29 液魔
2026年 7月27日 第2稿として大幅リライト
剣技指導長ランドリックは急いでいました。大きく振られた両手の拳は固く握られ、噛みしめられた口元には焦りが見えます。
教室の戸を荒々しく開けると、中に向かって大きな声を張り上げました。
「リーゼはいるか!」
窓辺の席でアメリアとお喋りしていたリーゼは、ランドリックのただならぬ雰囲気を感じ取り、すぐに立ち上がりました。
「ちょっと行ってくる」
アメリアは黙ってうなずきました。ただ事ではないとアメリアも感じ取っているのです。
教室にいる生徒たちの視線が集まる中、リーゼがランドリックに駆け寄ります。
「何?」
リーゼが尋ねると、ランドリックは身をかがめて、耳元で声をひそめました。
「王命により、まずはお前にだけ伝える。ロアンに“闇の雫”が落ちた」
「えっ!?」
リーゼが驚くのも無理はありません。サノワからロアンまでは、馬車で数日から1週間はかかる距離です。そんなところまで“闇の雫”が届くとは、考えてもみませんでした。
ですが、幸いにもロアンなら【ゲートマーク】をしてあります。一瞬で助けに向かうことが出来ます。
「わざわざ先んじてお前に伝えるということは、王自らお前の単独行動を認めるということだ」
ランドリックの両手が、リーゼの両肩をしっかりとつかみました。
「お前はいったい何者なんだ? お前ならロアンを救えるというのか?」
ランドリックは、つい声を荒げてしまいました。リーゼの強さはランドリックも認めるところです。――けれど、公都の騎士団を差し置いてまで、なぜこの少女が求められるのでしょう? やはり聖騎士なのでしょうか?
リーゼは静かにうなずきました。まっすぐに向けられた瞳からは、必ず助けるという強い気持ちが伝わってきます。
「行ってくる!」
ランドリックの両手を振りほどくと、リーゼは教室から駆け出しました。
「待て! どうやって行くつもりだ! 私も一緒に……」
ランドリックが慌てて追いかけると、すでにリーゼの姿はありませんでした。誰もいない廊下があるだけです。かき消えるように失せてしまったのです。
「リーゼ、お前は……」
ランドリックの言葉はもう届きません。リーゼはロアンに向かったのです。
◆ ◆ ◆
「痛いよぉ! ママァ! ママァ!」
「今取ってあげるから我慢して!」
少女の背中に黒い液魔が貼り付いています。液魔は小刻みに震えながら酸を分泌し、服ごと肌を焼いてるのです。
何とか引き剥がそうとする母親の両手にも、液魔がこびりついていました。シュウシュウと肌を焼く白い煙が上がりますが、母親は気にかけません。娘を助けたい一心なのです。
ロアンの街中で同じような光景が広がっていました。
落下した“闇の雫”がそのまま液魔となり、村人に降り注いだのです。
「ワシに任せろ!」
騎士のグステオが母親を制しました。
「オリャアアアア!」
渾身の力で、少女の背中に巣くう液魔に剣を振るいます。けれど、全く刃が通りません。まるでゴムの塊を叩いているようです。
「クソッ! この鈍らが! ギルド自慢の剣を奮発しておくんだった!」
グステオは諦めず、何度も剣を振り下ろしました。けれど、剣は全て弾かれてしまいます。その間にも少女は苦悶の声を上げています。
「どうにか……どうにか娘を……」
母親がグステオの足にすがりました。
「わかっている、わかっているが……」
母親の手が、グステオの腰に下がった小さな鞘に触れました。鞘に納まる柄には、▲と●で形取られたリボンの刻印があります。
「そうか! リームの包丁ならあるいは!」
グステオはリームの包丁を抜きました。白銀の刃が艶めかしく、美しい輝きを放っています。
「ナイフ代わりにしておいてよかったわ!」
渾身の力でリームの包丁を液魔に突き立てました。刃はいとも簡単に液魔の表面を切り裂き、黒い液体が割れた風船のように弾けました。
「いけるぞ!」
液魔はしぶとくも、まだ少女の背中でうごめいています。
「核だ、核を討たねば……」
液魔の体の奥に、ボウッと紫に浮かぶ塊がありました。
「そこかぁっ!」
包丁一閃――。グステオの一撃が液魔の核を捉えました。
核を貫かれた液魔は身もだえるように痙攣したのち、黒い霧となって消えました。
「皆の者! リームの包丁だ! リームの包丁で液魔の核を刺せ! どの家にもあるであろう!」
家族や仲間を助けようともがく者たちが、次々と声を上げました。
「リームの包丁だ!」
「リームの包丁で殺れるぞ!」
グステオの叫びが通りを伝達していくにつれて、皆が家へ飛び込んでいきます。リームが打った包丁が、街の人々に戦う術を与えたのです。
その頃、鍛冶屋ギルドに面する通りでは――。
液魔の核をブロードソードで貫いたゴランが、満足そうに刃を見定めています。
「ふむ、いい切れ味ではないか。見た目だけではないな、このブロードソード」
「お手を煩わせてしもうた」
液魔に取り憑かれていたオイゲンが立ち上がりました。右肩が少し焦げていますが、気にする様子はありません。
「オリャア!」「このオッ!」
鍛冶職人たちが雄叫びとともに戦斧を振り下ろしていきます。狙いは寸分違わず核を捉え、液魔たちは黒い霧となっていきました。
職人たちは朝飯前だと言わんばかりに、お互いを称え合います。
「お前の打ち込みも正確になったもんだな!」
「まだまだリーム殿の足下にも及ばんがな!」
「言われたとおり、狩りに慣れておいてよかったぞ!」
けれど、喜びもつかの間でした。残った液魔たちが通りや壁面、屋根の上に集まり、あちこちで大きな黒い塊へと溶け合っていくのです。やがて塊の一つ一つが形を変え、無数の巨大なムカデとなって辺りを埋め尽くしました。
サノワを襲った個体よりも一回り大きく、鎌を持つ腕が2本から4本に増えています。
「これは……」
オイゲンが息を飲みましだ。あっという間に鍛冶屋ギルドが、ムカデに囲まれてしまったのです。
「簡単には勝たせてもらえんか」
ゴランはムカデを見据えたまま、声の限りに叫びました。
「連絡用の水晶球にミスリル鉱で魔力を通せ! リーゼだ! 聖騎士学園のリーゼに“闇の雫”襲来を告げよ! 騎士団はその後で構わん!」
「はっ!」と声を残して、1人の職人がギルドへ駆け込んでいきました。
ゴランは自らの剣を抜くと、ブロードソードとともに両手で構えます。
「何としても聖剣の炉を守り抜けぃ!」
ゴランの号令に応じて、鍛冶職人たちが「おう!」と雄々しい声を上げました。
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