008 星の去った国
◇ ◇ ◇
「やあ」
待ち合わせしていた友人を見付けたみたいな軽さで、銃火はその男に声をかけた。しかし当然ながら二人が既知の間柄であるはずもなく、男は爛々とした獣のような瞳で睨んでくる。
「何者だ」
「余所者だよ。君は?」
「第三魔王の我に対して、随分と生意気な小娘だ」
「魔王!?」
人間の世界にいくつもの国があるように、魔族の世界にも13の国があり、13の魔王がいる。第三魔王ということは、つまり魔族の中で三番目に強いということだ、多分。いや、そんな単純な話ではないだろうけど、とんでもない大物であることには変わりない。それが、どうしてこんなところに?
魔族が嘘を吐くときの臭いなんか知らないから、ひょっとするとこちらをビビらせるための方便なのかもしれないが、しかしたとえ嘘だったとしても、彼が放つ威圧感と彼が纏う強者のオーラに間違いはない。鎖でぐるぐる巻きに拘束されてはいるが、それすらまるで鎧のように見えてしまう。
いくら俺達がチートな存在とはいえ、少なくとも現段階では戦って勝てる相手ではない。
だというのに……
「魔王様か。そりゃすごいや」
なんでお前はそんなフランクに話せるんだよ。
「おおっと、悠長におしゃべりしてる場合じゃなかった。ねえ第三魔王様。ここから解放してあげるからさあ、ちょっと私たちに協力してくれない?」
「……」
「協力と言っても適当に暴れてくれればそれでいいんだけど。君もこの国に恨みとか憎しみとかあるでしょ?」
「……よかろう」
その返事を聞くやいなや銃火は鉄格子を掴む。すると先程の扉と同じようにそれは流体化して鉄格子全体が、さらには魔王を縛っていた鎖までもが、うねり集まり一匹の大蛇のようになった。
これは金属加工と言っていいのか?
なんかもう別のスキルじゃないか?
さすがの第三魔王もこれには唖然としていた。
「貴様、人間か?」
「人間の定義にもよるね。そんなことより一つ頼みたいんだけど」
「なんだ」
「穴開けてくんない?」
そう言って銃火は真上を指差した。照明も何もないその無機質な天井のさらに上には、火が出た火事だと騒がしい城がある。
第三魔王は黄金の瞳をより一層輝かせ、その視線を上に向けた。
ひと睨み。
バンッ!
巨大な風船が破裂したような音と衝撃とともに、夜空が顔を覗かせた。
十数メートルの地層と、その上の何枚もの床と天井が一瞬にして弾け飛んだ。
こう見ると滅茶苦茶深いな、ここ。
じゃなくて、なんだこのおっかない生物は。
「こりゃ凄いや。魔王というのは嘘じゃないみたいだね」
「借りは返したぞ。では、さらばだ」
「うん。ばいばーい」
これを見てなおその口調が崩れないお前は本当に凄いよ。
第三魔王は背中から黒い羽を生やして、自分で開けた穴から飛んで行った。
あれ、城内でひと暴れしてくれるんじゃなかったっけ?
臭いもしないほど遠くへ行ってしまったぞ?
「いいのか?」
「うん? 何が?」
「魔王様、どっか行っちゃったけど」
吹き抜けができた時点で城内の混乱は十分ではあるけれど、捕虜から解放してあげたというのにこれだけで「借りは返した」と言われるのは、うーん。いやまあ近くにいてほしいとは全く思わないタイプの生物だけどね。
銃火は見事なもので、さして気にした様子も無かった。
「別にいいさ。そんなに期待してたわけでもないし。それに、あの程度の拘束なら自力で抜け出せてたはずだよ」
「あの程度って、魔法の香りがぷんぷんする鎖だったけど」
「所詮は人間が作った拘束具さ。魔王様としては時期が来たら何かをするつもりだったんだろうけど、私達のせいでその計画が崩れちゃったのかな。悪いことしちゃったなあ」
「散々人殺しといて今更何言ってんだか」
「私はまだ一人も殺してないよ?」
「直接は、な?」
確かに今日の夕食に毒を盛ったのは結車だし、地下牢の見張りの首を裂いたのは俺だ。しかしそもそもの首謀者はお前達双子だろうが。
それに、まだって言っちゃってるし。
「それで? 私が殺すべき相手はどこにいるのかな?」
「城の最上階で三人一緒にいるよ」
第三魔王によってできた穴から降りてくる臭いで城内の様子を把握する。
食糧庫に火が付いたとはいえ敵の姿が確認されたわけでもない。王様は騒ぎの前と同じ場所にいる。ただ、すぐそばに騎士団長と魔法師団長が来たようだ。実に好都合。この時間だし、執務室ではなく恐らく王様の自室だろう。
「私たちも行こうか」
「おう……え、どうやって?」
「こうやって」
鎖と牢屋の柵から作られた鉄の塊がうねうねと動き、俺達の足元にするりと入り込んだ。それは僅かに窪んだ皿のような鉄板になり、俺と銃火を乗せた。頭上にはその鉄板より一回り大きな穴。
「まさか」
「れっつごー!」
体が持ち上げられた。
それはまるでエレベーターのように真っ直ぐに天を目指し――ってちょっと待ておいこれ速い速い速い!
「おっ、おおおっ!?」
強烈な加速度と耳鳴りに平衡感覚が一瞬失われる。
おいおい金属加工のスキルはこんなことまでできるのか? 俺なんて剣を上手に扱える程度なのに何これマジチート。戦闘になったら負ける気はしないとか思ってたこの前の自分が恥ずかしいわ。絶対勝てねえだろこんなの。
そりゃ魔王相手でもタメ口でいけるわけだ。
十秒程で俺達は城の屋根にまで到達した。
急に止めるもんだから体がふわっと浮いた。
「あぶねっ!」
「あははっ! ごめんごめん」
落ちたら死ぬ高さなんだから気を付けろよ本当に。
気を取り直して嗅覚に意識を向ける。
「さあて、王様たちはどこにいるのかな?」
「こっちだ」
目的の部屋の上まで屋根を走る。後ろについてくる銃火のその更に後ろには、再び蛇のような姿に変わった鉄の塊が続いていた。屋根がミシミシ言っちゃってるけど大丈夫かよ。
「ここだ」
俺が足を止めたそこには一見すると何もないが、この真下には王様と、そして騎士団長に魔法師団長がいる。この国の中心と呼ぶべき部屋だ。
「よし、始めようか」
銃火は意思一つで足元に鉄塊を広げていく。
先程と同じように鉄板の上に乗らされたが、今回はこれが上下することはない。大きさは先程の倍以上で、こうなると下にいる人間の臭いが曖昧になっていく。きちんと遮断されている証拠だ。
「どう?」
「ばっちり」
「じゃあ――いくよ!」
そう言って鉄板に意識を集中させる銃火。
俺の視界には何の変化も映らないが、不思議に思うことはない。策は事前に聞いている。
今こいつは広げた鉄の一部で屋上を削って、部屋の中にその鉄柱を侵入させている。それを円形にでも四角にでもやれば屋上を落として圧死させることもできそうだが、騎士団長に加え魔法師団長もいる以上、防がれる可能性が高い。最悪の場合、王様を取り逃がしてしまう。
だからこいつは――
「よし、終わり! 離脱だ離脱!」
言うが早いか鉄板はそのままに屋上を駆け出す銃火。俺もそれについていく。
作戦は一通り上手くいったようだが、達成感や爽快感は特に得られなかった。
殺すだけ殺して得るものは何もないまま俺達は城を出た。
二度とここには来ないだろうと、そんな確信めいた予感だけがあった。
◇ ◇ ◇
「――とまあそんなこともあった思い出の地に、こうして8年振りにやって来たわけだが」
確信めいた予感も外れる時は外れるものだ。干支が一回りもしないうちに来ちゃったよ。この世界に干支はないけど。
「随分と変わっちまったなあ」
俺たちが去った後この地域は魔族に支配されたそうだが、それすらも昔のこと。今俺の目の前には人も魔の者もおらず、植物たちが悠々と緑を伸ばしていた。山賊の一人くらいいるかと思ってたんだけど、そういった臭いも感じない。
俺はある建物、というか廃墟に向かう。そこは俺や危吹姉妹、結車が召喚された教会だ。あちこちに苔がむし、蔦が延びている。屋根や壁は中に入るのを躊躇うほどに欠けていて、装飾品はその面影すら感じられない。
あれから。
俺達はこの世界から異世界族を根絶するため、二組に分かれて活動していた。
銃火と結車は仲間を集め、《神威物》とかいうチートというかバグみたいな武器で異世界族と戦っている。あいつらとは年に一回会うか会わないか程度なので、詳しい活動内容は把握していない。
俺と刃太刀はもっと根本の問題、つまりどうすればこの世界への異世界族の転生を阻止できるのかを考えている。他にも色々やってるんだけど、基本はそれだ。
これまでの調査で、異世界族を転生させる厄介な神様が少なくとも5体いることが確認されている。ちなみに神様の数え方が柱なのは知っているが、慣れない表現なので俺も刃太刀も使ってない。
というわけで1体目、ハノレルート。
俺達を転生させた神様だが、どうやら俺達以外を転生させたことは後にも先にもないらしい。何故そう判断できるかというと、担当した神様によって異世界族の転生の仕方やチートの仕様が違うのだ。
刃太刀が考案した分類法で言うなら、ハノレルートは複数召喚超特化型だ。複数名の異世界族を召喚という形でこちらの世界に転生させ、与えられるチートは万能ではないが一つの技能に超特化したスキルだ。
2体目はアイニエース。
こいつは単数湧出万能型だ。つまり一人で湧き出るように現れて、幅広いジャンルのスキルを持っている。異世界族としての厄介度はあまり高くない。万能であるがゆえに単独行動の傾向が強いのだ。この世界に対する悪影響度も低い方だ。まあ、それでも殺すんだけど。
3体目はレイエトーク。
こいつは単数湧出特化型だ。超特化型に比べるとメインスキルは数ランク落ちるが、その分ある程度の万能性を有している。他に比べてハーレム形成率が高く、世界への悪影響度も高い。目立ってくれるので発見は楽。
4体目は名称不明。
こいつは単数湧出特化型、つまりレイエトークと同じタイプだ。では何故区別できるかというと、一つはスキルの様式が違うのだ。レイエトークによる転生者のスキルは初級、中級、上級……というレベルの表示なのだが、それとは別に俺達と同じようなI、II、III……という表示もあるのだ。そしてこのタイプの異世界族には神様に会ったという記憶がない。よって別の神様だろうと判断された。
最後の5体目も名前は分かっていない。
こいつは単数憑依特化型なのだが、この憑依というのがとんでもなく質が悪い。赤子として、それもある程度裕福な家庭の子供として転生するため社会に溶け込む能力が高く、発見が難しいうえに世界に対する悪影響度も高いのだ。刃太刀曰く「私が一番嫌いなタイプ」だそうだ。
こう見るとハノレルートだけが転生のスタイルもスキルのスタイルも他の神様と一切被っていない。
これは同族殺しが現れたという前例、つまり俺達という失敗作がいるため同様のスタイルが忌避された結果ではないかというのが危吹姉妹の推測だ。もしこの仮説が当たっているなら神様連中の間に何らかのつながりがあることになるのだが、そこら辺は追々調べるとして。
今回は8年経って色々と準備が整ったので、ハノレルートの今までよりも一段深い調査にやってきた。具体的に言うと、神様自体がどういう存在なのか、そして神様がいる領域へはどうやって行くのかを調べるのだ。
しかし自分が召喚された場所で自慢の嗅覚を働かせるが――
「何も臭わねえなあ」
特別なエネルギーが渦巻いてるとか、地下に秘密の空間が広がっているとか、そういったことは感じられない。なんせ8年も前のことだ。資料も燃やしてしまっている。そう易々と手掛かりが見付かるわけもない……俺一人では。
「あなたが挟者さんですか?」
廃教会の入り口から声をかけられた。驚きはない。エルフがいることは臭いで気付いてた。振り向いてみれば特徴的な尖った耳と緑色の髪、そして胸元には不思議な匂いのネックレス。あれは間違いなく《神威物》だな。
「確かに俺には挟者千蜜って名前があるけど、そういうあんたはどちら様かな?」
一応聞いてはみたが、答えは刃太刀から聞いている。たしかフェートちゃんだったかな。この調査の大事な協力者だ。なんでも4桁ものスキルを持っているとか。
「知ってるならわざわざ聞かないでください」
当然心を読むスキルもあるわけだ。
「先に聞いてきたのはそっちだろ?」
「偽者がいるかもしれないから確認しておけとお嬢様に言われていたので」
「挟者千蜜に嘘は通じない、とは言われてねえのか?」
「……なるほど、ステータスに載らないスキル持ちですか」
どうやら聞いていなかったようだ。銃火も意地が悪いなあ。あと相変わらず自分のこと『お嬢』って呼ばせてるのな。俺もお前も、四捨五入したらもう30なんだぞ?
「年齢なんて関係ありません。あのお嬢様に対して随分と失礼な人ですね。帰ったらあることないこと言いつけますよ?」
「んじゃとっとと帰れるようにとっとと終わらせようぜ。過去を見るのも朝飯前なんだろ? 8年前のここら辺を、まあ適当に見てくれよ」
「……私、お嬢様のことは好きですが、あなたのことはそうでもないです」
「結車にも言われたなあ、それ」
そういえばあいつまだメイド服着て「お嬢様」とか言ってんのかな。お前も四捨五入したらもう30なんだぞ? まあメイド服に関して言えば、最初見たときのコスプレ感は会うたびに薄れてきてるけど。萌え萌えカワイイやつじゃなくて家政婦的メイド服だから、あれは寧ろ年を重ねた方が味が出るのかもしれないな。
……なんの考察だ。
さて。
この教会で俺達の召喚にあたって何が行われたのかはフェートちゃんに調べてもらうとして、俺は隣の廃城に足を向ける。
王様と騎士団長、魔法師団長がいた部屋。そのドアはなくなっていた。中に入ると、当たり前だがそこに死体はなかった。しかし部屋のあちこちに見える鉄の錆びた赤色が、銃火がやったことを思い出させる。
あの日、鉄を棒状に伸ばしこの部屋に突き出した銃火は、それを回転させると同時にその温度を上げた。鉄が溶けるほどの、鉄が蒸発するほどの温度に。
つまり流体となった鉄を部屋中に撒き散らしたわけだ。
これがただの鉄片であれば、騎士団長の剣術で、あるいは魔法師団長の魔術で防がれたかもしれない。しかし目に見える液体までならまだしも、気体は防げないだろうと危吹姉妹は考えた。
この策を聞いた時はこいつらの敵に回らなくて本当に良かったと安堵したし、これからも敵対はできねえなと心に刻みつけた。
結局あの三人が全身火傷で死んだのか、金属中毒で死んだのか、はたまた死んでないのかは分からない。なんであれ無事では済まなかっただろう。
しかし全体的な作戦を振り返ってみると、随分無駄が多かったような気がする。結果として後に味方となる第三魔王に会うことができたが、別にあの時地下牢に行く必要はなかったし、食糧庫に火を放つ必要もなかった。
城内が混乱していようがしていまいが、やろうと思えば王様を殺すくらい簡単だったはずなのだ。召喚の資料くらい燃やせたはずなのだ。
「粗も斑も多かったね。これはただの言い訳だけど、初めての異世界に私もちょっと冷静じゃなかったんだよ。いやあ、若かったね」
当時を振り返って、刃太刀はそんな風に言っていた。
たしかに若かった。
若くて青くて幼かった。
今は、どうだろうか?
「おっ?」
モノローグに浸っていると突然視界が変わり、臭いが変わり、ここは先程の教会だ。隣にはフェートちゃんがいる。彼女が俺を瞬間移動させたのだろう。さすがスキルのコンプリートボックスだな。でもやる前に一言ほしかったぞ?
刃太刀によるとこのフェートちゃんは今までステータスを偽って異世界族に近付き、連中の話から異世界転生の謎を解く手掛かりを探したり、連中の行動をこの世界になるべく影響が出ないよう誘導したり、連中がある程度育ったら収穫をしたりと大忙しだったが、思う存分スキルを使える機会というのはなかったらしい。
その反動なのか、今は事ある毎に惜しみ無く使っている。
「召喚の日付が分かりました。今から8年前の様子をお見せします」
その言葉と共に再び視界が変わる。
ボロボロの廃墟の中に、絢爛豪華なかつての姿が重なった。
「お嬢様が召喚される一日前の映像です。気になるところがあったら……いえ、挟者さんが何かに引っ掛かったら止めます」
「おう、よろしく」
そこでは魔術師団長をはじめとした十数人の、おそらく魔術師が、忙しなく動いていた。見えるだけでなく、その話し声や足音まで聞こえる。さらに――
「臭いまで再生できるのか」
当時の人の臭い、建物の臭い、空気の臭いまでもが、しっかりと感じられた。今のところ変な臭いはしないが、どこに注目しておけばいいんだこれは。
魔術師団長が持ってる資料が恐らく刃太刀と結車が燃やしたはずの資料なのだろうが、その中身はフェートちゃんに記憶してもらえばいいか。こういうとき声を出さなくても伝わるのは楽でいいな。隣から感じる呆れた視線と匂いは、俺の考えが伝わっていることを教えてくれる。
……しかしかれこれ2時間ほど見続けているが、結局どこにも引っ掛からないまま映像は夜になった。4倍速で見ているとはいえ時間がかかる。暗くなると建物内には誰もいなくなった。見張りの兵士が外にいるのは臭いで分かるが、中には虫一匹いない。
んん?
不自然なほどに、生き物の臭いがしないぞ?
俺の意を汲んだフェートちゃんが映像を本来の速度に戻す。
嵐の前の静けさだろうか。あまりに何も起こらなすぎて逆に不気味だ。
「……」
「……」
そのまま十分ほどが過ぎた頃、ついに状況が動いた。
「なんだ……こいつ……」
瞬間移動でもしたかのように、そいつは突然現れた。少女のような出で立ちのそいつは、一にも二にも白かった。真っ白な服に真っ白な肌、真っ白な髪に真っ白な唇、そして真っ白な瞳。
その姿だけでも不気味だが、それ以上に気味が悪いのは――
「臭いが、ない」
俺の嗅覚は8年前よりさらに鋭くなっている。臭いだけでDNAさえ分かるレベルだ。だというのにこいつからは何も感じない。人の形はしているが明らかに人ではないし、人に準ずるものですらない。
しかし見れば見るほど、どこかで会ったような、こいつを知っているような気がしてくる。視線は離さず、自分の記憶を紐解いていると、
「――!」
目が合った。
過去の映像のはずなのに、その真っ白な瞳孔がしっかりと俺を捉えて――
◆ ◆ ◆
「おや? おかえりフェートちゃん。それと、千蜜くんは久しぶりだね」
白い少女がこちらを向いた瞬間、挟者さんが私にまで伝播りそうなほどの恐怖を感じたので即座に過去視を切り、お嬢様のいるこの部屋まで瞬間移動した。
交通都市メナメナ『北の貴族区』の一画、ハッシェルン子爵邸の一室。
いたのはお嬢様とメイドの芻さんだけだった。
「おやおや、どうしたんだい千蜜くん。顔色が悪いねえ。呼吸も荒い。まるで悪魔にでも会ってきたみたいじゃないか」
「……いや、ちょっと吃驚しただけだ」
「ふうん? 芻ちゃん、紅茶を淹れてあげて」
「かしこまりました」
芻さんが給仕室に消え、しばらくして紅茶の入ったカップを持ってきた。
「どうぞ」
「……どうも」
受けとる手が震えている。
今は彼の意識を覗いていないが、それでも先程の恐怖がしっかりと残っているのはスキルを使わずとも見ればわかる。読心じゃなくて五感の共有をしていたら私もああなっていたのだろうか。あらかじめお嬢様に止められてなかったら、多分使っていた。ありがとうございます、お嬢様。
「フェートちゃん。いったい何があったのかな?」
「はい。言われた通りノースター城跡に行って、お嬢様が召喚されたという教会で過去視を行いました。もちろん挟者さんにも見せて。そこで――」
「あいつを見た」
「あいつ?」
カップを両手で包み込みながら、挟者さんが私の言葉を遮った。そういえばあの白い少女にどこか見覚えがあるとか考えていたっけ。
「この世界に来る前に会っただろ、神様と」
「ああ、ハノレルートだっけ?」
「そいつがいた」
「……へえ」
憔悴している挟者さんと対照的に、お嬢様の口角が上がる。
「ふふふっ。正直、こんなに早くその姿を拝めるとは思わなかったよ。流石だね、フェートちゃん」
「ありがとうございます」
褒められた。嬉しい。
「千蜜くんには後々たっぷり働いてもらうから、今は休んどきな」
「……悪いな」
「いいってもんよ。フェートちゃん、あの教会にあった魔方陣とかは覚えてるよね?」
「もちろんです」
「よしよし」
お嬢様はそれから少し目を閉じて、何かを考える。敬愛する人なので頭を覗いたりはしない。
やがて考えがまとまったのか、目を開け、パンっと一つ手を鳴らした。
「よし。ハノレルートを捕まえよう」
「……正気か?」
「もちろん狂気さ。あいつを材料にして武器を作ろうってんだ。こんなの正気じゃいられないよ!」
ものすごく楽しそうなお嬢様とは対照的に、挟者さんは失礼にも呆れたような表情だ。
「そういや前にそんなこと言ってたっけ? あれ本気だったのな」
「もちろん!」
お嬢様は自信満々に答えた。
それもそうだろう。同じようなことを、お嬢は既に実現している。
「異世界族を材料に、異世界族殺しが作れたんだよ?」
――神様殺しだって作れるさ。