平凡的幸福論のメソッド3
「学校の先生?」
「うん……私ね、透巳くんに出会うまでの学生時代は、辛い思い出が多かった。だけど透巳くんに出会ったおかげで、今はすごく楽しいんだ。これまでの辛い思い出を塗り替えられるぐらいに。だから私も、悩んでいる子たちの救いになれるような先生になりたいと思ったの」
「そっか……ねこちゃんは優しいから、合ってるんじゃないかな?」
「きっかけの透巳くんにそう言われると、やっぱり嬉しいな……」
「それにしても。教師にはとてもじゃないけど向いてなさそうな俺を見て、よく教師になろうと思ったね」
「そうかな?私は透巳くんが頑張れば、結構面白くて、いい先生になれると思うけど」
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進路の話をしたことで、透巳は以前小麦との間で交わした会話を思い出していた。誰もが向いてないと言ったというのに、彼に最も近しい小麦ただ一人が肯定的な意見を言ったことが、透巳にとっては中々の衝撃だった。
良い先生になれると言った小麦の笑顔は、いつも以上に柔らかく、ほんの少しだけ綿あめのようだなと透巳は感じていたが、考えただけで恥ずかしいと思ったのか、それを本人に伝えることは無かった。
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それから約一週間後。休日の朝なので、その日の透巳は目覚まし時計ではなく、カーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。眠い目を擦りながら、傍にいたシオを抱き込んだ透巳は、既に起きてニュースを見ていた小麦に視線をやる。
小麦はニュースに目を釘付けにしていて、透巳が起きたことに気づいていない。
『この連続殺人の重要参考人として浮上しているのが、現在指名手配中の木藤友里容疑者であることが分かりました。この木藤友里容疑者は、未成年という理由でこれまで顔写真や名前を一般に公表せず、警察内部でのみ指名手配されていましたが、新たな事件の重要参考人ということで、これ以上の被害を防ぐために、今回一般への顔写真と名前の公表に踏み切ったということです――』
「あーらら。もうニュースになっちゃったかぁ……木藤友里は犯人じゃないって言ってんのに……まぁ、俺が証拠渋ったのが悪いんだけど」
「あ、透巳くんおはよう」
「おはよう」
ボソッと独り言を呟いたことで、透巳が起きたことに気づいた小麦は朝の挨拶を交わした。
朝のニュース番組では、例の連続殺人事件のことを取り上げていて、木藤友里のことも語られていた。透巳は「あちゃあ」とでも言いたげな相好でそのニュース番組を見ている。
近いうちに木藤友里は犯人では無かったという訂正と謝罪をするであろう、警視総監である遥音の父親を透巳は若干憐れんでいるのだ。半分は自分のせいであるという自覚があるのか、透巳は心の内でのみ警察組織に謝罪の言葉を口にするのだった。
「あ。ねこちゃん。今日俺、美空に会いに行ってくるから」
「うん、いってらっしゃい」
美空というのは、産まれたばかりの透巳の妹である。美空が産まれてからというもの、透巳は休日のたびに会いに行っていて、彼のスマホのアルバムには妹の写真がどんどん追加されていた。
赤ん坊の成長は早いので、透巳は出来るだけ彼女の成長の一瞬一瞬を見逃したくないのだ。
妹でこれなのだから、もし透巳の子供が産まれたら一体どれほど溺愛してしまうのかと、小麦はほんの少し心配していたりする。
そんな胸の内を隠しつつ、小麦は身支度を整えた透巳を見送った。
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真上に昇っていた太陽がもう少しで西日になろうとする頃。透巳は実家から小麦の待つアパートに帰りついていた。今日も今日とて、妹の美空と散々遊んだ透巳は、階段を上る前にポストの中を覗いた。
するとポストには普段投函されないような手紙が入っていた。住所も宛名も一切書かれていないその封筒を見れば、差出人が直接投函したのは明らかだった。
その場で封筒を開け、中の手紙を読んだ透巳は思わず目を点にしてしまう。
〝鈴音小麦は預かった。無事に返してほしければ、木藤友里を見つけ出して差し出せ。〟
簡潔な文の下には、この手紙の差出人だと思われる人物の電話番号が書かれていた。見たところ透巳の知らない電話番号だったが、彼は至って冷静だった。
その理由は、透巳が目を点にしてしまったことと関係している。
透巳はその文面を見た瞬間、差出人――犯人が誰なのか気づいてしまったからだ。犯人に気づいたから、こんなバレバレの手紙を送ってきた犯人のお粗末さに当惑したのだ。
「…………まぁ、取り敢えず、確認だけはしとくか」
犯人を哀れに思った透巳は、取り敢えずキチンと小麦がいなくなっていることを確認しに、アパートの自室へと向かった。
透巳が部屋の扉をそのまま開けようとすると、鍵がかかっていたようでガタンという音で阻まれた。
「いや鍵かけちゃ駄目じゃん……」
そんな独り言を零しながら、透巳は鍵を開けて自宅を覗いてみる。やはり部屋には小麦はおらず、出迎えてくれたのはシオだけだった。
「うん……まぁ、いないよね」
作業のように確認した透巳は、スマートフォンを取り出してとある人物に電話をかけた。ちなみに手紙に書かれていた電話番号は完全無視するスタイルである。
『もしもーし?どないしたん?透巳くん』
「薔弥先輩……俺は最近あなたが本当はただの馬鹿なんじゃないかって疑ってきましたよ」
透巳が電話をかけたのは薔弥で、会話を始める透巳の目は若干死んだ魚のようである。
『なんや藪から棒に。突然のディスは傷つくで?』
「ねこちゃん迎えに行くので、待っててくださいね」
『………………ちょ、』
「じゃあそういうことで」
調子に乗ってふざける薔弥を嘲笑うかのように、透巳はあっさりと言ってのけた。あまりにも唐突に発せられた透巳の言葉に、薔弥は当惑したような声で何かを言いかけていたが、透巳は完全に無視して電話を一方的に切った。
妹の美空と散々遊んできた後で、面倒事が降ってきたことにため息をつきつつ、透巳は大事な小麦を迎えに行くために足を速めるのだった。
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西日がその赤みを最大限に発揮する時刻。透巳はささが巫女として働いている神社へと向かっていた。小麦を迎えに行くというのが最大の目的だが、透巳は神社に住みついている野良猫たちに会えることを若干期待しつつ歩を進めている。
あっという間に神社に到着した透巳は、目の前に広がる光景に頬を緩めた。
神社の鳥居のところに集結していた野良猫七匹は、しゃがみ込んでいるささと小麦にじゃれついていて、とても微笑ましい光景である。野良猫の可愛らしさと、小麦が楽しそうに(無事に)している姿は、透巳にとって喜び以外の何物でも無かった。
「あ、透巳くん」
「もう、帰るよ。ねこちゃん」
透巳の来訪に気づき、そんな呑気な声を出した小麦に透巳は若干呆れてしまう。犯人が分かっていたので、透巳はそこまで心配もしていなかったのだが、ノコノコついていった小麦も小麦だと思ってしまうのも本心だった。
「あははっ。だからバレるって言ったじゃないですか。薔弥さんってやっぱりお馬鹿さんですね」
「まさか一日で二人に馬鹿呼ばわりされるとは思わへんかったわ」
薔弥のことは完全スルーで恋人同士の会話を始めたのが面白かったのか、ささは堪え切れないように笑い声を上げて薔弥を揶揄った。
そんなささに軽く睨みを利かせた薔弥は、自棄になったように呟いた。
「透巳ごめんな?この馬鹿が恋人に迷惑かけて」
「百弥くんが謝ることじゃないよ。ねこちゃんがついていったんだし。ていうか、何でついていっちゃうかな?俺の彼女さんは」
今日だけで三人から馬鹿認定された薔弥を擁護する者は当然一人たりともおらず、そのまま話は進んでしまった。
謝ってきた百弥を切っ掛けに、透巳は批難混じりの困ったような視線を小麦に向けた。
「だって。透巳くんならすぐに気づくと思って」
「まぁ、そうなんだけど」
透巳の不満気な相好など一切気にしていないように、笑って答えた小麦に透巳は正直ぐうの音も出なかった。実際透巳はすぐに小麦の居場所に気づいたし、小麦が透巳に対してそこまでの信頼を寄せているという事実が内心嬉しかったのだ。
「大学生って暇なんですね」
「そら、人それぞれやろ?遥音とかは真面目やからなぁ。そこそこ忙しくしとるんやないか?」
野良猫の一匹を撫でながら皮肉を零した透巳だったが、そんな煽りに薔弥が分かりやすく引っ掛かってくれるわけも無いので、彼は自分なりの模範解答を返した。
「それぐらい分かってます。遥音先輩を引き合いに出しちゃ駄目ですよ。あの人はちょっと別種なんですから」
「透巳くんの中で遥音ってどないな立ち位置なんや?」
あくまでも透巳の認識下では、その他大勢の大学生と遥音の間には大きな差があるようで、薔弥は思わず苦笑いを零して尋ねてしまう。
「……にしても、何で俺が犯人って分かったんや?」
「木藤友里見つけて欲しそうな人を考えて、薔弥先輩しか思いつかなかったからですよ」
「なんでや?被害者遺族とかがおるやろ」
「いや、俺のこと知ってて、俺がねこちゃん大好きなのも知ってて、その上住所も知ってる前提で考えたら薔弥先輩以外誰がいるって言うんですか」
「………………せやな」
透巳の意見はド正論で薔弥は反論などできるはずが無かった。そんな薔弥を目の当たりにしたささは、クスクス楽しそうに笑っている。
透巳が手紙を見た瞬間、薔弥が犯人だと気づいたのは、様々な致命的ミスによるところが大きい。透巳のアパートの住所を知っていて、透巳にとって小麦が脅迫材料になりうる存在であることを知っていて、木藤友里を探している人物なんて、透巳の知る限り薔弥しかいなかったのだ。
「そもそも。もしねこちゃんが無理やり連れ去られたとすれば、わざわざ鍵を探して閉める必要ないでしょう?ねこちゃんが自らついていって、お出かけ気分で鍵をかけたのが容易に想像できます」
「……なんか、ごめんなさい」
追加で透巳は、小麦が危機的状況に陥っていないと考えた理由を語り、それを聞いた小麦は取り敢えず薔弥に謝ってみた。だが全て詰めが甘かった薔弥の責任なので、謝る必要性はこれっぽっちもない。
「そういえば、あの携帯番号って……」
「このためにわざわざ買ったんや。番号でバレてまうと思うてな」
「何でそこだけちゃんとしちゃうんですか」
今回のために、薔弥はわざわざ現在使用している携帯電話とは別のものを新しく買っていたのだ。その他はてんで駄目だったというのに、金銭的負担のかかる部分だけはきっちりしていたという悲しい結末に、透巳は他人事ながらに苦い相好を見せた。
「あかんなぁ……奥の手つこうても木藤友里が見つからへんかったから、ちと冷静やあらへんかった」
「奥の手……?…………あぁ。そういうことか。なるほどなるほど……あぁ、ということは、そういうことか」
ため息交じりに呟いた薔弥の何気ない一言で、透巳は何かに気づいたように思案し始めてしまう。透巳の中で一つの答えに辿り着くと、自動的にもう一つの事実にも気づいたようで、透巳は思考回路をどんどん伸ばしていく。
「な、なぁ彼女はん?透巳くん何一人でブツブツ言っとるん?」
「さぁ?あぁなった透巳くんの考えなんて、私に分かるわけもないですし。でも独り言する透巳くんは、大体全部見透かしている場合が多いですね」
周りの声など聞こえていないんじゃないかと思えるほど、思考に熱中している透巳を初めて見た薔弥は、恋人である小麦に救いを求めた。だが小麦にも透巳の思考など読めないので、薔弥の望んだ答えは引き出されなかった。
「……薔弥先輩、木藤友里が今回の連続殺人の犯人じゃないって、知ってたんですね」
独り言を終え、思考をまとめた透巳が発した第一声に、薔弥は驚きで目を見開いた。そして同時に小麦の先の発言――〝全部見透かしている〟の意味を、薔弥はようやく理解したのだった。
次は明後日更新予定です。
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