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26 リーゼの弱点

 アメリアたちを乗せた馬車が帰ってきた。行きとは違って、のんびりとした雰囲気で校門をくぐって来る。

 拍手で出迎える生徒の中に、リーゼの姿もあった。出発の時とは違って、今回はサボっていない。久しぶりにアメリアに会えるとワクワクしていた。


 馬車が止まると、真っ先にアメリアが荷台の踏み板を降りて、リーゼの元へ駆け寄った。大人しいアメリアには珍しい活発さだ。


「リーゼ!」

「アメリア!」


 アメリアは、ぴょんとリーゼに飛び込むと、幸せいっぱいの笑顔を寄せた。


「ただいま!」

「おかえり!」

「みんなを助けてくれてありがと!」

「えっ?」


 戸惑うリーゼをよそに、アメリアの小さな両手がリーゼの両耳を引っ張った。髪に隠れていた耳が、むにょっと顔を出す。リーゼの両手はアメリアを抱きかかえていて、抗うことが出来ない。


「な、なに?」

「リーゼってホントはエルフなの? 耳は……尖ってないなぁ」

「その子はリー(・・)ゼじゃなくてリィ()ゼでしょ? 髪の色も瞳の色も違うよ」

「そうなんだよね……別人なんだよね……」


 アメリアはリーゼの両耳を髪の中に戻すと、腕の中から降りて、まっすぐ黒い瞳を見た。


「けどね、私はリーゼだって思ってる。ディツィアーノ先生の水晶球を回復魔法ヒールで割っちゃうぐらいだもん、種族を変える秘術とか、使えたりしない?」


 当たらずとも遠からず、秘術じゃなく単にチートの【システムコマンド】だけど、リーゼを動揺させるには十分だった。


「そ、そんな秘術、使えないよ」


 秘術じゃないからウソは言ってない。けど、リーゼは思いっきり視線を外した。そのうちアメリアにも、これがリーゼが誤魔化す時のクセだとばれるだろう。

 動揺を隠すように、リーゼが続けた。


「それより、お母さんもお爺さんも、みんな無事でよかったね」

「うん!」


 再会の喜びに沸く2人のそばに、ランドリックが真剣な面持ちでやってきた。


「リーゼ、お前はあの夜、ずっと部屋にいたのか?」


 リーゼが小首を傾げた。


「……いなかったって言ったら、どうなの?」

「む……」


 思いがけない返答に、ランドリックは戸惑った。サノワの村人や騎士たちの話を聞くほどに、聖騎士リィゼの言動がリーゼと重なって思えた。……だが、そんな荒唐無稽な考え、どう確認するというのだ。


「いや、いい。次からは、馬車への積み込みを手伝えよ」

「はーい!」


 子供らしい、元気な返事が返ってきた。


 そんな3人のやり取りを尻目に、シャルミナがフンと不満そうに鼻を鳴らして立ち去っていった。



  ◆  ◆  ◆



 燭台ごと持ったロウソクの明かりを頼りに、石造りのらせん階段をディツィアーノが降りていく。まるで闇の底へ続く穴を降りていくかのような、暗い、暗い階段だ。コツコツと響く足音が、静けさに飲まれていく。


 階段の底には古びた木の扉があった。


 ディツィアーノは扉の中央にある天聖教会の紋章に、胸の大天使を模したロザリオをかざした。どちらの天使にも6枚の羽がある。

 紋章とロザリオが呼応するようにボウッと輝くと、扉の封印が解かれた。


 ここは、天聖教会の本拠であるイルミナ大聖堂の地下深く。重々しい扉の向こうには、所蔵庫が広がっていた。


 蟻の巣のように入り組んだ洞窟に、大小様々な本棚や、隠し集められた品が並んでいる。甲冑、魔物の標本、得体の知れない像など、どこかおぞましさを感じさせるものばかりだ。


 ディツィアーノは、周りを確認しながら奥へ進んでいく。


「確か……この辺りですね」


 奥まった暗闇を照らすと、鎖で観音扉を封じられた本棚が浮かび上がった。


 ディツィアーノは燭台を岩の上に置くと、古びた鉄の鍵を取り出した。鎖を繋ぐ南京錠を開け、鎖を解いていく。


 さび付いた音とともに観音扉が開いた。中には、古びた本や紙の束がぎっしりと詰まっている。


「300年前の禁じられた勇者の記録――。身の程をわきまえぬが故に、同朋である人の手で葬られるとは、愚かな男です」


 1冊1冊、確かめるように指が背表紙をなぞり、やがて止まった。


「これですね。勇者の能力に関しての記述」


 指をねぶりながら、ページを無造作にめくっていく。


「やれやれ……これが事実なら、とんでもない強さですね。天からいかずちを落とすなど、まるで神の裁きではないですか」


 笑みを絶やさぬ司祭の口から、ため息が漏れた。


「魔法からして神を偽る所業とは、何とおぞましい。大天使様を唯一の神と崇める私たちと相容れないのは、当然といったところか」


 ページをめくる指が止まった。


「【光回復(ブレイブヒール)】……これが、勇者の回復魔法……」


 あの時、あの異端の娘は――


 暗い岩の天井を仰ぎ、忌々しくも水晶球が強烈な光を放ったあの時のことを思い出す。あの光は、我が聖回復ホーリーヒールを上回る輝きだった。思い出したくもないあの瞬間、生意気にも手をかざし、あの娘が言い放った言葉、それは――


ブレイブ回復ヒール!!」


 司祭の目がカッと見開かれた。


「はっきりと思い出しました。ブレイブは小声でしたが、確かに光回復ブレイブヒールと言っていました」


 ディツィアーノは、そっと本を閉じた。


「勇者で確定……ですか。厄介なことになりました。何か弱みを握って、闇に葬らなければ」


 見開かれた目がゆっくりと閉じ、いつもの微笑がロウソクの炎で浮かび上がった。けっして笑っていない、不気味な偽りの微笑みが。



  ◆  ◆  ◆



「リーゼにこんな弱点があったなんて!」


 はしゃぐアメリアの弾む声が、澄み渡った青い空に響いた。


 リーゼは不満そうな半目を浮かべながら、バタ足で水音を立てている。その両手は、水に沈むまいいとアメリアの両手をしっかりと握っていた。


 水泳の授業で、泳げないのはリーゼ1人だった。


 聖騎士学園に備えられたプールは、水際での戦闘を想定した円形で、直径50メートルほど。中央は足が着かないが、縁は腰ほどの深さだった。

 その縁を、アメリアは両手を引いてリーゼをリードしていく。


「イチ、ニ、イチ、ニ、がんばって!」

「膝を曲げるな! 尻が沈んでるぞ! もっと足の甲で水面を叩け!」


 木剣を肩に担いだランドリックが怒鳴った。リーゼたちに合わせてプールの周囲をぐるりと歩いているのだが、その歩みはリーゼがちっとも進まないせいで、亀のように遅い。


 プールサイドに座る生徒たちが、呆れたように見下ろしている。生意気なリーゼの弱みを知って、したり顔な者もいた。


 生徒たちが着ているのは、紺色の水着。綿っぽい素材で出来ていて、ノースリーブに短パンを組み合わせてある。ぱっと見、スパッツタイプのスクール水着っぽいので、リーゼは懐かしく思った。もっとも、泳げないリーゼにとって、いい思い出は1つもないが。


「フフッ、私がリーゼに教えられることがあるなんて」


 アメリアはとてもうれしそうだ。


「まったく泳げないとは、とんだ山猿だな。池や沼での戦いがあったらどうするつもりだ?」


 どうするって……「池から出てこい!」って言うよ。リーゼは水中に沈んだ口を尖らせた。


「あのね、リーゼ、人は水に浮くんだよ。だから、きっと泳げるようになるよ」


 泳げる人はみんなそう言うんだよ。リーゼは何も言わないが、水面に浮かぶ半目がそう訴えた。


「まったく……これから時間がある時は、アメリアに泳ぎを教えてもらえ。何としても1ヶ月以内に泳げるようになるんだ!」

「え~っ!」

「がんばろうね、リーゼ!」


 リーゼの不満そうな声を、アメリアのはしゃぐ声が打ち消した。リーゼの力になれることが、うれしくて仕方がないといった感じだ。


「わかったよ……がんばるよ……」


 そう言ってリーゼは、ぶくぶくと水中に息を吐いた。


 リーゼは、凜星だったころから水が苦手だった。


 きっかけは、初めて行った遊園地のプールで溺れたこと。

 幼少のころから体を動かすことが得意だった凜星は、当然自分が泳げると思い込み、いきなり流れるプールに飛び込んだ。結果は――そのまま水底に一直線。事態が飲み込めないまま、水を大量に飲み込み、妖しげに揺らめく水面を見上げる羽目になった。父親が慌てて助けたが、「死ぬところだった」だの「危なかった」だのと追い打ちをかけられ、さらに水が怖くなったのだ。


 あ~あ、泳ぎとか興味ないのに。


 やる気のないリーゼのバタ足がますます勢いをなくし、授業時間も終わりとなった。

 果たしてリーゼは泳げるようになるのか? それはきっと、この世界で2つの教会から崇められる大天使様にもわからないことだろう。

【次回予告】

不意な水着回でしたが、来週ものどかな感じです。


【大切なお願い】

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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