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灯火の誓い〜炎を宿す少年と、癒しの力をもつ少女。それでも、選んでしまう旅。その炎は、守りか――灯火の竜の記憶か。   作者: 水瀬 理音
第五章 淡雪の鈴

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第三十九話 雨の焔

 春祭りから一日。その余韻がまだ心にじんわりと広がっていた。

 リセルとエリシアは港町へと歩みを進める。

 道は山裾を抜け、やがて森へと入り込んだ。朝から低く垂れ込めた雲が、山道の色を重く沈めていく。


 降り出した雨は止む気配を見せなかった。

 崖下の窪地に急遽しつらえた焚き火場は、上から張り出した岩陰に守られていた。

 それでも、風に乗った雨粒が時折吹き込む。


 リセルは手をかざす。静かに集中し、手のひらに炎を灯した。

 濡れた枝に火をつけるのは難しいが、手から直接落とした小さな火は、乾いた芯に沿ってじわりと燃え広がっていく。


 彼は手早く細い枝をくべ、火の輪を育てていった。

 鍋の中では、昼前に仕留めた野兎の骨とわずかな肉、それに乾燥させていた山菜が煮えていた。

 白い湯気が立ちのぼり、肉の香ばしい匂いが雨の匂いに混ざる。


 焚き火の傍に座るエリシアは、膝を抱えて体を丸め、吐いた息が白く溶けた。

「……あったかいね」

 その笑みが、しとしとと降る雨音に紛れた――その時。

 草を踏む、重い足音。


 リセルは顔を上げ、腰を浮かした。エリシアを庇うように前に身をかがめた。

 音の主は、崖の傾斜をゆっくりと下りながら、窪地に近づいてくる。

「――お、いいとこ見つけたな」


 姿を現したのは、ずぶ濡れの男だった。

 雨水が外套を伝い、岩肌に滴り落ちる。

 深くフードをかぶった外套の裾から、腰に差した黒い鞘の柄がのぞいている。


 それが見えた瞬間、リセルは無意識に、腰の短剣の柄を強く握った。

 肩が、わずかに強張る。

 男の外套の袖口から、火傷の痕が浮かぶ手首がのぞく。


 男はためらいもなく火の輪に踏み込み、外套を岩肌に引っかけた。

 その動きは自然すぎて、逆に違和感があった。まるで、最初からそこにいるのが当然かのように。

 外套を脱ぐと、男の髪の色に、わずかに目を見張った。


 ――赤い髪。


 髪はリセルと同じ赤だが、いくぶん黒みが強く、後ろで無造作に束ねられていた。

「……誰だ」

 リセルの声は低く、張りつめていた。

 男は肩をすくめると、口の端だけで笑った。


「誰でもいいだろ。同じ雨に打たれた仲だ。火を少し、分けてくれ。それと、飯もな」

「あ、どうぞ!」

 弾んだ声に、リセルが思わず振り返る。

 エリシアはいそいそと、鍋のそばにあった木の椀を手に取っていた。


「おい、エリシア――」

「だって、困ってるんでしょ?」

 彼女は微笑みながら、鍋からスープをすくい、男の前に差し出した。


「……へぇ、あんた、優しいな」

 男は受け取ると、軽く顎を引いた。

 その拍子に、彼の頬にも薄い火傷の痕が幾筋か見えた。


 そして、目――

 黒曜石のような瞳の奥に、細い紅が走っていた。

 雨で濡れた石に、炎の色が射したみたいに。

 硬質な光を宿したその瞳に、リセルの呼吸が、わずかに止まった。


「……ガキの頃、よく弟や妹に食わせてやったのを思い出すよ」

「……?」

「昔話だ。忘れろ」

 男はスープを啜りながら、焚き火をじっと見つめた。


 その目は、まるで炎の奥に何かを探しているようだった。

 しばらくの沈黙。

 男の視線が、遠くに外れた。

 焚き火の中で、枝がぱきんと折れた。


「――お前、弟に似てんな」

 リセルがわずかに眉をひそめた。

「……は?」

「気にすんな。ただの感傷だよ」


 男の口元はゆるんでいたが、目はどこまでも冷めていた。

 笑っているはずなのに、目が離せない。

 声は柔らかい。敵意もない。けれど――

 腹の底に、何か得体の知れないものを飼っている気配がした。


 それは眠っているようで、ずっと目を開けてこちらを見ている。

 名前も姿もないそれが、男の奥で息をしているのを、確かに感じた。

 炎が、ぱちりとはぜる。


「……いい火だな」

 その声に、少しだけ湿った熱が混じった。

 リセルの背が、かすかにこわばる。


「まあ、そんな警戒するな。何もしねぇよ。降り出して困ってたら、たまたま面白いもんを見たもんだから寄ったんだ」

 リセルは火から目を離さず、静かに身構えた。

「……見たって、何を?」


「お前……さっき、この火。道具もなしに起こしてただろ?」

 黒曜石のような目が、ふたたびリセルをまっすぐに射抜く。

 リセルは息を呑んだ。

 隣のエリシアが肩を揺らす気配がした。


「別に、だからどうってことねぇよ。見ての通り、俺もユーファの末裔だからな」

「お前も?」

 男は椀を飲み干すと、満足そうに息を吐いた。

「ああ。同胞に会うのは初めてか? そんな顔してる。安心しろよ。俺は同胞には親切にするって決めてんだ。

 ……ついでに教えとく。そのうち、この国からイースガルド連盟はいなくなる」


「……いなくなるって、体制でも変わるのか?」

 リセルはわずかに眉をひそめた。

 同時に、フィンの言葉が脳裏をかすめる。


 確かに、体制を変えようとした王がいた。

 だが、その王は病で死んだ。


 それから、そんな話は聞いていない。

 自分の集落が襲われたのも、そのあとだ。


 男は、口元に皮肉の色を浮かべた。

「変わるんじゃない。変えるんだ。お前、興味ないか?」

「……話が見えないな」

「だろうな。やっぱ、いいや。忘れろ」


 男は首を横に振り、少し笑うと――急に話題を変えた。

「それにしても、お前、そんなふうにしか火を使えないのか? そんな弱い火を出す奴がいるとはな」

 胸の奥に、鋭いものが刺さる。


(……弱い火って)


 あの日の記憶が、雨音と共によみがえる。

 怒りに任せて放った炎。焼け焦げた匂い。炎に飲み込まれる感覚。

 けれど、あのときの焚き火。エリシアの笑顔。

 それは確かに、この火があったから生まれたものだった。


 ――俺は、これで十分だ。


 暴走させたくないから、黎火(れいか)の郷を目指している。

 リセルは拳を握り、火を見つめ続けた。

「俺は、炎なんて出したくない。制御したいんだ」


 男は目を細めた。

「……制御? 違うね。俺たちの力ってのは、飼い慣らしてでも、武器にするべきだ」

 リセルは、言い返せなかった。

 しばらく、ふたりのあいだに火の音だけが続いた。


 やがて、男が問う。

「ところで、港に向かってるのか?」

「なんでわかった」


「俺もたまたま向かっててな。お前らの踏み跡が見えた。……こっちの谷筋は、港へ行く旅人がよく通る」

「そうだ。港に出るつもりだ」

 リセルが淡々と答えると、男は小さくうなずいた。


「悪くねぇ選択だ。ヴェルナにいたって安心はできない。今、ちょうど面白い噂もあるしな」

「由賊の船のことか?」

「お、やっぱり聞いたか? あれはあれで、なかなか信憑性はある噂みたいだぜ。お前らみたいな奴は、行ってみてもいいかもな」


「お前は、違うのか?」

「俺か?」

 男は視線を火に落とす。


「……用がある。昔の知り合いに、ちょっとな。多分、向かってる方向は同じだ」

 そして、ふと立ち上がる。

「どうだ、暖を取らせてもらった礼がてら、港町まで連れてってやろうか?」

「……何が目的だ」


 リセルはずっと柄に手を添えていた。男の目が細められた。


「炎は弱いくせに、警戒心だけは人一倍だな。じゃあ、これでどうだ?」

 腰の剣を脇に下ろして両手を上げるしぐさをした。

 剣は、焚き火のそばに転がったままだった。


「護身用だ。お前だって持ってるだろ?」

 リセルが睨み返すと、男はやや口調をゆるめた。

「俺の炎は、もう冷えちまったからさ。……たまには、誰かと歩きたくなることもある。それに、その嬢ちゃん――」


 エリシアが、小さく身をすくめた。

「連れがお前一人ってのも、心許ないしな」

「……余計なお世話だ」


「そんなことないです、リセルはすっごく頼りになるんですよ!」

 エリシアが顔を真っ赤にして抗議する。

 男は、ほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き、そして笑みを残した。

「……そっか」

 その声に、少しだけ遠い響きが混じった。


 男は火の向こうに歩き出した。

 剣は、焚き火のそばに残されたままだった。

「方向は一緒だ。明日は港町まで送ってやるよ。俺はあっちの方で寝る」


 思い出したように振り返る。


「あ、そうだ。俺は、ドレイドだ。よろしくな」


 そう言って、横になった男は、ほどなくして静かな寝息を立てはじめた。

 リセルとエリシアは顔を見合わせる。

「……悪い人ではないみたいだし、一緒に行ってもらう?」


「どう見ても、あやしいだろ」

「でも、道知ってるみたいだし」

 リセルはため息をついた。


 確かに、殺意や悪意は感じない。けれど、ドレイドと名乗ったその男の目の奥にある、押し殺した怒りのような、獣じみた気配に――リセルは、なかなか寝付けなかった。


 翌朝、支度が終わると、ドレイドは短く「港まで案内する」とだけ言い、先に歩き出した。

 リセルとエリシアは視線を交わし、その背中を追った。


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― 新着の感想 ―
新キャラのドレイド、ちょっと怖そうだけどめちゃくちゃ強そう! リセルと同じ「赤」を持っているのに、考え方が全然違うのが気になります。 「変えるんじゃない、変えるんだ」っていうセリフに、ドレイドの覚悟を…
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