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第5話 夏の太陽の下へ (4)

 * * *



 時が流れるのは早いもので、あの事件からすでに十日以上経過していた。

 あの後、洋は明裕に対して何の賠償も求めずに家に帰した。職を失うという、社会人にとっては非常にきつい状況下に置かれた彼に、これ以上酷なことはさせたくなかったらしい。

 考えが甘すぎる、もっと厳しくしてもいい、警察に突き出しても十分のことをした、などと口々に言ったが、洋は首を横に振るばかりだった。最終的には洋の意向に沿う形となり、項垂れた明裕の背中を見送った。その選択が正しいかどうかはわからない。だが、正しくあって欲しいというのは、切なる願いであった。

 そして洋が晴美に連れられて、病院に行った後は、しばらく喫茶店は休業している。正直心配であった。あの傷では左手はしばらく思うようには使えない。それにボヤ騒ぎもあった。その他、様々なことが重なって疲れきっている状態かもしれないだろう。

 何かしてあげたかったが、すでに光二や水菜は夏期講習が再開しており動きにくい状態だ。だが、恵美香の話より元気だと聞いて、安堵はしている。三年前の事故以来、彼女は洋と連絡を取り合っているらしい。

 一方、恵美香から慕われた義樹からは、彼女に毎日無理矢理連れ回されていると叫んでいるのを、ちらりと小耳に挟んだ。それを大変だね、と一声掛けるだけで流している。義樹にとっては大きな誤算だったのだろう。

 彼女にするなら、お嬢様で可愛く、大人しい女の子がいい、と豪語しており、そんな少女に出会えたと思って有頂天に登っていたら、現実は一つだけ大きく要素が違っていた。

 水菜の話によると、恵美香は小さい頃から柔道を習っており、実力も県でも有数らしい。電車の中では痴漢も軽々と撃退しており、警察からよく感謝状をもらっているとも聞いた。一見、大人しい女の子に見えるが、本性は何かを始めたら周りに目もくれず突っ走り、邪魔な奴は容赦なく投げ捨てるらしい。

 想像するだけでも恐ろしいなどと、口が裂けても言えなかった。



 そんな様々な出会いと出来事があった夏休みが終わる日に、洋が喫茶店に戻ってくるという情報を得た四人は、昼過ぎに喫茶店ソレイユ・デ・レテにやってきたのだ。光二と水菜の塾の講習もちょうど終わったため、四人で顔を合わすのも久々である。

 相変わらず入口には休業中と書かれた看板。だが中から音がしていることから、誰かがいるのは丸わかりであった。義樹が勢いよくドアを開ける。

 最初に目に入ったのは、右手で丁寧に机を拭いている洋の姿。

「君たち、いったいどうしたの?」

 目をパチクリして、四人を眺める。

「喫茶店を再開するって聞いたから、その手伝いに……」

「ああ、恵美香ちゃんから聞いたんだね。しばらく空けていたから、掃除をしているだけだよ。再開は早くても明日以降。それに人手は足りているから大丈夫だよ」

「足りている? 一人じゃ――」

「上原さん、誰かいらっしゃ――あら、この前のあなたたち」

 店の奥から顔を出した女性は光二たちを見て、驚きを表情に出した。夏美の妹の晴美が、動きやすい服装をして立っているのだ。

「彼女にもお手伝いしてもらっている。そんなに広くない店だから、二人でも十分だけど……、もしよかったら手伝ってくれると、嬉しいね」

 素直に洋は自分の考えを述べる。その柔らかな微笑みに、光二たちは嬉しそうに頷き返した。

 やがて掃除機や濡れ雑巾を中心に、喫茶店内をきれいにし始める。元からきれいであったため、あまりやるところは無いように思われた。だが十日以上の空けていたため、探せば埃は出てくるものだ。

 そして最後に問題に残ったのは、あのボヤがあった現場。

 燃えたところ、特にマットの部分はほとんど黒焦げており、何かあったのかは一目瞭然である。

「マットを変えれば、いいのではないのですか?」

 恵美香がマットを指しながら、案を出した。

「うん、それはごもっともな意見だよ。だからすでに購入はしてある。ね、晴美ちゃん」

「はい、これです」

 そう言うと晴美は紙袋から、鮮やかなマットを一枚取り出した。太陽と空が鮮やかにプリントされている、どこか心が明るくなれる絵柄。

 洋は初めて見たのか、その絵柄に見とれていた。

「本当はもう少し色を抑えようかと思いましたが、この喫茶店の名前の通り、明るい感じがいいと思い、これにしました。気に入らなかったですか?」

「いや、とても気に入ったよ。ありがとう」

 大切に晴美からそれを受け取り、床に敷いた。そこから明るい雰囲気が広がり始めているようだ。それを実感しつつ、洋は笑顔で振り返った。

「――さて、掃除もひと段落したことだし、お茶にしようか」

「はい!」

 一同も笑顔で頷き返した。



 机をくっつけて、六人座れるようにした。それぞれに飲み物を出してから、やがて洋は大きなお皿を持ってくる。それを見て、感嘆の声が上がった。

「美味そうなタルトだ!」

 義樹が今にもフォークで刺そうとしているのを光二が止めつつ、そのタルトに目を向けた。

 夏に採れるものなど、色とりどりの果物がタルトの上にのっている。とても楽しく、明るい気分になれるタルトだろう。

「夏限定の特別タルト、そして僕がこの喫茶店で作る最後のタルト」

 その言葉を聞いて、一斉に視線が洋に集まる。席に着くと、見渡しながらしっかりと声を出した。

「この前、昔お世話になっていた、パティシエにお願いをして、また修行させてくれるように頼んできた。それを快諾してくれた関係で、九月の中旬にはこの店を一度閉めようと思っている」

「中旬って、また急ですね」

 水菜が思ったままに言葉を漏らす。

「早い方がいいと思って。一応、細々とケーキを作っていたけど、正直言ってかなり三年前よりは腕が落ちている。だから一日でも早く、本格的に再開したくて」

 話している表情はどこか嬉しそうだ。明日へ満ち溢れた顔をしている。

 それを晴美は微笑みながら聞いていた。

「〝ソレイユ・デ・レテ″、これをフランス語から日本語に訳すと〝夏の太陽〟。姉の夏美と上原陽洋さんが作り上げようとしていた素敵な喫茶店。それを本当のものにするためにも、是非とも頑張ってきてください」

「ありがとう。いずれは本場に行って、本当の〝夏の太陽〟と命名できるケーキを作ってくるよ」

 そして晴美に対して手を差し出すと、彼女は笑顔で握り返した。

 いつしか洋のわだかまりは消え、前に進もうとしていた。自ら閉じこもっていた家から一歩出て、外に出ようとしているのだ。

 自分に嘘偽りなく、本当の心に気づいたとき、人はまた新たな道が開けるのかもしれない。

 やがて様々な談笑をしている最中、急に雲間から太陽が照りつけてきた。

 すると洋がふと思い立って、打ち水がしたいと言い、席を立った。よく夏美がやっていたらしい。それを久々にやると言ったのだ。

 晴美や光二たちも、何となくその現場に付いていくことにした。

 外に出ると、青空の中に現れた太陽がアスファルトを照りつけている。だがその暑さはいつしか嫌いではなくなっていた。

「光二、俺な――」

 光二の隣で、顔を空に向けている義樹が呟いた。

「高校に行ってもサッカーを続ける。行きたいと何となく考えている高校、結構強くて、レギュラー落ちが目に見えていても頑張るな」

「ああ、その方がお前らしいよ」

 晴れ晴れとした表情はいつになく爽やかだった。

 光二もここ数週間じっくりと考えて、考えを改めたことがある。

 いくら勉強をしても無駄――、そう思わずとにかく目の前のことに集中することに決めたのだ。

 諦めて適当に流してもいいかもしれない。もしかしたら、諦めた方が楽なのかもしれない。だが、今できることを精一杯やって、明日という日を迎えたいのだ。

 その決断が果たして成功するか否かは、自分次第だろう。もしかしたら失敗して、第一や第二志望の高校が落ちるかもしれない。そうなる可能性もあるが、それを考える前に今はやり抜きたい気分なのだ。



 * * *



 夏のとある日に、青空の中で煌めいている太陽。

 綺麗とは言っても、外はとても暑いため、その下に出ることに躊躇いがでるでしょうね。

 けど、思い切って出ることによって、また違った感じ方をするかもしれない。そして中で飲んでいた飲み物の味も、また違った感想を抱け、新たな味を再発見できるかもしれない。

 そう考えると、太陽の下へ出てみたいという気も出てこない?



 私が好きであった洋も含めて、彼ら、彼女らには、様々な困難が待ち構えているでしょう。

 辛い時もあると思う。でも、そんな時は一度立ち止まって、皆で楽しくお茶でもしてみない?

 もしくは風景を変えてみてもいいかもしれない。



 そう、夏の太陽の下へ――――。






 了






 まずはお読み頂き、ありがとうございました!


 コメディ成分をいつもより多めにしたつもりの長編でしたが、読者さま方にはどう捉えられて頂けたでしょうか……。もっと笑いを多くしなくては、ジャンルをコメディにはできませんね。

 あくまでこの小説のジャンルは抑えめの恋愛……、いえ青春系だと思っています。

 とりあえず楽しみつつも、最後は爽やかな気分で読み終えて頂けたのなら幸いです。


 今後も、自分の作風や味を探しつつも、よりいいものを執筆していきたいと思います。

 よろしければ、他の作品でお会いできますように――。


 本当に、ありがとうございました!



     桐谷瑞香 (二〇一〇・五・四)



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