1.10.7 それでも明かさず、約束して
「「…………」」
「んま?」
「……どうしたんだい?2人して揃って、急に黙り混んじゃって……」
海を渡るための船渡しを店主が手配してくれるかもしれない……。それはアメたちにとって、自分たちの正体を明かしてもいいどころか、喉から手が出るほどに魅力的な提案だった。なにしろ、このとき彼女たちが持っていた最大の懸念は、海の向こう側に自分たちを渡してくれる船渡しがうまく見つかるか分からないことだったのだから。
しかし、アオにとっては、はいそうですか、と単純に受け入れられるものではなかったようだ。
「くっ!わ、私は人間……!」
たとえ損をすることになったとしても、自分が人間ではないことを認めるわけにはいかない……。アオの苦々しい表情はそう語っていた。自分の正体が分からないからこその悩みだったと言えるかもしれない。
ただ、その悩みも、更に上位にあった感情によって、易々と吹き飛んでいってしまったようだが。
「…………」にたぁ
「あ!今、ナツちゃんが笑ってくれましたよ?」ぱぁ
「いーやっ!」
「え゛っ……」
喜びから絶望へ。天国から地獄へ……。余計なことを口にしたせいか、アオはナツに拒絶されてしまう。その結果、彼女は、凍りついた表情を浮かべたまま、すーっと空気に溶けるように消えていくのだが……。普通の人間は透明になれないことを彼女が気づいているかどうかは不明である。
「……やっぱり、お化けだね」
『お化けじゃなくて、透明になれる人間です!』
と、アオの不毛な主張が2周目のループに突入しそうになったところで……。このままでは好機を逃すと思ったのか、アメが2人の会話に割り込んだ。
「……店主殿よ。ワシらの正体の話は、とりあえず置いておくとして、船の手配だけでもお願いできんじゃろうか?もちろん、船代は払うぞ?」
「正体を明かさないってことは――」
『いえ、人間です』
「……まぁ、なんでもいいさ」
いい加減、アオへの対応が面倒になってきたのか、なげやりな様子で相づちを打ってから……。店主は、アメたちに対し、船渡しについての詳細な説明を始めた。
「知り合いに船渡しがいるんだよ。お前さんたち……いや、私たちみたいに、元は獣だけど人に化けて船渡しをやってる奴がね。それで船代なんだけど……お代はいらないよ?そのに代わり、あんたたちには、やってほしいことがあるんだ」
そんな店主の言葉を聞いて――
「(のう、アオよ。お主、どう思う?)」
『(正直言って怪しいと思います。いったい何を頼まれることやら……)』
――と思わず顔を見合わせるアメとアオ。店主の、金銭のやり取りではない、という言葉に、2人とも引っ掛かりを覚えたようだ。
とはいえ、店主の方に、アメたちを陥れるような意図は無かったらしく……。彼女の方から、頼み事の詳細について、説明を始めた。
「やってもらいたいことっていうのは、なにも大それたことじゃないよ。人間にとっては苦手なことで、獣にとっては得意なこと……狩りさ」
「『狩り?』」
「んま?」
「まぁ、私ら狸にとっては、あまり得意なことではないんだがね。でも、あんたたちなら出来そうだから頼むよ。……いいかい?肉ならウサギかシカの肉を、皮ならシカか狐か狼か熊の皮を持ってきてほしいんだ。数は……そうだね、シカなら5頭も狩れば十分だよ?あと、狸はダメだ。狩ってきたら一生恨むからね?」
「念頭に置いておこう……。しかしなぜ狩なのじゃ?」
「なに、簡単な話だよ。食料や毛皮っていうのは、これからの季節、どの家でも必要になるものだから、市場に持っていくと高く売れるのさ。私はあんたたちが狩ってきた獲物を市場で売りさばくことで利益が得られて、そしてあんたたちはわざわざ船渡しを探さなくとも、簡単に海を越えられるってわけだ。悪くない提案だと思うんだけどねぇ?」
「確かにのう……」
「んま……」
『そういうことですか。でもそれなら自分たちで――』
「あぁ、もちろん、自分たちで獲物を売って、それで得た利益で船渡しを探すっていう方法もあるし、そっちの方が儲けは出るかもしれないね。だけど……この土地の者じゃないあんたたちが、市場に獲物を持っていって、高く売りさばくっていうのは大変だろうねぇ。みんな私らほどは開放的じゃないからねぇ。ま、どうするかは、あんたたちに任せるよ。好きにするといい」
店主は目尻にシワを作りながら、そこで言葉を止めた。アメたちから回答が戻ってくることを待つことにしたらしい。
「(どうする?アオよ)」
『(シカ5頭くらい、アメ様なら一瞬ではないですか?こう、ガッ、ってて)』
「(ガッ、と狩ができればいいんじゃがのう……。まぁ、それは置いておくとしてじゃ。個人的には、なんとなく……ろくなことにならん予感がしておる)」
『(どのように、ろくなことにならないと?)』
「(……分からぬ。分からぬから"予感"じゃ)」
『(……では、とりあえずやってみて、ダメだったらその時に考える、というのはいかがでしょう?アメ様や私たちなら、どうとでもなるでしょうし……あ、いえ、私は人間ですよ?)』
「(…………)」
透明な姿になったアオがいるだろう方向へとジト目を向けてから……。アメは店主に向かって結論を口にした。
「……その話、受けてもよい。じゃが、狩ってきた獲物は、ワシらが船に乗る時に交換じゃ。獲物を狩ってきたというのに船に乗れんというのでは堪らんからのう」
その返答を聞いた店主は、あからさまに肩を落としつつこう返答する。
「信用されてないみたいだねぇ。まぁ、すぐに信じる方が無理か……。それじゃぁ、1週間後を目標に準備をするっていうのでどうだい?その間、宿代はタダ……って訳にはいかないけど、安くはしとくよ」
「……明日ではダメかの?」
「すごい自信だね……。でも、さすがに今日明日では無理だろうさ。そっちがどんなに早く獲物を狩ってきたとしても、船頭にも準備があるから、早くても3日はかかるだろうからね。1週間後なら確実。それより早く渡りたいってんなら……こっちも船頭と相談しなきゃならないよ。それが終わるまでは、具体的な日程は言えないね」
「……ワシらは急いでおる。まもなくこの地は雪に閉ざされることになるじゃろうから、その前に南へと行きたいんじゃ。店主殿よ。すまんが、できるだけ急いではもらえんか?その分、獲物をはずんでもよいぞ?」
獲物の追加をちらつかせたアメの言葉を聞いて、店主は仕方ないと言わんばかりにため息を吐くと――
「分かったよ。いつ渡れるかをここで断言することはできないけど、できる限り急いで船渡しに話を通して、詳しい話が決まったら教えるよ。……ただし、あんたたちが、これからもうちの宿に泊まり続けるなら、の話だけどね?追加の分の獲物は……まぁ、任せるよ」
――と、条件付きでアメの言葉に首肯した。
こうしてアメたちは、肉と毛皮を確保すべく、山へと入り、狩りをすることになるのだが……。そこでまた面倒な課題と遭遇することになるとは、この時の誰も想像していなかったようだ。
ま、まだ前回の更新から1ヶ月経ってない……はず。




