三十一節 第三騎士団長
何と言ったら良いのでしょうね、この脳筋集団。
ええ、双子に倒され、メンタルブレイクしたかと思いました第三騎士団の皆様は、治癒魔法をかけたそばから、また光さんに挑みに行きます。
兄上が戦場で第二騎士団を延々と回復させて戦った時も、きっとこんな感じだったのでしょうね。あの時の兄上ほど切羽詰まった感じではありませんが。
「……朝比奈副団長はすごいですね」
いきなり、言われた言葉に驚いて隣を見た。
ジメジメキノコモードから、ただ、体育座りをしているムキムキにモデルチェンジしました吉川団長がまじまじと言うので、本気で『中身が入れ替わりましたか?』と言いたくなるのを飲み込みました。
「凄い、でしょうか?」
「ええ。先ほどから我が団のほぼすべての団員を三回……のべ三百人もの人間を回復させているのに、全く表情が変わらない」
「え?」
吉川団長に言われて、思わず驚いた。
「そんなに、回復させたのでしょうか?」
自覚のないまま、一人三回×百人=三百回ほど回復させていたらしい。
いや、流石に三周は吉川団長の数え間違いでしょう。ええ、多分。
普通、二周ぐらいで終わらせるでしょう……三周目に行くあたり第三騎士団の狂気を感じますね。
そんなことを思いながら、驚愕に近い気持ちで第三騎士団の騎士たちを見た。
思ったよりも魔力を消費していないので、実感が湧きませんでした。
と、言うよりもいつも回復させるのが第一騎士団や第二騎士団だからでしょうか?
第一騎士団は魔術と剣術のバランス型、第二騎士団は魔術特化。
で、第三騎士団は脳筋……失礼、剣術特化。
身体の回復だけですからいつもより楽なのでしょうね。
「まあ、普段の数倍楽ですよ」
「まあ、そうでしょうね。いつも昌澄が回復するのは魔力お化けの綾人だったり、昆明殿下だったりですからね。体の回復だけをすればいい今でしたらあと三週は行けるのではないですか?」
――死ぬほど第三騎士団の訓練場が似合わない兄上登場です。
瓦礫と汗と叫び声が飛び交う訓練場に、ひとりだけ舞踏会から抜け出して来たみたいな男が立っているのは、驚くほど相反する光景になっております。
「朝比奈団長。すみません、副団長をお借りしております」
「いえいえ、お気になさらずに、吉川団長。昌澄もよい訓練になるでしょう」
ええ、なっておりますよ。
本当に素晴らしいメンタルトレーニングになっております。
吹っ飛ばされた第三騎士団の団員が展開している回復魔法の魔法陣に投げ込まれて、回復したら光さんに挑みに行く。
……あれ?
そう言えば、回復した団員が真っ先にするのは負傷した団員を回復魔法陣に投げ込み、そして光さんに挑む。
ハタッと気が付いた瞬間に、同じことに気が付いたような千歳さんが口を開いた。
「……そう言えば、ここ一年、第三騎士団の死亡者は、ゼロでしたね」
第三騎士団は最前線を守る特攻部隊。
――つまりは死亡者が一番多い騎士団だ。
その第三騎士団の死亡者がゼロ。
しかもここ一年は冬の国との全面戦争の真っ只中。
穏やかな一年では無かった。
魔法重視の第二騎士団ですら、戦時中は死者が出ている。
私が騎士になった六年前の戦死者の名簿を思い出せば、死亡者ゼロというのは奇跡に近い。
「……自分の無知が、多くの仲間を喪いました」
静かに言葉を放った吉川団長。
ああ、双子だけがきっかけでは無いのだと気づかされた。
「今回は朝比奈副団長に回復をしていただいておりますが、平時の我が団は遠澄に朝比奈の『治癒の水』を展開し続けて貰い、維澄に戦場で瀕死に近い人間を個々に回復しています」
思わぬ言葉に驚いて吉川団長を見ました。今まで見たことのないほど、悲しそうで、浮かび上がった色は深海のような、暗い青。
悲しみ、絶望、そんな色を浮かべる吉川団長に少しだけ驚いた。
ただ、兄上は知っていたのか、何も言わずに視線を第三騎士団の面々に向けた。
「そして回復が間に合いそうもなければ、動ける人間がひん死の人間を連れてセーフゾーンまで撤退。」
ええ、そうでした。ここ一年、第三騎士団は第四騎士団の治癒魔法士を帯同させることが多かったです。その情報を資料で知っていたのに、私は何も見ていなかったのだと自覚しました。
「二年前、冬の国との全面戦争が始まった折、俺の判断ミスで23名の騎士を喪いました。」
吉川団長の言葉に、体中の血が一気に冷えていくような感覚が襲ってくる。
その数字は、報告書で何度も目にした。
その中には、士官学校の同期もいた。
昆明と三人で、馬鹿なことをしていた剣術馬鹿だった。
父を喪った子供。
子を喪った母。
兄を喪った妹。
妹を喪った姉。
友を喪った騎士。
夥しく並んだ棺は多くの家族の涙に濡れていた。
その棺は全部、国葬で火にくべられた。
あの光景を今でも覚えている。
「俺の責任であったのに、責任を取ったのは朝比奈団長……いえ、元団長ですね、あなた方の母上だった」
ええ、知っております。
母が騎士団を辞めたのは、あまりに多くの騎士を喪ったからだ。
そして母に嘆きを見て、弟たちは母の愛した第三騎士団へ行きました。
母は第三騎士団を誰より誇りに思っていた。
それを知っていたからこそ、弟たちはあの団を選んだ。
だから、私は彼が嫌いでした。
同期をはじめとする騎士たちを奪い、母から剣を奪った彼が――。
私は長いあいだ、彼の顔を見るだけで罵倒が出そうで、喉の奥がざらつくのでした。
ですが、あの国葬の日――。
棺を見送る列に、ボロボロで、傷まみれで、回復しきっていない彼が涙を堪えて並んでいたのを思い出します。
兄上は悲しそうな顔で……千歳さんも同じ顔で吉川団長を見ておりました。
二年前、兄上たちも同期を亡くされております。
特に、千歳さんからしたら……。
ですから千歳さんが吉川団長へ厳しい目をされるのは仕方ないでしょう。
「誰一人して喪わず、ここに帰る。自分が出来るのは、この程度です」
『この程度』がどれほど難しいことか、言わなくても分かります。
コネだ、二世だ、力量不足だと言われ続けた彼は、彼なりに努力をして、結果を出しているのだと再認識しました。
チラリと見た兄上は少しだけ笑っておりました。
これは……多分、知っていたのですね。
だから、私と千歳さんが第三騎士団に来るように仕向けたのですね、弟たちを使って。
全く、兄上には敵いません。
少しだけ、私は吉川団長を見直しました。
全面的に信じるわけじゃありません。
でも、弟たちの性格を分かっているあたりで少し見直しておりました。
同じ顔、同じ性格に見える弟たちですが、維澄の視野の広さと、遠澄の一点集中型なのを気が付いて上手く役割を配分している。
悔しいですが、この方は第三騎士団の騎士団長に相応しいのだな、と小さくため息をつきました。
「朝比奈団長」
吉川団長の声に兄上が笑われました。
「なんでしょう、吉川団長。」
「第一騎士団の川上副団長を探しに喜哉に行くと伺いました」
その言葉に兄上は頷かれました。
だとしたら、辞令が降りて、私たち第二騎士団は『蝕毒』の消息不明に関わった川上副団長の捜索。
……および『一条 光』の護送を命じられたのでしょう。
兄上の視線は乱戦を続ける光さんに向きました。
鮮やかに第三騎士団の騎士たちを次々に避けて反撃する姿は華麗としか言いようがありません。
「ええ。」
「……自分は、先日の王都襲撃事件まで、幻を見たと思っていたことがあります」
急に話が変わり、思わず疑問符を浮かべていたところだった。
「かつて冬の国の第一師団との交戦中に23名の騎士を喪った時……俺は『蝕毒』を見ています」
その瞬間、私も、兄上も、そして千歳さんも驚いた顔で吉川団長を見た。
その浮かび上がらせる色は何処までも透き通った、清流のような、青。
彼が本当のことを言っているのだと理解した。
「俺は冬の国の第一師団が召喚魔法で呼んだアレを『魔物』と判断しました。」
召喚魔法、そう聞いた瞬間に王都に現れた時も、召喚魔法だったと思い出します。
「しかし、アレには知能があった。魔法を避け、結界を潰し、多くの騎士を無残に食い荒らした」
グッと奥歯を噛み締めるように歯を鳴らした。そして握られる拳には爪が食い込みそうなほど、力がこもり、白くなっている。
「……俺は錯乱したと思われ、その証言は『無きもの』になりました」
「え?」
「は?」
千歳さんと私の混乱によって漏れた声。しかし、その中で兄上は少し悩んだ表情で冷静に考え込んでいるようでした。
「……どういうことですか?」
兄上は鋭い目で吉川団長を見てそう尋ねる。
「当時は、自分の心が壊れたのだと本気で思っていました」
そう言った吉川団長はジッと兄を見ました。
「それでも、報告書を出しました。しかし提出自体が『無きもの』になっています」
吉川団長のその言葉に私も、千歳さんも息を呑みました。
報告書はどんなものであっても保管されます。
しかし吉川団長の『無きもの』というのは、提出されたことも無かったことになり、報告書は保管されていないという事です。
「……『握りつぶされた』と、今なら考えます」
吉川団長の言葉に背筋が冷たくなるような感覚が襲って来ます。
もしも吉川団長の言葉を信じるならば、春の国は二年前に『蝕毒』の存在を掴んでいたことになります。
確かにあれほどの危険性があれば情報を規制するでしょう。
現に、今回王都に現れた『蝕毒』は兄上、綾人さん、昆明、そして光さん、規格外な人間が連携したからこそ、ギリギリで討伐できました。
そのようなモノを敵国が持っているとなれば、規制するのは当然の措置です。
ですが、吉川団長は『第三騎士団の騎士団長』です。
彼が触れることのできない情報は、ほとんどない。
だとしたら……。
「今なら?」
兄上の言葉に私の意識は吉川団長との会話に引き戻されます。
兄上も何とも言えない表情で思案しておりました。
「……あの当時は自分が錯乱したと本気で思い込んでいました。朱子殿下が真摯に話を聞いてくださって、やっと前を向けるようになったのです」
「……そう、でしたね」
「提出した報告書は何処にも見つかりませんでした。この件は自分と彼以外、知る人間はおりません」
そう言ったところで、吉川団長の少し後ろで控えていた男がニコリと笑った。
第三騎士団の副団長。
――そして、23名の団員が亡くなったあの事件の時、その場で生き残ったのは吉川団長と彼だけ。
「……なるほど」
そこで兄上は黙り込みました。
「……ご忠告、感謝します。」
ほんの一瞬だけ、兄上の目の奥が冷たく光ったように感じました。
そして兄上はいつものように笑みを浮かべました。
その表情はまるで仮面のように作り上げた綺麗な笑顔だった。
ただ、この笑顔が出たとき、兄上は本心を一つも口にしないのです。




