27 小旅行
「うわぁ、きれ~っ!」
目の前いっぱいに広がる小麦畑に、リーゼの黒い瞳が輝いた。もこもこした雲が浮かぶ青い空の下で、黄金色の麦穂が棚引いている。
遠くの丘に、石垣で囲まれた街が見える。
「あれが、この辺りで一番大きな街かな?」
勇者の初期服にバックパック代わりの布袋を背負ったリーゼは、まだ見ぬ街にワクワクしながら歩みを早めた。
週末、リーゼは小さな旅を始めていた。
【ゲートマーク】したサノワの村近郊の林から、そばの街や村に出かけて、人気のないところに【ゲートマーク】を付けていく。再び“闇の雫”が落ちるならその辺りだろうと目星を付け、すぐ駆けつけられるように準備しているのだ。
街もぐるっと回って、おおよその配置を把握しておく。屋台料理なんかを食べながらなので、これが楽しい。
今日は、何が食べられるんだろう? 小麦がいっぱいあるし、パンかな?
街を救うためという自ら課した使命がありながらも、遠足気分で探索を楽しんでいた。
◆ ◆ ◆
その頃――。
旅が仕事の旅商人エリオは、ゴランの屋敷を訪れていた。いつもの厳めしい応接室に通され、2人きりの話が始まる。
「本日はお招き頂き、ありがとうございます、ゴラン様」
大ぶりなソファに身を沈めたエリオが、商人らしい笑顔を浮かべた。
「挨拶はいい。話に入ろう」
ゴランが向かいのソファにドカッと腰を落とすと、鋭い眼差しを向けた。
「聖騎士が現れたこと、聞いておるな?」
「はい。年端もいかない見た目のエルフで、リィゼ様と名乗られたとか」
表情を崩さないエリオが小ざかしい。
「歯がゆいな? 知っておるのだろう、そのエルフのことも」
「どうしてそう思われるのです?」
「村の農夫の話だと、そのエルフは、お主が入学金を工面した少女、リーゼに似ておるそうだ。だがな――」
ゴランが身を乗り出した。相手の表情の変化を見逃すまいと、眉毛が跳ねる。
「つり目の大きな瞳に、生意気な言動――ワシにはリーム殿が重なって見える」
ピクリとエリオが反応した。わざとなのか、不意なのかは判別がつかない。
「本来、犬猿の仲であるエルフとドワーフの娘を同一視するとは、笑えるであろう?」
「ドワーフとエルフでありながら恋をした、ゴラン様とリィン様のような例もあります。縁は種族を超えるかと」
「うむ……待望の聖騎士がエルフであることをワシは心より喜んでおる。だが、その娘は立ち去ってしまってな……」
ゴランが立ち上がった。背を向けて、大きな窓へ歩み寄る。
「サノワを救ってもらった礼もしておらん。何としても聖騎士リィゼ殿に会いたい」
エリオは察した。礼は建前で、聖騎士の身柄を確保するつもりだな、と。
「……ネイザー公国の窮状を鑑みれば、当然のお考えかと」
「お主なら連れてこられると踏んだのだが、違うか?」
「そんなことをせずとも、あの方は“闇の大穴”を封じる手助けをするでしょう。困っている者を見過ごせない方なのです」
目を閉じれば思い出す。身を寄せた孤児院を救う為に、大道芸人の真似事までした少女のことを。
「……心優しき者なのであろうな。立ち去る際、聖騎士になりたくてがんばってる者の邪魔をしたくないと言い残したそうだ」
「あの方らしい……」
「命を救われた砦の騎士どもは皆、リィゼ殿を信奉しておる。あれでは誰の兵か分からん」
背を向けたまま、ゴランが豪快に笑った。
「兵が誰を信奉しようと、リィゼ殿が何者だろうと構わん。肝心なのは、“闇の大穴”から国を如何に救うかだ」
「おっしゃる通りでございます」
エリオは心より頭を下げた。元々鍛冶ギルド長であったゴランは、仕事の仕上がり――つまり、結果を求める。商人としてはつき合いやすい相手だ。
ゴランは振り返ると、
「聖騎士と聖剣の打ち手の目処は立った。あとは……わかるな?」
と言って、再びソファに体を降ろした。2人の間の背の低いテーブルに置かれた木箱に、節くれ立った手を置く。エリオは気になっていた、訪れた時から置かれていたこの箱が何なのか。
ゴランが封を解くと、中には剣身が折れた長剣が入っていた。折れているとはいえその輝きは美しく、ミスリル特有の青い光を纏っている。
「ギルド長のオイゲンに作らせたレプリカだ。剣が分からぬ者には、本物と見分けがつかぬ」
「……私に……入れ替えろと?」
「いつまでも王宮の宝物庫に隠し置くつもりか? 聖剣として生まれ変わるなら、勇者の剣も浮かばれよう」
エリオは黙った。もしバレれば、よくて国外追放、悪ければ斬首だ。国王を説き伏せたとしても、天聖皇国が黙っていない。存在を葬った勇者の証を持ち出した異端の徒として、必ず始末されるだろう。
だが、この無理難題を予期していたのか、エリオは静かに言った。
「このために、私とお付き合い頂いていた――そういう訳ですね?」
「否定はせぬ。ハイミスリルは知っての通り、純度の高いミスリルから稀に生まれる希少なものだ。偶然見つかることを期待するより、ハイミスリルで出来た勇者の剣を持ち出す方が確実であろう?」
「利のないところで商人は動きませぬが?」
「ワシがお主の後ろ盾となろう。それで十分ではないか?」
「……私がネイザー公国を後ろ盾に祖国で旗を揚げれば、ただの傀儡で利はあなたにあります。興味はございません」
「ふむ……商人には過ぎた話だったか」
「ですが、この話――」
エリオは、一呼吸ついて続けた。
「お引き受けしましょう。勇者の剣を持ち出す代金は、リーゼ様の入学の際に、私が何者であるかを内密に大金貨600枚をご用意いただいた借りをお返しすることで構いません」
「なに!? それでよいのか? 安すぎであろう。身に危険が及ぶのだぞ?」
「剣を持ち出すだけなので、仕入れ値はタダでございます。お気になさらずに」
エリオのにこやかな笑顔に、ゴランは不覚にも言葉に詰まった。この男の覚悟はどこから来ているのだ? 命を賭けて、他国のために尽くすというのか? いや、そんな男ではない。何か利があるはずだ。
「私の真意をお疑いのようですが、ご心配には及びません。私はただ、リーゼ様……いえ、リィゼ様がお望みになった時に、聖剣となる剣を用意した者でありたいだけです」
ゴランは悟った。この男の望みは他国を救って利を得ることではない、己が信じる者に尽くすことだと。
「……ではせめて、公共の商いを今以上にセルジオ商会へ回すとしよう」
「ありがたきお申し出、痛み入ります。商会を挙げて力を尽くします」
頭を下げるエリオに対して、ゴランも頭を下げた。執事や側近が同席していれば、きっと驚いたことだろう。利で動く商人に感謝を示すなど、滅多にないことだから。
◆ ◆ ◆
「うわ~っ、何それ? パンにそんなにお肉を挟んじゃうの?」
「おうよ、お嬢ちゃん! 街名物のワイルドボアサンドよ!」
そう言いながら、威勢のいい屋台の若者は、切れ目が入った細長いパンに焼いた薄切り肉をこれでもかと挟んでいった。一緒に焼いたチーズが、とろ~り溶けておいしそう。
「パンも焼き立てだから、香ばしくて最高だぜ!」
「うん! 来る途中に小麦畑がいっぱいあったから、きっとおいしいパンがあるんだろうなって思ってた」
「おっ、うれしいこと言ってくれるねぇ。お肉おまけしとくぜ!」
「ありがと!」
代金と引き換えに手渡された屋台らしい大雑把なパン料理は、どうやって口に入れればいいのかわからないぐらい大きかったが、リーゼは小さな口を精一杯開いて、かぶりついた。
「ん~っ、おいし~。なんだか元気の出る味だね」
ほっぺたにチーズがついたが気にしない。満面の笑みに屋台の若者も上機嫌だ。
「お嬢ちゃん、どっから来たんだい? 名物サンドを知らねぇし、旅の者か?」
「まぁね、この辺りの街とか村を回ってるの」
「まさか、1人じゃねぇよな? 人さらいに連れてかれちまうぞ」
「大丈夫、私、強いから」
若者が吹き出した。小脇に抱えられそうな少女が強いなどと、信じるわけがない。
リーゼもニッコリと笑顔を返した。
「ね、ここって何人ぐらい住んでる?」
「あぁ? 2、3千人……ってとこか」
「石垣が低いけど、“闇の雫”が飛んできたことはないの?」
「ないない! こんなとこまで飛んで来やしないって」
「ふ~ん……そっか。人が一番たくさん住んでるとこはどの辺り?」
「そうだな……東のでかい用水路の辺りだが、何でそんなこと聞くんだ?」
「ん~」
リーゼは口をモグモグさせながら、しばらく考えた。
「心の準備かな」
そう言うと、また大きな口を開けて、パンにかじりついた。今度は鼻の頭に、炒めた肉の甘辛いソースがちょっぴりついた。
【次回予告】
さて、次回は物語が大きく動き出す…かもしれません。
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