第四十三話 〜同族嫌悪〜
——カツンッ。
暗いトンネルに足音が響く。
クリウスとリートは、謎の仮面集団に案内されながら、酒場の地下へと続く薄暗い通路を進んでいた。
——この先に、《パンドラ》の“元”団員がいる……。
クリウスは込み上げる緊張を押し殺し、小さく唾を飲み込む。
通路の先は深い闇に覆われ、その果ては見えない。
前を歩くリートは、そんな空気など意にも介さないように、普段と変わらぬ足取りで歩き続けていた。
「……なあ、リート。なんで“ドン”は《パンドラ》を辞めたんだ?」
「……」
返事はない。
その沈黙だけで、穏便な別れではなかったことが伝わってくる。
重苦しい空気に耐えきれず、クリウスは後ろを歩く仮面の男へと声を掛けた。
「なあ、あんたらは何か知らないのか?」
先頭を歩く仮面の男は、しばらく沈黙した後、静かに答えた。
「——我々は何も知りません」
再び静寂が訪れる。
「ンフフフフ……」
その返答を聞いたリートは、喉の奥で笑いを噛み殺した。
「何がおかしいんだよ」
クリウスは怪訝そうな顔でリートを見る。
リートは笑みを浮かべたまま足を止めず、わずかに後ろを振り返った。
その視線が向けられた先はクリウスではない。
視線の先は仮面の集団だった。
「知らねぇだろうなぁ。多分、お前らはあいつの本名はおろか、素顔も、年齢も、種族も知らねぇ……いや、教えてもらえねぇんだろ?」
仮面集団は誰一人として反応を示さない。
聞こえていないかのように、無言のまま歩き続ける。
——どういうことだ?
自分たちが使えている主人の正体すら知らされていないのか……?
「あの“ゴミカス”は徹底した秘密主義者だからな」
リートはポケットからキセルを取り出し、慣れた手つきで葉を詰め始める。
「俺ですら、“ほとんど”知らねぇ」
「ほとんど?どういうこどだ?」
クリウスは眉をひそめた。
「あぁ? 今日は質問が多いな、クリウス君。」
リートはキセルを口にくわえ、肩をすくめる。
「俺が知ってるのは、あいつの本名くらいだ。顔も見たことねぇし、いつからこの世界にいるのかも分からねぇ」
クリウスは腕を組み、小さく考え込む。
それほど得体の知れない男が、よく《パンドラ》へ入れたものだ。
しかも、リートはあそこまで嫌っている。
二人の間に、一体何があったのだろうか。
「“ゴミカス”ね……」
クリウスは苦笑交じりに呟き、深く息を吐いた。
——パチッ。
暗い通路にキセルの火が灯る。
赤い火が闇を静かに照らしていた。
***
トンネルを歩き始めて、かれこれ半刻。
クリウスたちの前に、一枚の古びた木の扉が姿を現した。
リートは足を止め、小さく息を吐く。
「……クリウス、行くぞ」
——トン、トン……トン。
リートが一定のリズムで扉を叩く。
すると、重々しい音を立てながら扉がゆっくりと開いた。
一行が中へ足を踏み入れた瞬間、眩い光が辺りを包み込む。
「ッ……」
クリウスは思わず目を細めた。
やがて光に目が慣れ始めると、ゆっくりと辺りを見回す。
「なんだよ……これ」
そこは、先ほどまで歩いていた地下通路とはまるで別世界だった。
磨き上げられた大理石の床。
床には派手な絨毯が敷かれ、天井には豪華なシャンデリアが眩く輝いている。
部屋の最奥には王座を思わせる巨大な椅子が据えられ、その周囲を踊り子のような衣装を纏った女たちが囲んでいた。
そして、その椅子には——。
でっぷりと太った四十代ほどの男が、王のようにふんぞり返って座っている。
舞踏会で使うような仮面が素顔を隠し、その奥から覗く瞳だけが、獲物を見つけた獣のように妖しく輝いていた。
「——“ドン”。こちら、リート=ジン様とクリウス=ヘール様でございます。」
仮面の集団は一斉に跪き、頭を垂れる。
——なぜ俺の本名を知っている……?
リートならまだ分かる。
だが、自分の本名まで把握されていることに、クリウスは背筋が冷たくなった。
「クリウス。」
リートが小さく口を開く。
「こいつは、この大陸のほとんど全てを知ってる。……驚くことじゃねぇ。」
そう言うと、リートはドンの目前まで歩き、堂々とその場へ胡座をかいた。
二人は無言のまま視線をぶつけ合う。
まるで互いの腹の内を探り合うように。
クリウスは慌ててリートの隣へ並ぶと、深く頭を下げた。
「ご紹介に預かりました。聖アストリア帝国、帝国騎士団見習い所属、クリウス=ヘールです。」
しかし、ドンは聞いていないかのようにリートだけを見つめ続ける。
「クリウス。こいつにかしこまる必要なんてねぇ。」
リートは吐き捨てるように言った。
「こいつは“ゴミクズ”だからな。」
その言葉を聞いたドンは、肩を揺らして笑う。
「ずいぶんじゃないか、“クソガキ”。俺はお前のことを弟のように思ってるんだぜ?」
リートは答えない。
ただ、冷たい視線をドンへ向け続ける。
「それで——」
ドンはキセルへ火を灯し、ゆっくりと煙を吐いた。
「会いに来たのは、お前の方だろう?」
紫煙がリートの顔をかすめる。
それでもリートは眉一つ動かさない。
「あぁ。」
短く答える。
「“迷宮”への探索チームが結成されたはずだ。お前のツテで、俺とこいつをそこへねじ込め。」
——迷宮……?
聞いてないぞ。
「おい、リート……」
クリウスが口を開いた瞬間、リートは掌を軽く突き出した。
——黙ってろ。
そう言われた気がして、クリウスは口を閉じる。
「……嫌だと言ったら?」
ドンは子供がおもちゃを見るような目で問い返した。
「あぁ。」
リートは淡々と答える。
「お前が明日の朝日を拝めなくなるだけだ。」
静かな声だった。
だからこそ、その場にいた全員が息を呑む。
「姿が見えてるお前なんざ、三秒で殺せる。」
沈黙。
そして——。
「ぶはははははっ!」
ドンは腹を抱えて笑い出した。
「三秒か! やってみろ……と言いてぇところだが。」
笑いを収めると、ドンは面白そうに頬杖をつく。
「探索チームにちょうど空きが出ていてな。お前なら、まず死なんだろう。」
リートはわずかに眉を上げた。
「やけに素直だな......何を企んでやがる?」
ドンはキセルを燻らせながら、口元を歪める。
「——“善意”ってやつに目覚めてな。」
一瞬の静寂。
次の瞬間——。
「ンフッ……」
「ぶはははは!」
リートとドンは、ほぼ同時に笑い出した。
——やっぱり意味が分からない。
クリウスは心の底からそう思った。
この二人の感情は一生理解できないのだろう。
ひとしきり笑った後、ドンは煙を吐きながら静かに呟く。
「それにな……」
「お前も、もう残ってねぇだろうしなぁ。」
ドンはリートを見つめて呟く。
——残っていない……?
「なあ、リート。それって——」
「クリウス。」
リートが遮る。
「少し二人で話したい。席を外してくれ。」
有無を言わせぬ口調だった。
——何を隠してるんだよ……。
クリウスは疑いの眼差しを向けながらも、仮面の男たちに促されるまま部屋を後にする。
——ギィ……。
重い扉が閉まり、二人の姿は完全に遮られた。
広間に残ったのは、リートとドンだけ。
二本のキセルから立ち昇る煙だけが、静かに天井へ溶けていく。
ドンはゆっくりと煙を吐き出し、小さく笑った。
「——さて。」
「“お子ちゃま“には聞かせられねぇ話を始めようか。」




