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テンキュウノアメ  作者: ルシア=A.E.
86/96

1.10.10 雪女じゃなくて、人間でもなくて

ドゴォォォォン!

 

 "熊"が健在であることを知ったアオは、すかさず透明になって、追加の攻撃に出た。彼女が拳を"熊"へと突き立てる度に、"熊"の身体から吹き出たどす黒い体液が、勢いよく周囲へと飛び散る。

 

 その体液は、ただのねばつくだけの粘液、というわけではなかった。近くの木に掛かると、強烈な悪臭を発しながら、その表面を強酸のように侵していったのである。今は冬なので草木は芽吹いておらず、地面は白い雪に覆われていたので溶けるものはほとんど無かったが……。これがもしも夏場だったなら、おそらく異臭騒ぎでは済まない悲惨な事態になっていたことだろう。

 

 その様子を見て、アメと鹿が苦々しげに呟いた。


「……アオのやつ、今頃、あの怪しげな飛沫まみれになっておるのではなかろうか?透明じゃから、状況がよう分からん」


「見た感じ、手数(てかず)が減っているようには見えないからねぇ。多分大丈夫だろうさ。まぁでも、仮に私があんな力を持っていたとしても、あの種の"熊"にゃぁ絶対に近づかないだろうね」


「それが賢明じゃろうな。ワシも同感じゃ」


「ふーん。だったら、もしも狐さんが相手をしていたなら、ならどうするつもりだったんだい?」


「さぁの?遠くから石でも投げておったか、それか罠に嵌めておったか……」


「……狐らしい返答だね」


「案外、これから先、アオの奴も、ワシと同じ方法を取らざるを得なくなるやも知れんぞ?あやつのあの打撃、迫力のわりに、あまり効いておらぬ様子じゃからのう」


 アメはそう評価していたものの、アオの打撃が弱かったわけではない。アオが拳(?)を繰り出す度、連続して響き渡る轟音と共に、"熊"の巨体が宙へと浮き上がっていたのだ。その様子を見る限り、アオの方が優勢であることに疑いの余地はなかった。

 

 しかし、相手が不可解な異形である以上、ダメージが与えられていると断言できないのもまた事実。故に、アメは、かつての"熊"との戦闘を思い出しながら、何か有効な対処策は無いものかと考え始めた。


「(確実なのは、毒漬けにすることなのじゃが、季節が季節じゃからのう……)」


 そんなことを考えながら、アメは周囲の森を見渡した。


 そこにあったのは、雪と木々が作り出す白と黒のコントラスト。故郷の湖の畔で見慣れた紫色の花があるわけもなく……。彼女の思惑は早速、暗礁に乗り上げてしまう。


「(毒草もなければ、毒虫もおらぬか……。どうする?やはり逃げるか?)」


 アメは有効な対策がないかを考えながら、聞こえてくる打撃の音に、耳を傾けた。

 

 すると、彼女の脳裏に、ふと先ほどの鹿とのやり取りが浮かび上がってくる。


「(……そういえばアオのやつ、あんなにも強いというのに、ワシらを襲うたときは、なぜ冷気などという不確実な力を使こうたんじゃ?……ふむ……あれなら使えそうじゃな)」


 そしてアメは、アオに向かって声を投げた。


「アオよ!お主、雪女じゃろ!」


「雪女じゃありません!に・ん・げ・んです!」むすっ

 

「この際、そんなことはどうでもよい。お主、どうして冷気を操らぬ?お主がワシらを襲うて来たときは、凍てつくような冷気を放ってきたではないか!」


「わ、私は、人間……」


「まったく……この期に及んで、そんなこと言っておる場合か!"熊"を舐めておったら、お主、そのうち食われるぞ!」


 アメは、言葉に感情を乗せて、アオへと呼び掛けた。雪女か人間か、などという話はとりあえず横に置いて、とにかく冷気を使い戦ってもらいたかったのだ。……打撃に強い"熊"と言えど、冷気によって強制的に体温を下げられれば、凍死に追いやることができるのではないか……。毒殺を諦めたアメには、それ以外に有効な手立てが思い付かなかったようだ。

 

 一方、アオの方も、現状を打開するためには、冷気を使うしかないと気づいていたようだ。そのためには、乗り越えなくてはならないプライドの壁のようなものがあったようだが……。彼女はどうにか自分を押さえ込んで、意を決する。


「こ、これからするのは、私が元々持っている"力"の行使であって、決して人間であることの否定ではないのです……!勘違いしないでください!」


 いったい誰に向かって話しているのか……。アオはそう口にすると、透明な姿のまま"熊"から距離を取った。そして、そこで彼女は改めて姿を見せると、熊に向かって両手をかざす。

 

 その間、"熊"は、身動きせずに、その場でうずくまっていた。アオの打撃によるダメージは、まったく効いていなかった訳ではなく、"熊"の身体の中に徐々に蓄積しつつあったのだ。

 

 しかしそれも短い時間のこと。"熊"は再び動き始める。その眼孔に光は無く、闇が住み着くかのように虚ろで……。まるでアオのことを呪い殺さんがごとく、異様な気配を放っていた。


 そんな折、アオが攻撃の準備を終える。


「私は――雪女じゃない!」


 まるで技名を口にするかのように、アオは声をあげた。その直後、その場の空気が変わる。突然、周囲の気温が下がって、霧が立ち込めたかと思うと、"熊"の周囲にあった木々が、真っ白に染まりはじめたのだ。

 

 それは単なる色ではない。キラキラと輝く宝石のような氷の結晶が、木々を包み込んだ結果だった。木々だけでなく、立ち込めていた空気も、太陽の光を受けてキラキラと輝き始める。


 "熊"の身体も例外ではない。"熊"の表面を覆っていたドロドロとした粘液は、いつのまにか氷のように固まっており、そのせいか"熊"自体も動きを止めていた。

 

 その様子は、まるで時間が止まったかのようだった。あるいは、氷で作った氷像の展覧会のようだった、とも表現できるだろう。


 そして何より異様だったのは、"力"を使ったとおぼしきアオ自身である。彼女の周囲の空気だけは、真夏の太陽に照らされた灼熱の大地のように揺らめいていて……。彼女の近くにいたアメたちは、炎を前にしたような熱気を感じ取っていたようである。


 そんな一行の視線の先にいたアオは、"熊"の方に向けていた手をおもむろに下ろすと……。躊躇することなく、凍った獲物の方へと歩いていく。


「ふぅ……。どうにか無事に終わりましたね」


「何を言っておる?熊はまだそこに――」

 

「いえ。これで終わりです」


 "熊"の前にたったアオが、動かない"熊"へと手を伸ばして、指先で軽く弾いた――その瞬間だった。


ミシミシ……ゴロゴロゴロッ!!


 "熊"の表面に無数の亀裂が入り、一気に崩れてしまったのだ。アオの冷気は"熊"の身体を隅々まで凍らせていたらしく、彼女の指が触れただけで粉々になるほどに脆くなっていたようだ。

 

 アオは粉々になった熊が再生しないことを確認すると、アメの方を振り向いて、至極嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら宣言した。

 

「"熊"退治、終わりました!」


 しかし――、


「……のう、アオよ」


――嬉しそうなアオとは対照的に、アメの表情は不満げだった。どうやらアオの行動の中に、何か気に入らないことがあったようだ。


「1つ聞きたいんじゃが……熊の毛皮はどこかの?」


「熊の毛皮……あ゛っ……」


「バラバラになった肉塊――いや、氷塊からは、まともな毛皮は採れぬぞ?」


「あわ、あわわわわ……!」


「肉もバラバラになっては売れるかどうか分からんぞ?せめて、よい薬になるという胆さえあれば話は別かもしれんが……この状態ではそれも望めぬじゃろうし……困ったのう?」ちらっ


「う、うぐっ……」


 物々交換で船に乗せてもらうという約束だったというのに、"熊"をバラバラにしてトドメを刺したせいでまともな素材を剥ぎ取れず、このままでは船に乗ることができない……。そのことに気づいたアオは、その名前の通り、真っ青になった。

 

 結果、彼女は、助けを求めようと、鹿に向かって視線を送ることにしたようだ。いま狩った"熊"の他に残っている熊はいないか、あるいは何か新しい獲物はいないか、と聞こうとして……。


 だが――、


……ひゅぅぅぅぅ……


――鹿の姿は、いつの間にかその場から消えていて……。骨折り損状態のアオは、思わずその場にへたり込んでしまったのであった。

9月……9月かぁ……。

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