第四十一話 〜光が落とす影〜
「はぁ……はぁ……」
夜の路地裏。
かすかな街灯が、一人の男を照らしていた。
全身に傷を負い、パンは足を引きずるように歩く。
「パン!」
空から声が落ちる。
「——マリザ……」
雲を踏むようにして、マリザが降り立つ。
不安を隠せないまま、彼を見つめた。
すぐに手をかざす。
——光が弾ける。
次の瞬間、パンの傷は跡形もなく消えていた。
「……どうだった?」
短い問い。
パンはその場に座り込み、息を整えながら答える。
「——拠点は壊滅です……。ギヨームさんはロロイさんが逃がしているはずですが……ここまで《黒い羽根》の手が伸びているとは……」
マリザは静かに息を吐く。
「皇帝もいない今のアストリアは、完全に侵されているわね……。聖都にかけられていた“催眠魔法”は解けたのに……結局、何も変わらない」
パンは小さく頷く。
「……元凶を叩くしかない、ということですね」
沈黙。
やがてパンは、ゆっくりと口を開いた。
「——マリザ。あなたも気づいているのでしょう。死んだはずの弟子……“ナイラー”と“オズ”が現れたこと」
一瞬、空気が張り詰める。
「それに、この動き……まるで、我々を知り尽くしているようだ」
マリザの表情に、影が落ちた。
思い出したくない何かに触れるように。
「ええ……認めたくはないけど……」
視線を落とす。
「“あいつ”が、生きている気がするの」
わずかに拳を握る。
「どうして神器で追えなかったのかは……分からないけど……」
二人は、同時に空を見上げた。
重たい沈黙。
やがてマリザが、かすれるように呟く。
「……こうなると、祈るしかないわね」
その声は、夜に溶けていく。
「……頼んだわよ、二人とも」
***
街からは絶えず煙が吐き出され、排気で空気は濁っていた。
夜になっても光は消えず、機械音が絶え間なく響き渡る。人々の声は楽しげに街にこだまする。
「ここが“工業国ロゼッタ”か……」
クリウスは辺りを見渡し、目を輝かせる。
「ここが首都“ウルカ”だな。魔道具や神器の製造で出る石炭の煙で、一年中霧に覆われてる。別名——“煙の都”」
見上げた空は灰色に塗り潰され、月光を遮っていた。
「クリウス!こっちだ!」
声のする方を見ると、リートは狭い路地裏へと入っていく。
「ちょっ!待てよ!」
慌ててその背を追う。
「なっ……」
大通りを外れ、光の届かない路地へ足を踏み入れた瞬間、世界が変わった。
「——これがこの国の“裏”だ。よく見ておけ、クリウス」
道端には飢えて倒れる者。
その奥では、片足を失った男が銭を求めてうなだれている。
——ガッ!
突然、クリウスの足に子供がしがみついた。
「お兄ちゃん達、外の人だろ!?お母ちゃんが大変なんだ!助けてくれ!」
涙に濡れた目。
「本当か!?すぐ案内してくれ!」
クリウスが踏み出した、その瞬間。
——キィン。
リートの短剣が、子供の喉元で止まった。
「——ひっ!」
子供は尻餅をつき、後ずさる。
「何してんだ!リート!」
クリウスは声を荒げる。
だが——
リートの瞳は、氷のように冷たかった。
「落ち着け。こいつに母親なんていねぇよ」
淡々と告げる。
「俺らを騙して、身ぐるみ剥ぐつもりだ」
「なんだって……」
クリウスは信じられないという目で子供を見る。
「チッ......」
子供の口からは舌打ちが漏れ、同時に顔からはあどけなさが消える。
リートは一歩前に出て、しゃがみ込んだ。
「——ガキ。“ドン”はどこにいる」
リートの目線は冷たく子供に降り注ぐ。
「裏の住人なら知ってるはずだ。会わせろ」
子供の目から、怯えが滲む。
だが、それは子供の目じゃない。
生き延びるために濁った目だった。
「……“ドン”がお前らなんかに会うわけねぇだろ」
リートはニヤリと笑う。
「いや、会うさ」
短く言い切る。
「“炎の魔神が来た”——そう伝えろ」
カチリ、と小刀を鞘に収める。
「行け」
子供は弾かれたように走り出し、闇へ消えた。
「おい。“ドン”って誰なんだ?」
クリウスの問いに、リートは頭をかきながら答える。
「——《パンドラ》の“元”団員だよ。」




