能ある鷹は完全犯罪を隠す1
新章スタートです!
完全に陽が落ちた夜。今夜は外の雨音が優しく、この時期にしては随分とマシな方である。季節は梅雨真っ盛りの六月下旬。
透巳の自宅には当然雨音が響き渡っているが、微弱なそれは更に大きな音によってかき消されている。
そんな大きく無神経な音を透巳と小麦は無言状態で聞き続けている。じんわりと、汗が浮かんでくるような空気を放っている二人にとってそれは、無理矢理に捻じ曲げてくる異物でしかない。
気まずそうに、自身の上に乗っかっている透巳を見つめた小麦は酷くその異物を気にしている。一方透巳は小麦にそんな気まずさを感じさせる異物に対して物凄い形相を向けている。
「す、透巳くん……すごいインターホン鳴ってるけど……」
「…………無視しようか」
五回目の呼出音が部屋に木霊したことで、小麦は恐る恐るその口を開いた。その相好に含羞を滲ませながら、若干息切れした彼女の声は透巳しか知ることの無い一面である。
現在時刻は午後十時。こんな非常識な時間帯に来訪してくる客など捨て置けと言わんばかりの眼光を玄関に向けている透巳に、小麦は苦笑いを浮かべつつ小首を傾げることしか出来ない。
次に響くのは六度目のリフレインではなく、規則的な猫の鳴き声。だがこれは透巳のスマートフォンの着信音である。毎度毎度ツッコみたくなるその通知音に、小麦は目をパチクリと瞬きさせてしまう。
その音の発生源である透巳のスマホ画面には〝兄ちゃん〟という文字が映し出されていて、電話の相手が慧馬であることも、同時に先刻までの異物の原動力が彼であることも物語っている。
「くそ……兄ちゃんめ。着拒にすんぞ」
「透巳くん……慧馬さんでしょ?出た方がいいんじゃ……」
忌々し気に透巳は全く空気の読めない慧馬をスマホ画面越しに睨みつけた。だが慧馬にだって良識はある。その慧馬がこの時間帯に電話をかけてくるということは、何か重大な用件なのではないかと小麦は危惧した。
『おぉ、透巳。やっと繋がった』
「……何?」
『お前なんか怒ってる?』
小麦の助言でため息をつきつつも電話を取った透巳は、不機嫌丸出しの声音で用件を尋ねた。電話越しでも透巳の不機嫌は慧馬に伝わったらしく、彼は怪訝そうに尋ね返す。
「ねぇ、俺は〝何?〟って聞いたんだけど。怒ってると思ってるんならさっさと用件話して。日本語通じてないの?」
『…………実はちょっとした事件で、お前の力が借りたくてな』
早口でも、大声でもないのに透巳がイラついているのが分かるその正論に、慧馬は一瞬口を噤んだが、彼自身急いでいるので透巳の要求を呑んだ。
「明日じゃ駄目なの?」
『それじゃ駄目だ。人の命がかかってるんだ』
「…………」
透巳はこの時、他人の命などどうでも良いと思った。知りもしない誰かのために時間を費やすほど自分は善人でもお人好しでもない。どこかで誰が死のうと構わない。だがそれは透巳に限った話ではない。
毎日毎日、ニュースで誰かが死んだと知らされる。人はその一つ一つを憂うだろうか。答えは否である。人はすぐ他人の不幸も幸福も忘れる生き物だ。
透巳はもし自分が何かすることで人の命が救えるとしても、メリットもないのに時間と労力を費やそうとは思わない。何せ今の透巳は機嫌が悪い。無条件で自身を顧みず、誰かを救おうとするのは現代において警察ぐらいのものである。
『ついでに俺の命もかかってる』
「それを早く言ってよ」
鬼気迫る声で告げられた事実に、透巳は即行でベッドから起き上がる。透巳相手に情けを期待しても無駄だということは慧馬も当然理解している。だが対象が慧馬ならば話は一八〇度違ってくる。
もちろん慧馬の命に危機的状況が訪れているというのは嘘ではないが、自分を餌にすれば透巳は簡単に釣られてくれることを理解していて慧馬はそれを利用した。
ベッドから降り、身支度を整え始めた透巳に当惑したような視線を向ける小麦。シオも機敏に動く透巳の姿を可愛らしい首を動かしながら追っている。
「透巳くん、出かけるの?」
「うん。いつ帰れるか分からないから、もう寝てて。明日になっても帰ってこなかったら先に学校行っててね……おやすみ」
「うん、おやすみ。頑張って」
すぐ傍にあった制服に身を纏った透巳は小麦のおでこに軽くキスをすると、愛おし気に彼女の頭を撫でた。そのふんわりとした感触に目を細めた小麦は透巳を激励する。
バタンと扉が閉まり、シオと部屋に残された小麦は不安気に透巳のいない玄関を見つめるのだった。
********
「悪いな透巳。毎度毎度」
「この間一つ借り返したばっかりなのにまた新しい借り作るなんて、やっぱ兄ちゃんドMだよね」
「ははは……」
慧馬の車に乗り込んで、目的地の警視庁に向かっている道中。運転をしつつ透巳に陳謝した慧馬をじっくりと眺めながら透巳はそんな風に揶揄った。だが透巳の言葉はまぎれもない事実なので、慧馬は乾いた作り笑いを浮かべることしか出来ない。
これが慧馬の透巳に対する借りの大半なのだ。
慧馬は時折こうして事件に協力してもらったり、透巳の意見を求めたりすることがある。透巳は警察には向いていないが、彼の頭脳が優れているのも事実。なのでどうしても必要に迫られた場合のみ、慧馬はこうして透巳に手を借りてしまうのである。
「で。今日は何?殺人事件?誘拐?それとも人質でも取られた?」
「……爆弾だ」
今回の事件の内容を尋ねた透巳に、慧馬は神妙な面持ちで簡潔に述べた。爆弾という情報と、先刻の慧馬の命が危機的状況であるという情報をかけ合わせて、透巳は一つの結論に辿り着く。
「え。警視庁に爆破予告でもあったの?」
「ご明察だ」
少々当惑したように尋ねた透巳に慧馬は首肯して返す。その相好には待ってはくれない時間に対する焦りが滲んでいて、慧馬はポタリと汗を零す。
「何やってんの警視庁」
「返す言葉もない。でもまだ予告の段階だ。本当かどうかは怪しい。だが本当だった場合、爆弾を見つけて解除する必要がある。近隣の一般市民の避難は既に済んでいる。もちろんギリギリになったら刑事たちも避難する……だが警視庁の拠点だ。何かあれば……」
「明日の一面は確実だね」
警視庁に届いた爆破予告が真実か虚偽か、現段階では判明していない。警視庁に侵入し、爆弾を設置するなどとても現実的な話ではないが、そういう予告が来てしまった以上万が一という場合がある。
その万が一が起きてしまえば混乱は避けられない。正義と安全のシンボルの様な警視庁の本拠地に何かあれば、市民の不安は募り、犯罪者には隙が出来たと思われかねない。そして不審者の侵入を許した警視庁の責任問題も発生してしまう。
問題は山積みというわけだ。
「だから予告が本当なら爆弾の設置場所を、虚偽ならそうだと証明して欲しいんだ」
「俺にできる範囲でしか無理だからね」
透巳は確かに有能だが、万能ではない。それはもちろん慧馬も承知の上だ。それでも出来うる限りのことをしたいという慧馬の思いを感じながら、透巳は車の窓から流れる景色をその目に映した。
********
警視庁内は爆弾予告のせいで騒々しく、切迫した空気で満たされていた。何度かここに訪れたことのある透巳でも知らない緊張感に、彼は事の重大さを再確認させられる。早歩きで慧馬の職場へ向かう最中も、何度か行き交う人とぶつかりそうになる程である。
「おい、成川!この一大事にどこ行ってやがった……って、あぁ。そいつ連れてきたのか」
「すいません!」
目的地に到着した透巳たちに視線を向けた慧馬の上司は、しばらく姿を晦ませていた慧馬に苦言を呈そうとしたが、透巳の存在に気づくと納得したように呟いた。
この刑事と透巳には面識があるので彼のその反応も当然と言えば当然だ。だが失礼極まりないことに、透巳はこの刑事の名前を一切覚えようとしていないので知らない。そしてその事実を慧馬の上司は知らない。
「ここは子供の遊び場じゃねぇ……って言いたいところだが、そんな悠長なことも言ってられねぇんだ。坊主、これどう思う?」
本来なら高校生がこんな場所にいるのは褒められるものではないが、慧馬の上司も透巳の実力を知っているので透巳を追い出したりはしなかった。
慧馬の上司が差し出してきたのは犯人から送られてきた爆破予告のコピーで、透巳はその内容を目で追った。
「明日の午前五時に警視庁内のどこかに仕掛けた爆弾を爆破させる。この暗号を解き明かしてその場所を特定してみせろ…………漫画の読み過ぎ、中二病ですかね犯人」
「で、これがその暗号だ」
簡潔な爆破予告を読み上げた透巳は、心底嫌そうな表情で犯人を侮辱した。間髪入れずに透巳に暗号のコピーを手渡した慧馬。透巳がここに呼ばれた最大の理由である。
「……ちょっと紙とペン貸して」
暗号をじっくりと眺めた透巳は一切視線を動かすことなく、手だけを慧馬に向けて差し出した。透巳の集中力を阻害しないようにと、慧馬は黙って紙とペンを差し出された手の上に乗せてやる。
暗号の詳細はこうだ。
八×八マスの正方形は市松模様、そのマスの三二か所にアルファベットがそれぞれ一文字記載されている。その場所は不規則で、記載されているアルファベットは〝P、R、I、E、Q、B、K、L〟の八つだ。最も多いのは〝P〟で、それぞれのアルファベットの数も規則性はない。
暗号を睨みながら、渡された紙に何かを書き込んだ透巳は顔を上げる。
「爆弾、探さなくても大丈夫だよ」
「もう何か分かったのか?」
ものの数分で結論を出した透巳に慧馬は目を見開いて詰め寄った。慧馬の上司も「どういうことだ」と言わんばかりの相好で透巳に視線を向けている。
「これかなり簡単だよ。八×八マスで市松模様の正方形なんてどう考えてもチェスボード。これに気づけばあとは誰にでも解ける。これは要するに仲間外れを探す暗号だね」
「仲間外れ?」
淡々と暗号の解説に取り掛かる透巳。透巳は簡単だと言ってのけたが、慧馬も彼の上司もチェスなど嗜まないのでチンプンカンプンといった表情で暗号を睨みつける。
その為透巳の言う仲間外れの意味も理解できず、慧馬たちは首を傾げてしまう。
「このアルファベッドはチェスの駒の頭文字。チェスの駒はPawn、Knight、Bishop、Rook、Queen、Kingの六種類。KnightとKingは頭文字が同じKだから、頭文字は全部で五種類。でも暗号にあるアルファベッドは全部で八種類。つまり仲間外れの三種類はI、E、L。このアルファベットはそれぞれ一つしかないし間違いないね。チェスは白が先手で、チェスボードの横の行は白側の手前から一~八の数字が当てはめられているんだ。まぁ普通に考えてこの暗号の手前が白だろうね。それを踏まえてこの三つのアルファベッドを手前に置かれている順に並べると、〝L、I、E〟になる」
暗号には手前から二番目にL、三番目にI、五番目にEが配置されていて、慧馬たちはそれを確認する。同時に慧馬はこの暗号の意味を漸く理解することが出来、それによる安堵でへたりと座り込んでしまう。
「Lie……嘘か」
「まったく、人騒がせな犯人だな……警察は暇じゃねぇっつの」
ため息をつくように暗号の答えを呟いた慧馬。一方慧馬の上司は呆れたように犯人に対して文句を零した。もちろん爆弾など設置されていない方がいいのだが、それとこれとはまた話が別なのだ。
混乱させるだけさせといて、結局何も無かったのでは刑事たちへの同情は否めない。この件が無ければもっと他の重大な事件に手をかけられただろうし、助けを求める誰かへの救助も早急に出来たはずなのだ。
「俺はこのこと警部に伝えてくる」
「はい」
疲れた表情を見せながらもその場を離れた慧馬の上司に、慧馬は軽く礼をして見送る。もちろん暗号が解けたからと言って避難しないわけにはいかないのだが、それでも刑事たちにかかるプレッシャーはかなり緩和されるだろう。
「そもそも本当に爆破させたいならこんなもの送らないよね。九割は法螺だと思ってたよ」
「……残りの一割は?」
「こういうことをゲームだと思っている馬鹿か、ヒントをあげても爆破を止めることが出来なかった警察を嘲笑いたい自信過剰の馬鹿だけ」
透巳の意見は尤もだが、そんなことは慧馬だって理解していた。だが世の中に絶対が無いのも事実なので、警戒しない訳にもいかない。
透巳の言う様に、その一割に当てはまる所謂サイコパスは確かに存在する。そしてああいった暗号に相当な自信を持っている人間なら、本当に爆弾を仕掛けていても警察に予告を出したりする可能性があるだろう。
「坊主……助かったぞ。この件が落ち着いたら朝飯奢ってやる」
「……ありがとうございます」
報告を終えた慧馬の上司は透巳の頭を豪快に撫でまわすと、精悍な笑みと共に気前のいいセリフを吐いた。透巳は一刻も早く帰りたかったが、今帰ったところで小麦は寝ている上、食費が浮くのであればそれはありがたいので断らなかった。
ぼさぼさにされた髪を撫でつけながら、緊張感が緩んだ警視庁の空気を感じ取った透巳は自然と笑みを浮かべたのだった。
次は明日更新予定です。
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