エノク奪還、そして……
「──レメク!!」「レメク大丈夫!?」
ヨシュア、そして遠目から見ていたメーサが、血を流し倒れこむレメクに駆け寄る。
「だ、大丈夫だ……俺は良いから、奴を止めろ。ありゃ、人間じゃ無かったみてえだ……」
上空の、化け物と化したスネークを指差すレメク。
顔色も悪く、何とか意識を保っている状況だった。
「誰か! 治療師は居ないか!?」
ヨシュアは叫びながら周りを見回す。しかし、誰一人駆け寄る者も、手を上げる者も居ない。
そんな時──一人の男が倒れこむレメクの元にやって来る。
「団長、大丈夫ですか? あ~、腹膜は破れてっけど、臓器は大丈夫だな……ヨシュアさん、団長は俺が治しますから、あれを何とかして下さい」
そう言ってレメクと同じく上空を指差すのは、シンジ事、新エデン騎士団長だ。
「治せるの!?」
「大丈夫です。これぐらいなら問題なく治療出来ます」
シンジの言葉に黙って頷くヨシュア。奇声を上げるスネークを見上げ、唾を飲み込んだ。
「ヒッヒヒヒ! 先ずは手始めに、私を貶めた馬鹿者共を地獄に落とすとしよう」
スネークはそう言うと、繋がれた貴族達と腰を抜かし此処を見上げている髭面の男に狙いを定め、ペッペッと、唾を飛ばし始めた。
「うわっ! なんだこれは!? ……うっ! ガハッッ!」
降りかかる唾。汚ならしいと、顔や体に掛かった唾を拭う髭面の男と貴族達だが──髭面の男が突然苦しみだす。すると、伝染するかの様に一斉に苦しみだす貴族達。やがて、血反吐を吐きながら息絶えていった。
その光景を目撃した民衆達は、それまで様子を伺うように上空を見上げていたのだが、自分が殺されては堪らん、とばかりに蜘蛛の子散らす如く逃げていく。
「くっ……」
その様子を苦々しい表情で見つめるヨシュア。
化け物の相手をしたい所だが……アイツを倒すとなると、自分も悪魔の姿に戻らなければいけない。そう思うと、心に躊躇いが生じ、覚悟が定まらないでいた。
そんなヨシュアの手を握り、勇気付けたのは──傍らに寄り添うメーサだった。
「大丈夫よ。本当の姿がバレたって、此処にいる者達はきっと理解してくれる、ヨシュアが敵じゃないって。それに……もし、ヨシュアの姿を恐れて、皆が逃げても──あたしは、ずっと傍にいるから」
ヨシュアはメーサの言葉を噛み締め、ギュッと手を握り返す。
「ありがとう」
ヨシュアはそれだけ呟き、メーサの手を離した──そして、舞い上がる黒き羽。
悪魔と堕天使が今、衝突する。
「今度はなんだ!? 化け物がもう一人!?」
「エノクは終わりだ! 皆、化け物に殺されるんだー!」
恐怖に震えた民衆の叫び。
それに答えたのは、一人の男の子だった。
「ヨシュアさんは、化け物なんかじゃありません!!」
「アダム……」
民衆を説き伏せようと声を上げるアダム。
その小さな背中を、アベル王は見守る。
「今、スネークと対峙しているのは、僕とイブの命を救ってくれた英雄です!! 決して化け物では有りません! 皆さん、人を見た目で判断しないで下さい。本当の化け物とは、心の闇を周囲に撒き散らそうとする、害ある者だ。あの人は、危険を顧みず本当の化け物と戦おうとしているんです!!」
「ならば私達も戦おう!! 皆も守る者がいるで有ろう。その者達は早々にこの場を離れ、家族を守れ。そして、残った勇気ある者達は、彼の戦いを見守ろうぞ! もし彼が敗れようとも、その勇気を讃え胸に秘め、化け物に一子報いてやろうではないか!!」
「「うおー!!」」
アダムとアベル王の演説に心打たれた民衆の叫びが響き渡る。勿論、逃げる者も多く居る。だが、それは致し方ない事。家族や恋人、はたまたペット、誰でも大切に守りたい人や物が、有るのだ。
しかし、それでも残った者達こそ、勇者と呼ばれるに相応しいのかもしれない。
エデン騎士団と開拓民は、さながら当然だという顔で残っている。後の者は、腕に覚えが有り「やってやる」と、気概がある者。流浪の冒険者で有りながら、この地の人や物に魅力を感じ、守りたいと思った者も居るようだ。
そんな数少ない勇者達は、ヨシュアに「頑張ってくれ」と、祈りを込めて戦いの様子を見守るのだった。
「ヒッヒヒヒ! 愚民共は逃げたようだな! それにしても──まさか、お前が悪魔だとはな。何が目的だ? 人の大陸と再び戦う気か? それとも、人を油断させ信頼を得たところで、絶望を味わわせたいのか?」
「見当違いも甚だしい。俺はただ、静かに暮らしたいだけだ! まあ、今はそれも難しいかもしれないが……」
「静かに暮らしたい? 悪魔が何を言ってるんだ。どちらかと言えばお前達悪魔は、人の地へ押し寄せ、幾多の戦禍を撒き散らしてきた、魔族の先導者ではないか。寝言は寝て言え! さっさと正体を現せ悪魔!!」
「……昔はそんな事もあったみたいだね。だけど、俺はそんなつもりは無いし、もし今──此処に魔族が攻めてくるなら、俺は人を守るよ。大切な笑顔を守りたいから」
「はっ! 戯れ言を……ならば、この地が大切だと言うなら、お前はこの地を治める。だが、その代わりに、人を滅ぼす計画にお前も加われ。なに、裏切った事は水に流してやる。どうだ?」
「残念だけど、お前に協力する事は死んでもない」
即答で言い切ったヨシュア。その言葉に、スネークは憎々しい表情でヨシュアを睨んだ。
「そうか……なら死ね!!」
近付く狂気──鋭利で金属のような固さになった爪をヨシュアの心臓目掛け、突き刺そうとするスネーク。
余裕で避ける事が出来る、と思いきや──完全に避ける事は出来ず、腕の皮膚を裂いたスネークの爪は、ヨシュアの血で赤く染まる。
「うっっ!」
「良く避けたな、流石は悪魔と言うべきか。だが──これはどうかな?」
腕を鞭のように使い、最早武器となった爪を乱れ打つスネーク。そんな攻撃に、ヨシュアは防戦一方。徐々に傷を増やしながらも何とか凌いでいた。
目の前で狂気を振り撒く者は、今まで戦ってきたどんな相手より手強い。本気になったヨシュアでさえ、防戦を強いられているのだ。
下で見守る者達も圧されるヨシュアを、不安気な表情で見上げていた。
「──これで終いだ!」
そう叫ぶスネークは、ヨシュアの腕に鋭利な牙を食い込ませる。
「ぐっ!! この!」
噛み付かれたヨシュア。刺さるような痛みに、苦痛の表情を浮かべながらも、スネークの体を何とか引き剥がす。
「お前はもう終いだ。彼処で、の垂れ死んでいる奴等とは、比べものにならない毒を注入してやった! 私に協力しなかった事を悔やみ、後悔にまみれ苦しむがよい」
スネークの言葉が終わると、ヨシュアの視界は霧が掛かったようにぼやけてくる。そして、視界だけではなく、意識さえも遠いていくのだった。
(また、大切なものを守れないのか……)
薄れゆく意識の狭間──レメク、メーサ、そしてアダムやララ達の、笑顔が壊れていく。
そんな絶望的な想像の中、ヨシュアの意識は沈んで──
(何してんのよ、ヨシュア!! こんな奴に負けちゃダメじゃない! 私との特訓、忘れたの? あんたはこんな所で、くたばるほど柔じゃないでしょ!)
沈みそうな意識を支え、浮かび上がらせようとしたのは──懐かしい声。
(エリーユ!? エリーユなのかい?)
(フンッ……聞かないと思い出せないの! この馬鹿!)
その言葉は……気が強くて、天の邪鬼。
大好きだった女性だと、ハッキリ思い出させてくれる──そんな言葉だった。
(相変わらずだね……エリーユ。でも、なんで俺の意識に?)
(直ぐに気付かなかったあんたには、まだ教えてあげない! それより、ほらっ、敵さんが不敵に笑ってるわよ)
(そうだね……だけど、今の俺じゃ勝てないみたい)
(まったく! 私が居ないとあんたは本当に弱虫ね! しょうがないわね──これで何とかしなさい! 良い、想いのままに唱えるのよ)
エリーユの言葉が終わると、心と体に、暖かくて不思議な感覚が芽生える。
(なんだいこれは? ……エリーユ! エリーユどこ!?)
そう、何回も何回も問い掛けるヨシュア。
しかし、エリーユからの返事は無かった。
『想いのままに唱えるのよ』
エリーユの最後の言葉を、何度も復唱するヨシュア。
すると、想いのまま、自然に口から言葉が出ていく。
「皆を守るんだ!! 閉じ込めろ!"エターナルプリズン"」
ヨシュアの想いが放たれる。
そして、邪悪な蛇は暗黒の牢獄へ閉じ込められると──その身を、黒き炎で燃やし尽くされる。
「なんだこれは!? 私を出せ!! ──あ、熱い!! 熱い熱い熱い──グギャー!!」
けたたましい叫びを上げるスネーク。だが、牢獄に閉じ込められた者の叫びは決して──届く事はない。
(やったか……)
灰になるスネークを見届けたヨシュア。
今度ばかりは、暗闇に意識を預けた。
──三日後、エノクの町広場にて──
「──皆、集まってくれて感謝する」
集まった人の群れの中、中央で演説するのは──エノク市長として、試験的に就任されたレメクの姿だった。
「この度、貴族制度廃止により、エノク市長として就任したレメクだ──アベル王国は、今回の騒動に伴い、国の在り方について深く考えた。その結果、腐敗した貴族達に民を任せるのではなく──君達一人一人に、誰が民を守るのに相応しいか決めてもらう事になった。その所為で、私が此処に立っている! まったく不本意だかな!!」
「そう言うなよレメクさん!」「そうよ! この町を任せられるのは貴方しか居ないわ!」
「暖かい言葉──ありがたくないが、礼を言っておこう。そして、今回の騒動を治め、悪しき者を炙り出す事が出来たのは、私の友である男のお陰だ。改めて、皆でお礼を言おうじゃないか──」
「「ありがとー!! ヨシュア!!」」
皆、親指を突き上げ、お礼の言葉を口々に叫ぶ。
その光景を、同じく親指を突き上げ、展望台から眺める者がいた。
「てかヨシュアって、魔法使えたんだね?」
ヨシュアが広場を眺めていると、先日の光景を思い出すようにメーサが尋ねる。実の所、ヨシュアは魔法が使えないのだ。
その事が、幼いヨシュアに落第者の印を押し、自信を奪っていた一因でもあった。まあ、今となっては魔法など使えなくても困る事は無いので、しょうがないと割り切っているのだが。
スネークを閉じ込め、灰にした事──とても普通ではありえない。それはまさに"魔法"という名の現象だったと、思わずにはいられないだろう。
「うーん……使えたみたい?」
「何それ……なんで過去形?」
首を傾げるヨシュアに、メーサは不思議に思い、さらに問い掛ける。
「だって──」
そう言ってヨシュアは手のひらを上に向けると、何かを発動しようと踏ん張った表情をした。
『ボフッッッ!』
何かが不発に終わる音が響く。
まるで溜め続けた屁のような音だ。
「え、なにそれ? 魔法のつもり?」
「そうだよ……今の俺の最大限の努力の結晶」
「ハァー。だったら、あれは何だったのよ? 神の思し召しとか言わないでよ」
「なんだろうね? 自分でも良く分からない……でも、誰かが力をくれたのは、確か──だよ」
(ありがとう。エリーユ)
◆◆◆◆
(フンッ! ……良く頑張ったわね。ヨシュア)
これでエノク奪還編完です。次回、幕間を挟み第三章へ続きます!




