能ある鷹は完全犯罪を隠す5
薔弥は当惑した。ささから出た言葉はとても真相を聞いたうえでの感想とは思えず、彼は目を見開いたのだ。寧ろ、図星を突かれたことで恐怖にも似た怒りを覚えたのかもしれない。
「どういう意味や?」
「だって、ももくんのことが好きだからこんなことをしたんでしょう?」
薔弥の問いに対するささの返しは、答えのようで答えではなかった。薔弥が聞いているのは何故彼が百弥のことを好きだと思ったのか、その理由である。ささの答えはその理由としては不十分なのだ。
「ももくんのことが好きだから、彼のことを怒らせたくて私を攫おうと思ったのでしょう?ついでにももくんの友達である私がどういう人間か見極めることも出来て一石二鳥ですね。今日ここに来たのも、ももくんの怖い一面を知っても平然とまだ仲良くしている私に更に興味を持ったからですかね」
「…………」
にこやかな表情で淡々と自身の見解を述べたささを目の当たりにした薔弥は直感的に理解する。赤松ささという人間が相手の本質を見抜くことに長けた人間であることを。
あの事件を仕組んだのが薔弥であることに驚くわけでも、ただ何も思わないわけでもなく、彼女はその行動の理由を今回の初見だけで見抜いたのだ。
「お兄さん、ももくんより子供っぽい人なんですね」
「……せやせや。俺は子供なんや。百弥もガキやが、俺はクソガキやな」
心底楽しげに、可愛らしい笑みを浮かべたささは意外そうに呟く。すると薔弥は一瞬固まったが、胡散臭い笑みを再び見せると面白おかしく自嘲した。
「子供って自分のことを子供だって言われると怒りますよね」
「……自分、ほんまおもろいな」
満面の笑みで言い放ったささに薔弥は思わず素直な感想を零す。この時、ささが薔弥のことを煽っているという事実に気づいたからだ。
誰にでも分け隔てなく柔らかい笑顔を振りまき、誰かに悪意じみた何かを向けることなど全くない。それが薔弥がささに抱いていた印象だ。だがささにも、ちょっとした悪戯心を持ち合わせている部分があったようで、薔弥はこの短時間で色んな意味で裏切られたのだ。
ささは一年前のことに対して憤慨している訳ではない。ただ、あの時百弥が心を痛めた事実は変わらない。なのでささはちょっとした仕返し感覚で薔弥を煽るようなことを口にしたのである。
「ほんとですか?面白いって言われるの嬉しいです」
だが能天気な相好でそんなことを言うささを目の当たりにすると、自身の推測が間違っているのではないかという疑惑を薔弥は僅かに抱いてしまう。ふんわりとした雰囲気を放出している彼女に、煽ったことに対する罪悪感など微塵も感じられなかったからだ。
「改めて、俺は青ノ宮薔弥や。好きに呼び」
「赤松ささです。ささとお呼びください」
こうして薔弥とささの初対面での対峙は幕を閉じた。だがこの出来事をきっかけに、薔弥はささに対して過度な興味を抱き、とある事件を起こしてしまうのである。
********
ささが通う中学校はどこにでもある公立中学校だ。青ノ宮学園の様な進学校でも、不良の掃き溜めの様な底辺の学校でもない。
その日、ささはいつもの通りに登校し、自身のクラスである二年三組の教室へ足を踏み入れた。すると何故か授業の始まる前の教室はいつもより騒がしく、不穏な喧騒に包まれていた。
ささは不安げな相好で喧騒の原因に目を向ける。それは教室で最も目立つ一番前、黒板に記されていた。黒板に真っ白なチョークで乱暴に書き殴られた内容はこうだ。
〝木藤友里の家族は元犯罪者〟
その文章に、ささは思わず口をポカンと開けて茫然自失としてしまう。理由は大きく分けて二つある。一つは黒板に記されていることが事実で、これを知っているのがこの学校ではささだけであることが原因だ。当人とささ以外は知るはずのないこの事実を何故第三者が知り、記すことが出来たのだろうかという疑問が湧いてしまったのだ。
そして二つ目の理由は、木藤友里というクラスメイトがささにとってこの中学一の親友であるということだ。
「なに……これ」
「友里ちゃん……」
バタンという鈍い音がして、ささは音のする方へ振り返った。そこには鞄を思わず床に落として立ち竦んでいる友里の姿があり、クラスメイト全員が彼女に注目している。
「誰が、こんな……」
「ねぇ、木藤さん。これ、本当?」
友里が真っ青な顔で身体を震わせていると、クラスメイトの女子がおずおずと尋ねてきた。その問いのせいで友里の身体はビクリと跳ね、更にその相好を青くしてしまう。
震えるばかりで一向に否定しなければ、黒板に記されていることが真実だと言っているようなものである。だが友里には衝撃と疑念が募り、嘘で否定する気力など残っていなかったのだ。
この出来事からささと友里を取り巻く環境は一気に変化することになる。
********
ささはあの日以降、必ず誰よりも早く学校に登校するようになった。誰かが朝早くに友里の机や持ち物に嫌がらせをしないか見張るためだ。だがそんなことは気休め程度にしかならず、友里に対する激しい嫌がらせは無くならない。
こうなった原因である友里の家族が起こした犯罪とは、彼女の父親が起こした殺人事件だ。友里が小さな頃で彼女自身に当時の記憶はあまり無いが、過去というものは嫌という程に友里を追い回す。
友里の父親が起こした殺人事件は当時大々的に取り上げられ、当然容疑者である彼女の父親の名前も世間に知られていた。今の時代、調べようと思えば指先一つで誰もが情報を手に入れられる。なので先日の告発が事実であることが確定すれば、彼女が苛めを受けるまで時間はかからなかった。
友里は親友であるささにのみ、事件のことを打ち明けていた。ささなら打ち明けたところで軽蔑も、哀れみも、過度な心配もしないと分かっていたからだ。何でもないように、今まで通りに接してくれると分かっていたからこそ、友里はささには打ち明けることが出来た。
だからこそ、ささは自分を信じて秘密を打ち明けてくれた友里のために出来うる限りのことをしたいと、強い意志を持っているのである。
「ささ……ちょっと、いい?」
「友里ちゃん……うん、いいよ」
友里への苛めが始まってから数週間経ったある日。暗い相好でささを呼び止めた友里。その態度から何か重要な話があることは明らかで、ささは友里についていくことを迷ったりはしなかった。
無言のまま歩き続ける友里の背中をささはじっと見つめる。どこに行くのか、何の話なのか。ささには何となく分かるような、分からない様なそんな嫌な感覚があった。
ささは当然、親友である友里の性格もよく理解している。友里はお世辞にも、強いと呼べるような少女ではない。ましてやこんな酷い苛めに耐え抜き、笑ってささと学校生活を送れるような強靭な精神など持ち合わせてはいないのだ。
それでもささは優しく、少し思い込みが激しく、嘘をつくのが下手な友里のことが好きだった。
「ささ……私、転校するの」
「……そっか。分かった……転校したら、会う機会減っちゃうね」
ほんの少し、予想していただけあってささはあまり驚かなかった。ただ、友里の決断に落胆も喜びもせず受け入れるだけである。
友里が苦しみに苦しんだ上に選んだ決断ならば、それを否定することはささの本意ではない。友里は逃げることになってしまうが、ささは逃げるということを悪いことだとは思っていないし、それで彼女が救われるのならそちらの方が幾分か良いと考えたのだ。
「ねぇ。この学校で殺人事件のこと知っていたのって、ささだけだよね」
「……多分」
人気のない階段で立ち止まった友里は唐突にそんなことを言い始めた。それはささがずっと疑問に思っていたことでもあり、友里にとっても同様のことだ。
どこから友里の家族のことが漏れたのか、それとも外部の人間が何らかの方法で学校に侵入したのか。どちらにしても目的も犯人も分からないが、その正体が掴めないというのは不気味である。
「ささなんでしょ。あれ書いたの」
「……え?」
流石のささでも、まさか友里がそういう結論に至ったとは思いもせず当惑してしまう。確かにこの中学校で殺人事件のことを知っていたのはささだけなので、あの黒板に友里の秘密を書くことが最も容易なのはささだ。
だからと言って親友であるささがそんなことをする理由も無ければ、友里がそれを疑うなど信じられないことだ。
同時にこの時、ささは最悪な事実に気づいてしまった。こういうことが起こるたび、ささは自身の特質した部分が嫌になってしまう。
ささの知る点と点が繋がってしまい、これを仕組んだ者とそれに気づけなかった自分に対する呆れで身動きを取ることが出来ない。
「ちがうよ」
「もういい、言い訳なんて聞きたくないの。もう二度と私の前に現れないで」
固まったまま否定しては見たものの、ささはそれを友里が信じてくれるとは思わなかった。ささは友里が思い込みの激しい性格であることを理解している。木藤友里という人間を理解しているからこそ、自分の無力さを痛感してしまい、ささはつくづく自分のことが嫌になってしまう。
ささを冷たく突き放した友里の耳にはささの言葉など届いていない。教室へ踵を返した友里にささはそれ以上の言葉をかけることが出来なかった。この時のささには誤解を解く材料も、自分のことを信じてくれなかった友里を引き止める気力も無かったのだから。
********
友里が転校した後、苛めの標的はささに移ってしまった。理由はあの時の二人の会話を盗み聞きしていた生徒がクラスメイト達にそのことを話してしまったことが原因だ。
友里を貶めたのはささではないが、あの会話を鵜呑みにしたクラスメイト達は友里の代わりにささを苛め始めたのだ。
元々犯罪者の家族という理由で友里を苛めていたというのに、今度はその事実を公にしたという理由でささを苛め始めたのでは全くもって不条理も良いところだが、苛めなんてそんなものだということはささも十分理解していた。
友里には拒絶され、学校では苛められ、普通であれば完全に意気消沈しているところだが、ささは自身でも驚くほどにいつも通りの何ら変わりない毎日を過ごしていた。
もちろん満足などしていないし、傷ついてもいるのだが、どこか冷静な自分がささには途轍もなく気持ちの悪いものに思えてならなかった。そんな思いを抱えているうちに、ささは学校に行く理由が分からなくなってしまい、高校に進学することを諦めることになってしまう。
友里が転校し、ささが虚無の学校生活を過ごしていた頃。これを引き起こした元凶がささの元に訪れた。
「久しぶりやなぁ、ささ」
「薔弥さん、こんにちは」
中学校の下校中、曇り空の下、対照的な晴れやかな笑顔でささの前に現れた薔弥の声音は跳ねている。ささは目の前の男が今の状況を作り出したことに勘付いていたが、薔弥に変わらず柔らかい笑みを向けているので本人にそれは伝わっていない。
近くの公園まで移動し、寂しげなブランコに腰掛けた二人。薔弥は立ちこぎしているが、ささはブランコを椅子代わりにしているだけである。
「大変やなぁ、ささ。自分今、学校で苛められてるんやろ?」
「……そうですね」
白々しくそんなことを言い出した薔弥は、ささに同情じみた表情を見せたが、彼がささの心配など微塵もしていないことは一目瞭然である。
だがささがこの時抱いた感情は怒りでも哀しみでもなく、困惑だった。それも薔弥に対するものではなく、自身に対するものだ。
何故自分は恨み殺してもいい程の人物を前にして、ここまで普通の応対をしているのか。何故怒りの感情が湧いてこないのか。それが不思議でならず、ささは当惑してしまったのだ。
「なぁ。ささのお友達の秘密バラしたの、誰やと思う?」
「……薔弥さんですか?」
好奇心旺盛に、心底ワクワクしながらささの反応を待つ薔弥は彼女が言う様に子供だ。機械的に、薔弥の問いに答えたささは最早笑いが込み上げてきてしまう。だがささは俯いているので、薔弥にその自嘲じみた笑みを窺うことは出来ない。
「おぉ、よう分かったなぁ。まぁささなら見抜いてもしゃあないか」
薔弥は期待していた。ささがどのように悲しみ、怒り、薔弥に感情をぶつけてくるのか。それを知ることが出来ると、期待していたのだ。だがこの時の薔弥は、赤松ささという人間のことを十分に理解できていなかった。
だからこそ、意気揚々とささの反応を待っていたのだ。
「……やっぱり薔弥さんかぁ。もう、駄目ですよ。人様に迷惑をかけちゃ」
ささは眉を下げ顔を上げると、薔弥を窘めるように普段と何ら変わらない笑みを浮かべて見せた。その笑顔はその時一瞬だけ吹いた強い風に溶け、それがいかに恐ろしい事実であるかということを強調しているようである。
次は明日更新予定です。
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