三節 停戦交渉の切り札
色で感情を見る『彩眼』。
この血統能力は時として残酷で、時として幸福である。
——最悪なのは、見えてしまった瞬間から、もう引き返せないことだ。
兄の瞳が、色を拾う。
私は見ないふりをした。
見たら、ここで何かが壊れると分かっていたからだ。
一条 光。
彼女は停戦の切り札どころか――冬の国が喉から手が出るほど『返してほしい捕虜』だった。
「へえ、随分大盤振る舞いですね、我が国は」
あっけらかんとそう言うのは光さん。
あの『毒』だか『生物』だか不明なアレは『蝕毒』と名付けられ、正体不明のまま第二騎士団からは王立研究所へ送られた。
光さんは一週間経った今でも、寝台から出ることを禁じられている。
本人は動きたいようだ。
しかし、彼女の内臓は半ば崩れていた。
ただ、そのベッドのサイドテーブルに置かれたのは暇つぶし程度に用意された本。
兄がわざわざ選んで持ってきた本を彼女は少しずつ読んでいるようだった。
ちらりと見えてしまった兄の本に添えられたメモ書きは、見ないことにした。
「まあ、我が国の方も厄介なお方が向こうの捕虜となってしまいましてね、停戦交渉は長引きそうです」
兄は光さんの手を握り、治癒魔法を掛ける。流石に捕虜と我が国の第二騎士団長を二人っきりにすることは出来ないので、私は扉の近くでその様子を眺めていた。
手首の白石の腕輪が、揺れに応じてカチリと鳴る。
うわあ、二人っきりにしてぇ!絶対ロマンス生まれるやつ!
……いや、今それどころじゃないです。
「厄介なお方?」
「貴方と同じような存在が冬の国の捕虜となられまして……血筋だけなら、貴方と同格の方です」
「へえ」
兄は停戦の話を少しずつ彼女にしていた。
代わりに彼女は自国に不利になると分かりつつ、ある程度の情報開示をしてくれていた。
兄と彼女に共通するのは『戦争を終わらせる』こと。
その色に相違が無いのは兄も、私も確認済みだ。
兄を見つつ、少しばかり今の情勢があまり芳しくないのだと思わざるを得なかった。
春の国が捕虜としたのは彼女、一条 光。
彼女は冬の国で『一番高貴な女性』であった。
一条家は冬の筆頭家。
ただ、何故その家の姫がわざわざ戦場に出ているのか、疑問ではあった。
「ひとつ、お尋ねしてもよろしいですか?」
珍しく、静かに言葉を放った彼女に兄は視線を向けた。
彼女に浮かび上がる色は深い深海の青。
悲しみに満ちた色に私は思わずその色を見てしまった。
「『香』、という名の女を知りませんか?」
その言葉に兄も私も目を丸くした。
ただ、彼女は兄にも私にも視線を向けずに悲しみの色だけを浮かべた。
「お香の『香』の字で香と読む、私の二歳年下……生きていれば十八歳の女の子です」
静かな言葉。吸い込まれそうな真剣な目が、兄を捉えた。
「オレンジのような橙色の目で、『紅茶色』のくせ毛……ふわふわの柔らかい髪の、女の子」
兄も、私も、驚きの所為で息を呑みそうになった。
思い当たる名前と容姿の人間を私も兄も知っている。
私の背中に冷たい汗が流れた。確信はない。
でも、私と兄は今の言葉で思い浮かんだ人がひとりいる。
やばい、心臓がバクバク鳴り響いている。
兄は彼女の深い青色を見たのだろう。
私から見える兄の色は黒に近い青。
兄は慎重になりながら口を開いた。
「その方は、お知り合いですか?」
兄は表情には出さずに『普通』に質問した。流石兄上。
私なら絶対顔か声に心臓バクバクなのが出た。多分。
「妹です」
即答された言葉に決定打だと思い項垂れそうになった。
どんな運命だ。
いや、それ以上にゾッとしそうになった。
だとしたら、彼女は――。
あ、やめた。ワタシ、ナニモシラナイデス。
彼女の色が紫に濁った。
――信じたいのに、信じられない。吐けば終わる秘密を、喉の奥で噛み砕いている色だ。
紫が兄に絡むということは、兄に対して信じるべきか迷っている、ということ。
いや、情報を明かすか迷っているのだ。
紫がほどけていく。
藤色の奥に、淡い赤が滲んだ――いや、違う。
違うことにしてくれ。今それは、その色は見たくない。
私は目を伏せた。
バクバクと鳴り響く心臓を落ち着けるために、頭の中を整理しようとした。
「私の生まれは――娼館です」
突然の言葉にとうとう私は息を呑んでしまった。
チラッと見た光さんの色は深い深海の青。悲しみ。
アっ!アウト――!
……ほぼ確定。
兄上もさすがに誤魔化しきれなくなりましたね。
「しょう、かん」
兄はなんとか声を絞り出した。
「ええ、娼館……娼婦が一夜の夢を売る女の生き地獄」
彼女の色が黒に変わった。まるで曇天の雲。
ただ、その中に赤い稲妻が走っている。
怒り、でもどうにもできない絶望。
そんな色が湧き上がっていた。
「調べられていると思いますが、一条家の直系は二人となっているでしょう。私と弟。」
確かに調べたとおりだった。
一条の次期当主は彼女の弟、彼女は姉であり、一条の姫。
冬の国の『一条』と言う名の正統血統はこの二人以外に存在しなかった。
「私と弟の間に、妹が居ました。」
ああ――、決定打だ。
身震いしそうになるほど寒気がしてくる。どんな運命だと嘆きたくなった。
「私たちは娼館で育ちました。
沈香の匂いと、笑い声と、――両親の歌で」
そこで彼女は大きく深呼吸した。
「五歳の時、妹が人売りに売られました。」
そう言いながらも彼女が深海のような青を浮かべた。
「目の前で、担がれて連れて行かれる妹――あの時、何もできなかった」
グッと怒りがこもった声。
握りしめる手には血管が浮き上がっている。
「妹の小さな手が、伸ばしても、届かなかった手が、まだ頭に焼き付いているのです」
ふう、と自分を落ちつけるためか、彼女は息を吐いた。
「それから三か月後、娼館に軍から逃亡した父を捕えに冬の軍が来て、
――父は母を殺し、そして自害しました」
怒りがこもった声。
それに反応するように赤の稲妻が膨れ上がっていく。
「私と弟は冬の国へ連れて行かれて、環境がいきなり変わって、気づけば姫だ、後継者だ。
――そのまま身動きも取れなくなりました」
その言葉のあとに彼女は顔を上げて兄を見た。
何かを感じ取ったのか驚いた顔になっていた。
「貴女が戦場にいるのは、もしかして」
「ええ、妹を探す為です。
正直に言えば、今回捕虜になったのも好機だと思いました。
妹の容姿は春の国で需要があるらしいので」
本心だ。色が透き通るような青を浮かべた。
そして彼女の目が大きく開かれて、そして兄の肩を掴んだ。
カチャリ、と彼女の手首に嵌る『白石の腕輪』が音を鳴らす。
「もしかして、知っているのですか!?香を、妹を、知っているのですか!?」
そこで兄が深く澄んだ紫水晶の色を浮かべた。迷い。
伝えるべきかの悩みだろう。そこで兄は深呼吸してから彼女を見た。
「『香』と言う名の女性は一人知っています。『紅茶色』の髪と橙色の目。」
「生きて、いるのですか?」
そこで兄は深呼吸をした。
肩を掴んだ彼女の手をそっと取って、治癒するときと同じように彼女の膝に手を置いた。
その震える手に兄の手が重なった。
「今、冬の国に捕虜になった春の国の姫、『秋里 香』のことだと思います。」
「……え?」
予想をはるかに超えた答えに彼女は困惑の声と色を出した。
現に私と兄も互いに同じような色をしているのだろう。
兄も一度私を見て、そして色を見たようだった。
だから何も言わずに頷いた。
「秋里という家のことはご存じで?」
『秋里』――春の国の筆頭家。
業火の一族。うちでも最上位の厄介枠である。
「ご、ご存じも何も、春の国の筆頭家。
『業火の秋里』は冬の国でも『会ったら逃げろ』と言われる家じゃないですか」
彼女の声は震えていた。
その身体を包むのは最早、黒に近い青。
――まるで絶望だ。
「ええ、その秋里です。香さんは秋里の当主の義妹。
血縁的には従妹ですが、養子縁組で秋里本家の『姫』となっています」
「う、そ」
「我々は詳しいことは知りません。
ただ、秋里 香は『秋里の姫君』となっている。これ以外の情報を我らは知りません」
「そう、です、か」
詰まるように、それでも何とか返事した彼女。
今、私も兄も、そして彼女も最悪なことを思い浮かべているだろう。
もし本当だとしたら、それは――停戦どころの話ではない。
国と国の戦争が、家と血が絡み合う戦争に変わる。
それはもう、理屈で止まる類の争いではない。
「とりあえず秋里のご当主に話を投げましょう。話しはそれからです」
兄の言葉に彼女は頷いた。
スッと立ち上がった兄はそのまま扉の方に歩いてくる。
兄に続いて扉の外に出れば重い錠の音が『ガチャン』と静寂の中で響いた。
魔法で施錠されたソコは春の国の騎士団本部に併設された貴族牢。
要人たちに使われるその牢は他に比べれば過ごしやすい場所だ。
「昌澄」
兄の数段低くなった声が響いた。
ちらりと見れば兄はニコリと笑う。
その目が笑っていないのに思わずため息を吐いた。
「綾人に『すぐに話したい』と送ってくれるかい?」
綾人――彼は兄の親友であり、秋里の当主だ。
「承知しました」
兄の言葉に魔法陣を浮かべた。
鳥のような形になったそれを空に飛ばせば羽ばたく鳥のように魔力を追って羽ばたいていく。
「まさか綾人の言っていた従妹とこんな形で会えるとはね」
兄の呟きに何とも言えない気持ちで頷くのだった。
え、まさか、敵国の姫さん――春の国でも姫さん?
……笑えない。
これ、冗談じゃ済まない。




