29 液魔
急ぐ足音が廊下に響いていた。大きく振られた両手の拳は硬く握られ、噛みしめられた口元には焦りが見える。
剣技指導長ランドリックは急いでいた。
教室の戸を開けるや否や、
「リーゼはいるか!」
と大声を上げた。
窓辺の席でアメリアとお喋りをしていたリーゼは、ランドリックのただならぬ様相を感じ取り、「ちょっと行ってくる」と席を離れた。
アメリアもただ事ではないことを感じ取り、うなずいて送り出した。、
「何?」
リーゼが尋ねると、ランドリックは腰をかがめて、耳元でささやいた。
「王命により、まずはお前に伝える。ロアンに“闇の雫”が落ちた」
「えっ!?」
リーゼが驚くのも無理はない。この間、“闇の雫”が落ちたサノワからロアンは遠く離れている。馬車で数日から1週間の距離だ。そんなところまで“闇の雫”が届くなんて、考えてもいなかった。
だが、幸いにもロアンなら【ゲートマーク】してある。一瞬で助けに向かうことが出来る。
「わざわざ先んじてお前に伝えるということは、王自らお前の単独行動を認めるということだ」
ランドリックの両手が、リーゼの両肩をしっかりとつかんだ。
「お前はいったい何者なんだ? お前ならロアンを救えるというのか?」
ランドリックの語気がつい荒くなった。確かにリーゼは強い。だが、騎士団や聖騎士学園を差し置いて、なぜこの少女が求められるのだ? やはり、聖騎士なのか?
リーゼはそっとランドリックの手を解くと、静かにうなずいた。その瞳からは、必ず助けるという強い意志が伝わってくる。
「行ってくる!」
リーゼが教室を駆け出した。
「待て! どうやって行くつもりだ! 私たちも一緒に……」
ランドリックが追いかけた先――そこにリーゼの姿はなかった。誰もいない廊下があるだけだ。まるで、かき消えるように失せてしまった。
「リーゼ、お前は……」
ランドリックの言葉は届かない。もうリーゼはロアンに向かったのだ。
◆ ◆ ◆
「痛いよぉ! ママァ! ママァ!」
「今取ってあげるから我慢して!」
少女の背中に黒い液魔が貼り付いていた。液魔は小刻みに震えながら酸を分泌し、服ごと肌を焼いている。
何とか引き剥がそうとする母親の両腕にも、液魔が貼り付いていた。シュウシュウと白煙が上がり肌を焼いているが、母親は気にかけない。娘を助けたい一心だ。
ロアンの街中で同じような光景が広がっていた。
落下した“闇の雫”がそのまま液魔となり、村人に降り注いだのだ。
「ワシに任せろ!」
広場を警備をしている騎士のグステオが母親を制した。
「オリャアアアア!」
渾身の力で剣を振るった。だが、弾力性のある液魔の体が、剣を弾く。まるでゴム毬を叩いているようだ。
「クソッ! この鈍らが! ギルド自慢の剣を奮発しておくんだった!」
グステオは何度も剣を振り下ろしたが、全て弾かれ通じない。その間にも、娘の肌は焼かれ続け、少女は苦悶の声を上げていた。
焦りと消耗でグステオの息が乱れた。
「どうにか……どうにか娘を……」
懇願する母親がグステオの足にすがった。
「わかっている、わかっているが……」
母親の手が触れ、グステオの腰に下がった小さな鞘が揺れた。鞘に収まる柄には、▲と●で焼き付けられたリボンの刻印がある。
「そうか! リームの包丁ならあるいは!」
グステオは、リームの包丁を抜いた。白銀に輝く刃が艶めかしく輝いている。
「ナイフ代わりにしておいてよかったわ!」
渾身の力で、リームの包丁を液魔に突き立てた。刃は液魔の表面をいとも簡単に貫き、黒い液体が割れた水風船のように弾けた。
「いけるぞ!」
液魔はしぶとくもまだ、少女の背中でうごめいている。
「核だ、核を討たねば……」
液魔の奥に、ボウッと紫に浮かぶ塊があった。
「そこかぁっ!」
包丁一閃、グステオの一撃が液魔の核を捉えた。
核を貫かれた液魔は身もだえるように痙攣すると、黒い霧となって四散した。
「皆の者! リームの包丁だ! リームの包丁で液魔の紫の核を刺せ! どの家にもあるであろう!」
その声を受けて、家族や仲間を助けようともがく者たちが次々と声を上げた。
「リームの包丁だ!」
「リームの包丁で殺れるぞ!」
グステオの叫びが通りを伝達していくにつれ、家へ飛び込む者たちが増えていった。リームが旅の代金稼ぎに打った包丁が、街の人々に戦う術を与えたのだ。
ブロードソードの剣先が、液魔の核を貫いた。
「いい切れ味ではないか。見た目だけではないな、このブロードソード」
一撃で液魔を黒い霧と化した剣に、ゴランは満足げだ。
「お手を煩わせてしもうた」
液魔に取り憑かれていたオイゲンが立ち上がった。右肩が少し焦げたが、気にする様子もない。
「オリャア!」「このオッ!」
鍛冶職人たちが次々と液魔に戦斧を振るっていく。戦斧は的確に核を捉え、液魔を黒い霧へ変えていった。
「お前の打ち込みも正確になったもんだな!」
「まだまだリーム殿の足下にも及ばんがな!」
「言われたとおり、狩りに慣れておいてよかったぞ!」
楽勝ムードに誘われ、鍛冶職人たちが笑みをこぼした。しかし――
難を逃れた液魔たちが引き下がり、集まっていく。通りに、壁面に、屋根の上に大きな塊を作り、黒いムカデに姿を変えていった。
サノワを襲った個体より一回り大きく、鎌を持つ腕が4本に増えている。
「これは……」
オイゲンが息を飲んだ。あっという間に鍛冶屋ギルドは、無数のムカデに囲まれてしまった。
「簡単には勝たせてもらえんか」
ゴランは、ムカデを見据えたまま告げた。
「緊急用の水晶球に、ミスリル鉱で魔力を通せ! リーゼだ! 聖騎士学園のリーゼに“闇の雫”襲来を告げよ! 騎士団への救援はその後で構わん!」
「はっ!」職人が1人、ギルドへ駆け込んでいった。
ゴランは自らの剣を抜き、ブロードソードと合わせて二刀を構えた。
「何としても聖剣の炉を守り抜けぃ!」
ゴランの号令に、鍛冶職人たちが「おう!」と答えた。
【次回予告】
再び始まった闇の雫との死闘。リーゼの活躍は?
【大切なお願い】
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