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【異世界×医療】回復魔法が効かない患者だけを治す追放治療師 〜現代の手技で、制度に切り捨てられた命を拾う〜  作者: 蒼瀬灯


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第48話 閑話 基準の内側で

第一部のあと、王都側のある一日です。

主人公アークではなく、彼をかつて裁いた制度の人間――

王都医療局・実務責任者バルドの視点で綴ります。

 書類は、減らない。


 私の机の上には、いつも同じ高さの紙束がある。

 処理しても、翌朝には同じ高さに戻っている。


 違うのは、中身だ。


 以前の報告書には、結果だけが並んでいた。

 成功か、失敗か。

 数字が出たか、出なかったか。


 今は、そこに一行、余計な欄がある。


判断理由。


 どの治療を選び、なぜそれを選んだか。

 医師自身の言葉で書け、と通達した。

 私が、書かせるようにした。


 半年前なら、考えもしなかったことだ。


 あの男――アーク・シグナスの名は、もう公式文書にない。

 役割を終えた人間の名は、制度から消える。それが秩序だ。

 風の噂では、地方の小さな診療所にいるらしい。


 戻ってこい、とは言わなかった。

 彼も、戻る気はないだろう。


 それでいい。

 彼がいなくても回る形にする。それが、私の仕事だった。



 昼前、扉が叩かれた。


「……失礼します」


 入ってきたのは、若い医師だった。

 名は、覚えている。だが、ここに書くほどのことではない。

 まだ、何者でもないからだ。


「相談、というか」

 彼は、言葉を探していた。

「判断に、迷っていまして」


 私は、手を止めた。


「症例は」


「外傷です。回復魔法の適応症例。基準上は、魔法を先行させて問題ない」


「では、そうしろ」


「……はい」


 彼は、頷いた。

 頷いて、動かなかった。


 私は、待った。


「ただ」

 彼は、続けた。

「傷の周りの、熱の散り方が。

 うまく言えないんですが、いつもと違う気がして」


 ——感情論だな。


 半年前の私なら、そう言って終わらせた。

 いや、私だけじゃない。評議会の全員が、そう言った。

 鑑定できないものは、医療ではない。再現できないものは、危険だ。

 そう言って、あの男を王都から追い出した。


 その論理は、今でも間違っていないと思っている。



 私は、若い医師を見た。


 彼の顔には、恐れがあった。

 基準を外れることへの恐れ。

 外れずに、誰かを取りこぼすことへの恐れ。


 その両方を、同時に抱えている顔だ。


 ——ああ。


 あの夜、城門の前で、似た顔を見た。

 規則だ、と言った門番ではない。

 規則の外で、子どもを抱えて立っていた、魔法を使えない男の顔だ。


 あの男は、こう言った。

 医療に万能はない、と。


 口だけなら、誰でも言える。

 だが、その言葉を引き受けられる人間は、少ない。


「お前は」

 私は言った。

「魔法を先に使えば、基準は守れる。咎められない」


「……はい」


「だが、違うと感じているなら、その違和感には理由がある。

 お前が、毎日その傷を見てきたからだ」


 彼は、目を見開いた。

 私が、そんなことを言うと思っていなかったのだろう。


 私自身、思っていなかった。


「決めるのは、お前だ」

 私は言った。

「私は、答えを持っていない。

 ただ、どちらを選んでも、理由を書け。署名はいらん。

 咎めも、ない」


「……記録、するんですか。基準と違っても」


「違ったからこそ、残す」


 彼は、しばらく黙っていた。

 それから、深く息を吸った。


「……やってみます」


 そして、自分の処置室へ戻っていった。


 私は、追わない。

 結果を、聞きに行かない。


 それは、私の役割ではないからだ。

 ――いつから、そう思うようになったのか。



 夕方、紙束の高さは、また元に戻っていた。


 その一番上に、見慣れない筆跡の一枚があった。

 あの若い医師の報告書だ。


判断理由:

 基準では魔法先行が可能だったが、

 熱の散り方に違和感があり、先に流れを整えることを選んだ。


 署名は、ない。


 結果の欄には、短く「軽快」とだけある。


 私は、それを束の一番下に差し込んだ。

 評価もしない。承認もしない。

 ただ、残す。


 こういう紙が、最近、少しずつ増えている。

 制度が良くなったのか、私には分からない。

 迷う医師が増えただけかもしれない。

 迷いは、効率を落とす。報告も増える。面倒だ。


 それでも。


 基準だけで動いていた頃より、

 処置室の空気は、わずかに息がしやすくなった気がする。

 気のせいかもしれない。証明はできない。


 ——証明できない、か。


 私は、小さく笑った。

 あの男に、いちばん言いたくなかった言葉だ。



 窓の外、王都の灯りが点りはじめる。

 整然と、秩序だって。


 遠くの地方の町でも、今ごろ誰かが椅子を引いているだろう。

 名前を消された男が、署名のない帳簿に、一行を書いているだろう。


 彼が残したのは、技術ではなかった。

 流派でも、思想でもなかった。


 迷っていい、という、たった一行の余白だ。


 それが制度に馴染むのか、いつか消えるのか。

 私には、まだ分からない。


 分からないまま、明日も紙束は同じ高さに戻る。


 私は、灯りを落とす前に、もう一度だけ机を見た。


 基準は、ある。

 数字も、報告書も、これからも消えない。


 その内側に、ほんの少しだけ、

 答えを書かなくていい場所を、残しておく。


 それが、裁いた側の人間に、唯一できる詫びの形だった。


本編をお読みくださった方への、王都側からの一場面でした。


主人公アークは、最後まで「答え」を出さない人物でした。

その彼を裁いた制度の側にも、たぶん、迷う人間がいたはずだ――

そう思って、バルドの一日を書きました。


彼が残した「答えを書かなくていい場所」が、

このあとどうなるのかは、まだ書いていません。


次話より、第二部が始まります。

舞台は、王都から遠い辺境です。


――王都で決まったことが、そこへ届くまでには、時間がかかります。


引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

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