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子爵令嬢の私は、茶色の髪に茶色の目という目立たない外観の少女だった。それでも貴族学院に入って恋をした。同じクラスの伯爵家の三男の男子生徒だった。黒髪に濃い茶色の目の少年だった。
「学院在学中だけでもつきあってください」
「ごめん、そういうつもりはないんだ」
言葉を濁さないところに憧れていた。だからきっぱり断られて増々好きになった。
彼は私のグループにいる男爵令嬢が好きだと分かっていた。赤毛と茶色の目の少女だった。私がいるグループは、緩やかな友好関係という感じで、全員凄く仲が良いという訳ではなかった。ただ、おっとりとしたリーダー格の伯爵令嬢の隣ではっきりものを言う彼女は、家格がもっと高ければリーダーになる様な性格だった。はっきり意見を言う彼とは合いそうなタイプだった。
ただ、その彼女は男爵家の跡取りと婚約をした。
だから彼ももう諦めたかと思って、再度告白した。
「ごめん。最初から気持ちは変わっていないんだ」
そんな学生生活をしていると、両親が私の婚約を調えてきた。割と領地が近い男爵家の跡継ぎだった。貴族令嬢の全てが貴族の跡取りと結婚出来る訳では無いから、これは良い話だった。両親にとってはそう思えただろう。
その人とは二度会ったけれど、口の重い人だった。私も自分から話題を振るタイプではないから、話が全く進まない仲だった。
この人と話が弾まない時間を過ごすのが私の人生?それは私の望む未来じゃなかった。だから私は共和国から来て、積み荷を降ろして帰る帆船に乗って出国した。帰りは積み荷が少ないので旅客運賃が安いから、手持ちの宝飾品を売って払える額だったんだ。
共和国は王国と同じ言葉を使うから、生きていくのはそこまで苦しくない筈だった。でも、家を捨てて国を捨てて渡る外国は、コネの利かない実力勝負の世界になる。もちろん、共和国出身の人達はコネが使える。つまり、学生に過ぎず何の実力も無い私にはいきなりマイナスからのスタートだった。手持ちのお金がどんどん無くなる。
仕方なく、寮のある紡織工場に入り込む事にした。
刺繍くらいは出来るが紡績の経験がない私は、一緒に就職した人達の中で一番仕事が出来ない人間だった。先輩からは怒鳴られ、同期の人間からは嫌な仕事を押し付けられた。無力を感じて私はどんどん痩せていった。
契機は「嫌な仕事を押し付けられ」た事だった。農家出身者の多い紡織工場では、文盲率が高い。備品や在庫のチェックと計算の仕事が回って来たんだ。教育を受けていない者にはいじめに等しい仕事だが、貴族学院に通っていた者にとっては簡単な仕事だ。
それから私の午後はその仕事に充てられた。在庫と数字が合わない事を指摘し、一覧表の修正を提案したら、給金が上がった。ガタが来ている紡績機械の修理を提案し、その機械を使って糸をつむぐ仕事も効率が上がる様になった。
とは言え、ノルマも多く、女工達も消耗するから、2年で私達の雇用契約が終わった。引き留められたが、もっと給金の良い工場があった為にそちらに移った。
そうして3つの工場を渡り歩いた後、ようやく商会の事務の仕事にありついた。月末は酷い残業となったが、普段は日の暮れた頃に帰れる。寮が無い為、部屋を借りる必要があったが、全く遊ばず働いて来たから保証金くらいは蓄えがあった。
それでも、生きながらえる為のお金の奴隷である事に変わりは無かった。殆ど蓄えは増えず、1カ月の生活費を1カ月働いて得る、綱渡りの生活だった。それでも日曜は街をぶらつく時間が出来た。
そんな時、彼女に再会した。
普段は下町で過ごす私も、気まぐれに繁華街を歩いてみた。街を歩く人達は比較的上等な服を着ていた。かつて子爵令嬢だった私が着ていた服よりは安価な服だが。
下町には無い、ショーウインドウを持つ服飾店に飾られたコートを眺めていると、その店から上流階級と思われる婦人が出て来た。ふと目があった女性は、きっちり整えられた赤い髪に帽子を被り、スーツを着た意思の強そうな女性だったが、どこか見覚えがあった。
彼女は私と目が合うと一瞬目を見開き、その後に顔を少し歪めた。そして隣を歩く侍女らしき女に耳打ちをした。侍女は私に近づき言った。
「男爵夫人が話があるとの事です。付いて来なさい」
男爵とか子爵とか、もう遠い過去の話に思えたが、見るからに下層階級の私が外国貴族の不興を買う事は許されない。だから付いて行った。
今の私にはとても入れない上等なカフェに連れられて行った。着席した彼女は私には何も聞かず二杯の茶を注文し、話し始めた。
「学院を辞めて何をしているかと思えば、こんなところでそんな姿で歩いているとはね。婚約者が気に入らないから逃げたと聞いたけど、何の考えも無しに行動したみたいね」
「学院時代から、あなたみたいに何も考えずに生きてる人を見るといらいらしてしまったけど、何も考えずに行動してそんな風に落ちぶれているのを見るとざまあみろと思うわ。私達のグループにいたのも、寄らば大樹で何も考えずにいられるからでしょ?伯爵令嬢や私に付いて行けば楽が出来ると思ったのでしょう?そんな風に楽をしようとするから、そういう罰を受けるのよ。あの頃からあなたみたいに考えなしの人は大嫌いだったわ」
彼女は昔と変わらずはっきりとものを言った。その頃はグループに波風を立てない様にそこまでは言わなかったが。茶も飲まずに彼女と侍女は支払いを済ませて店を出た。
もちろん、私の心には波風が立っていた。
(何よ!そこまで言う事無いじゃない!あなただってたかが男爵夫人になっただけじゃない!)
かつての私なら男爵夫人は羨ましい立場では無かったが、今の私から見たら雲の上の立場だった。今の私は下層の労働者に過ぎず、彼女にとっては場所代としてお茶代を簡単に払う様なカフェでも、私にとってはもう二度と入る事のないお店だ。
最後の高級茶葉の味を私は楽しもうとした。
もちろん、味なんて感じなかった。




