃をもいともたやすく消し去るお力。 古より伝わる、伝承の中の天使様そのままではありませんか」
伝承。
人がはるか昔より語り継いできたそれはこういう内容だ。
世界は創世神セフィラにより創られ、その世界を管理すべくセフィラが世界へと降りた姿。それが天使であった。
天使は広い世界を見守る為の羽を持ち、世界の災厄を滅するための力を持つ。
そして天使となったセフィラは人知れずこの世界をどこかで見守っているという‥‥‥‥‥
この伝承を初めてセフィリアが聞いたのは、恐らくカレラが生まれるよりもさらに昔の話だ。
これを聞いたとき、セフィリアは戦慄したものである。
その中らずと雖も遠からずな内容に。
もしや自分を知るものがどこかにいるのか?と一時期は血眼になって探したものだが、しかし終ぞ見つけることはできなかった。
最もその時は神などの存在を知らなかったために、その存在を知った今となってはまず間違いなく神の仕業であろうとは確信していた。
とまあそんな思考にそれたところで現実が変わるわけでもない。
すぐにセフィリアは現実に呼び戻される。
後ろではゴスペルたちが跪こうとしているし、ニーヴィルまでもが首をたれる始末。
収拾がつかなくなってきたこの状況に、いよいよセフィリアは面倒くさくなってきた。
そもそもセフィリアはこのようにあがめられるのはあまり好きではなかった。それはこうしてあがめられてしまうと、自身が人とは決定的に違う存在であることを強く認識させられてしまうからだ。
その為セフィリアは次第にこの状況をなかったことにしたいと思い始める。
そしてそれができることであれば即座に実行してしまうのがセフィリアだ。
という事で、セフィリアは今日のこの日についての記憶を全員の頭から消し去ることにした。
「よし、みんな”眠れ”」
ドサドサドサドサドサ
連続して人が崩れ落ちる音が学院の訓練場で響き渡る。
全員がセフィリアの一言で夢の世界へといざなわれたのだ。
「さて。 それじゃあ今日起きたことは全て忘れてもらおうか」
そしてセフィリアは眠りに落ちた者、イア、ゴスペル、サリィ、オーギュスト、カレラ、ニーヴィルを除いた全員の頭の中から、セフィリアお得意の都合のいい魔法で今日起きた出来事の全てを抹消していき、やがて全員の頭の中から今日の日の出来事を消し去ると、仲間たちだけをおこしてその場を立ち去ったのだった。
後日、訓練場で眠りに落ちていた者達は目覚めたが、しかしすぐに昨日の記憶すべてが抜け落ちていることが判明。
何とかして昨日何が起きたことを知ろうとするも、そもそも思い出すこともできなければ覚えているものも、誰一人としていなかった。
王都に暮らす人々からは「吸血鬼を見た」「天使を見た」「竜が王城へと飛んでいくのが見えた」などと言う話が絶えず聞かれるも、結局確かなことは何もわからずじまい。
そんな経緯から王都ではこの日を「空白の一日」と呼ぶようになり、一種の伝説のようなものとして語り継がれていくことになるのだった。




