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灯火の誓い〜炎を宿す少年と、癒しの力をもつ少女。それでも、選んでしまう旅。その炎は、守りか――灯火の竜の記憶か。   作者: 水瀬 理音
第五章 淡雪の鈴

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第三十七話 春祭りの鈴

 林を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。

 抜ける、淡い空。

 すっかり雪解けた高原が、春の陽を浴びて、ゆるやかに波打っている。

 草の匂いを含んだ風が頬をなで、リセルは目を細めた。


 ――この景色は、知っている。


 フィンと暮らしたヴァレン村の、高原の匂いだ。

 ふと、群れが視界の端を横切った。十数頭のトナカイが、若草をはみながら移動している。

 そのうちの一頭が近づき、鼻先を差し出した。

 毛の奥にこもった温もりと、かすかな草の匂いが指先に伝わる。


 ――あの村の朝も、こうだった。


 隣でエリシアが口元に手をあて、おかしそうに笑った。

「やっぱり、リセルってトナカイに好かれるみたい」

「……昔、世話をしてたからじゃないか?」

「きっとわかるんだよ。トナカイだって、自分を好きな人は」

「別に……好きだなんて言った覚えはないけど」


 リセルの言葉を最後まで聞いたのかどうかもわからないまま、エリシアは広い草原へ駆けだした。

「あっちに村があるみたい!」

 遠く、草原の向こうに小さな村が見える。


 軒先から吊るされた赤、黄、青、緑の布が、春風にあおられて大きく膨らみ、陽を反射してきらめいていた。

 屋台の軒には、花輪と一緒に小さな鈴が下がり、風に揺れるたび軽やかな音を響かせる。

 通りには香ばしい肉の匂いと蜜を煮詰めた甘い香りが漂い、太鼓と笛の音が混ざり合う。

 人々のざわめき、子どもたちの笑い声、鈴の音――春の光が、そのすべてをやわらかく包んでいた。


「お祭り、やってるんだね」


 エリシアが目を輝かせて立ち止まった。

 頬をなでる風はまだ冷たい。それでも、空気の匂いには冬とは違うやわらかさがある。

「この時期は、どこも春祭りだからな」


 リセルは肩をすくめる。


「ヴェルナの連中は、ほんとになんでも祝いたがる。雪灯祭(せっとうさい)に春祭り、夏祭り、収穫祭……一年中、騒いでる」

「楽しそう!」

「……お前はな」


 通りを歩く人々の腰には、細い紐飾りが巻かれていた。

 鈴と小さなガラス玉がついていて、人々が歩くたびにころんと鳴る。

 陽を受けたガラスが光をはじいた。


 ――春祭りの象徴のような飾りだ。


 エリシアは屋台の前で足を止めた。

 細い革紐に、小さな鈴とガラス玉が並んでいる。

 そのガラスの中には、青や緑、琥珀の色が溶け込んでいた。


 陽を透かすと、淡い光がにじみ、色が揺れる。

 すぐに溶けてしまいそうな、やさしい色だった。

 何も言わず、エリシアは指先でそっと触れた。

 鈴が小さく鳴る。


「……欲しいのか」

 リセルの声に、エリシアは目を瞬かせる。

「ううん」

 そう言いながらも、視線は外さない。


 リセルは小さくため息をつき、銅貨を置いた。

「……ほら」

「え、でも……」

 エリシアの瞳が、戸惑いと喜びのあいだで揺れる。


 店の男が鈴を手渡しながら不愛想にいった。

「せっかくの祭りなんだ、兄ちゃんもつけなくていいのか?」

 リセルは答えず、買った鈴をエリシアに差し出した。

 エリシアは小さく「ありがとう……」と呟き、腰布に結わえつける。


 細い紐が揺れ、鈴がやさしく鳴った。

 陽の光をはじくガラス玉が、きらりと光る。


「リセルは、いいの?」

「俺は、いい」

「……そっか」


 エリシアは何も言わずに笑った。

 その笑顔に、なぜか胸の奥が落ち着かなくなる。



 輪投げ、投げ矢、腕相撲――広場のあちこちで歓声があがる。

 エリシアはまた足を止め、指差した。

「ねえ、あれやろう!」

 投げ矢の的が並んでいる。

「別に、いいけど……」

 しぶしぶついていくリセルをよそに、エリシアは目を輝かせて矢を握った。


 一投目は外れ、二投目も外れる。

 三投目――矢が、筒にすとんと入った。


「やった!」


 エリシアが飛び上がる。思わずリセルの両手をつかみ、そのまま跳ねた。

 わっ、と戸惑ってよろける。

 でも、子どもみたいに笑う顔を見ていたら――知らず、口元がゆるんだ。


(なんだよ、それ、あいつみたいだな……)


 フィンもそうだった。

 大人のくせに、勝負事にすぐ熱くなって、気の乗らないリセルを引っぱって祭りを歩いた。

 輪投げも、投げ矢も。

 決まって一番楽しんで、肩に腕を回して笑った。

 最初は嫌だったのに――気づけばいつも、一緒に笑ってた。

 ああやって、明るいほうへ引っぱっていくんだ。


 ……不思議だ。

 思い出しても、痛くない。

 いつもは違った。

 フィンのことは考えないようにしてきた。

 思い出したら、息が詰まる。

 歩けなくなる。

 ……そう思ってた。


 でも――今は、自然に浮かぶ。

 笑って、思い出している。

 あの光景ごと。

 あの声ごと。


「ほら、見て! 景品!」

 エリシアが振り返り、画帳を掲げて笑った。

 手の中の紙束が、軽く揺れる。


「……絵なんて描くのか」

「描く!」

 即答に、リセルは肩をすくめるしかなかった。


 祭りのざわめきの外側で、足を止める。

 酒場の戸口に身を寄せ、耳を澄ました。

 隊商の連中は、酒が入るとよく喋る。噂は待つものじゃない。拾いに行くものだ。


「なあ、聞いたか? また沿岸の町に来てるらしいぞ、あの船」

「どの船だよ」

「アルバトロスだよ。知らねぇのか? 神出鬼没の”由賊(ゆうぞく)”ってやつ」

「バカ言え。ラファスの検問も抜けて、どうやってんだ」

「知らねえよ。でも、珍しいもんを取引してるって話だ。香辛料とか、高い酒とか」

「いや、俺が聞いたのは人攫いだってよ。腕の立つやつや、子どもまで」

「逆だろ。助けてんだよ。戦火から逃げてきたやつを、安全な場所に運んだってな」

「東の大陸まで行ったって? 夢みたいな話だ」

「はっ、信じるかよ。海路は金がかかるし、ルシトには通行証がいる」

「普通の船じゃ、まず無理だ」


 リセルの鼓動が早まった。

 二年間、がむしゃらに働いて、金を貯めてきた。

 どんな形でもいい。とにかく船に乗り込んで、東の大陸――自由の国ルシトへ渡るつもりでいた。その先のことも考えていた。


 ……通行証は、もちろん持っていない。用意するあてもない。

 追われている身で、そんなものを取るのは不可能だ。

 だから、雑用でも何でも申し出て、船員として身元を得る。

 そうやって入国を強行するつもりだった。


 無茶で、穴だらけの計画だということは、分かっていた。

 それでも、そこにしか出口がなかった。


 なのに――。


 アルバトロスの船。

 検問をすり抜けて航路を抜ける“由賊(ゆうぞく)”。


(……そんな話、あるかよ)


 ――それでも。

 胸の奥で、何かがかすかに鳴った。


 〈由賊(ゆうぞく)〉――国に属さない連中。

 海を好き勝手に渡り、どこにも縛られない。

 兵でも商人でもない。

 奪うこともあれば、雇われて護衛や運び屋もやる。

 法より、自分たちの掟で動いている。

 人は、そんな連中を〈自由民(じゆうびと)〉とも呼んだ。


 戦から逃げた者を、東の大陸まで運ぶ由賊がいたって、おかしくはない。

 助けているって噂が本当なら。

 奪うだけの連中じゃないのなら。

 どこにも居場所のない者を運ぶ船なら――確かめてみる価値はある。


 そのとき、背後でそっと袖を引かれた。

「リセル?」

 振り向くと、エリシアが首をかしげていた。

「……由賊(ゆうぞく)って、なに?」

 囁くような声だった。

「あとで話す」


 そう言って、視線を酒場に戻した。





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― 新着の感想 ―
リセルがエリシアに鈴を買ってあげるシーンが、不器用だけどすごく温かくてニヤけちゃいました。 トナカイと仲良しなリセルも意外でかわいい! お祭りの楽しそうな空気と、リセルの優しい一面が見える素敵なお話で…
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