三十二節 剣を握り続ける
誰もが静まり返った空気を変えたのはヒュンと空を切る木刀の音。
ガツンッと大きな音がした瞬間、遠澄の木刀が吹っ飛ばされ、そして第三騎士団の百名がたった一人の敵国の将校に制圧されたのだと理解した。
「うん、君、えっと、維澄くん?」
悩んだように光さんが遠澄に声を掛けた。
「いえ、遠澄です、三男の」
「あ、逆か……。右の黒子の方が遠澄くんね、覚えた」
そう言った光さんはふわっと柔らかに笑いながら緑色を浮かべました。
「じゃあ、遠澄くん。君、武器変えた方が良いと思うよ」
いきなり言われた言葉に驚いていたのは遠澄でした。浮かべた色は羞恥の赤と信頼の黄色。それが混じってオレンジ……好奇心の色に変わりました。
「武器、ですか?」
「うん。君、維澄くんに合わせて剣を使っているのでしょ?」
光さんの言葉に目を丸くした遠澄。維澄も驚いた顔をしますが、それぞれ浮かべる色が全く違いました。
遠澄の色は透き通るような青。つまりは真実を当てられた事への驚き。
逆に維澄の色は紫。不信感……いや、この場合は知らなかった事への不服というか、そんな驚きでしょう。
「遠澄くんは体幹がしっかりしているから長物を使った方がいいよ。槍とか、長鉈みたいな……」
「え?」
遠澄は言われたことが理解しきれないように、困惑した言葉が口から洩れた。
「遠澄くんは間合いを取るのが上手いし、純粋なパワーで言ったらトップクラス。多分、この第三騎士団の中でも」
そう言った光さんの視線がチラリと第三騎士団の騎士たちに向いた。
「そのパワーを活かして槍で周りを広範囲に薙いで立ち回る方がいいと思う。維澄くんの機動の速さを生かす意味でも、君は武器を変えた方がいい」
驚きつつも、遠澄には自覚があったようで納得したような快晴の青空のような鮮やかな青を浮かべました。
多分、私や兄上と同じように彩眼持ちである維澄は遠澄の色をみて、悔しそうな赤に近い紫を浮かべました。
「……俺が感じていた違和感ってそれだったんだ」
誰もが驚きで言葉を出せなくなっているところで、声を出したのは意外にも維澄の方だった。
「前から思っていたんだけど、言語化できなくて、でも、武器って今、光さんが言ったので、あって思った!遠澄、試してみなよ!」
維澄が浮かべた色が黄色、オレンジ、いうなれば歓喜の色。
逆に遠澄が浮かべる色は赤に近い紫、不服、不満を表す色。
「剣、以外……」
ポソっと呟いた遠澄の言葉にハッとしました。
手をジッと見つめながら言葉の意味を飲み込もうとする遠澄の手は僅かに震えました。
弟たちは物心ついた頃から『母の再来』と呼ばれ続けていました。
剣術の鬼才と呼ばれた、母の。
——だからこそ、遠澄は「剣を手放す」という発想を、これまで一度も持てなかったのだろう。
遠澄は……維澄と一緒に母の剣術を極めるつもりでいたのでしょう。
そう簡単に、捨てられるものではないと、咄嗟に思いました。
それに気が付いたのは光さんもだったようです。
ジッと自分の手を茫然と見つめる遠澄に、掛ける言葉が見つかりませんでした。
「……清澄さん」
誰もが言葉を失い、息苦しい空気の中、凛とした声が響きました。
その声の主、光さんは不敵な笑みを浮かべておりました。
「なんでしょうか?」
兄上はいつものように柔らかな笑みを浮かべております。
「私と、一戦交えていただけませんか?――真剣で」
周りの空気が凍り付いた。
今までの乱戦は木刀での模擬戦だった。
でも、光さんが求めたのは兄上との真剣勝負。
誰もが言葉を発することが出来ない中、兄上は楽しそうに笑われました。
兄上が自分の腰の剣に触れたところでハッと気づいたように私を見ました。
「……昌澄、悪いけど剣を貸してもらえるかい?」
柔らかな言葉でそう言いつつ、兄上は第二騎士団の団長の証でもある白の外套を脱いだ。
つまりは『朝比奈 清澄』個人として、真剣勝負を受けるということだ。
そして私は、光さんが兄上に勝負を挑む意図が理解できた。
だとしたら、反対することはない。
弟たちの……いや、遠澄の為だ。
「どうぞ、兄上」
腰から抜いた愛剣を兄に渡し、代わりに外套を受け取った。
「使うなら昌澄の剣の方が良いでしょう?」
兄上が光さんに渡した私の愛剣。
その剣を見ながら、光さんは笑われます。
「ありがとうございます。昌澄さん、お借りしますね」
ニコリと笑いながら私の愛剣を一度鞘から抜いた光さんはヒュン、ヒュンと空を切って剣の使い心地を確認する。
……もしも兄上と光さんが結婚するような未来があれば、あの名剣は光さんが使われることになったでしょうね。
私には宝の持ち腐れです。
兄上が光さんの使っていた木刀を受け取り、茫然とする遠澄のところに歩いていきました。
一度、遠澄の頭を撫でながら笑いました。
「木刀……預かってください」
光さんが使っていた木刀を遠澄に握らせた兄上は光さんの前に戻っていきます。
ハッとしたような維澄が慌てて駆け寄って、私の隣まで遠澄の手を引いてきました。
……考えて見れば弟たちは士官学校を卒業して一年の17歳。
まだ、色んなことを割り切れる歳ではないのだと分かりました。
「ごめん、遠澄。俺、無神経に……」
「いや、自覚はあったよ。でも、分かっていなかった」
二人が沈んだようにそう言い合っていました。
ですが、兄上がやろうとすることを、もう一人の兄として、弟たちに言うことにしました。
「二人とも、今は考えずに兄上と光さんの勝負を見なさい」
そう言いながら前を見る。
兄上と光さんは互いに向き合った。
兄上は腰に帯剣している剣を鞘から抜き、
光さんは兄上が渡した私の愛剣を鞘から抜く。
静かに対面した二人。
二人はゆっくりと剣を構える。
光さんが手に持つ魔力を通す名剣と、
兄上が手に持つ魔力を受けない名剣。
まるで反目し合うようなその剣はどちらも太陽を受けて輝いた。
風が止んだように、訓練場から雑音が消え沈黙に飲まれた。
兄上の彩眼と光さんの太陽眼がスッと細まった。
瞬間、光さんが走った。
一瞬にして兄上の間合いに入り、横薙ぎ。
兄上はその軌道の下に屈み、下から突き。
乾いた金属音が、風の止んだ訓練場に鋭く響く。
目で追いつくのがやっとな攻防戦。
けれども確実に、二人が狙い合っているのは、互いの――首。
見惚れるほど美しいのに、ぞっとするほど物騒な剣舞のようだ。
空を切る音が、剣の重なり合う音が、地面を蹴り上げる音が届く頃には次の動作に変わる。
これは魔力での強化無しの……純粋な剣技。
兄上の突きに上半身を逸らせて避けた光さん。
そのまま地面に片手を突き、後方宙返りしながら体勢を戻して反撃。
兄上は横に半歩よけて紙一重でその剣から逃げる。
余りの攻防戦にその場の誰もが絶句する。
この真剣勝負、乱入できるとしたら二人だけでしょう。
千歳さんか……吉川団長か。
現に二人だけは、いざという時に『止められる』ように、剣の柄を握って構えている。
ちらりと弟たちを見ました。
見て理解できなければ、噛み砕いてあげるつもりでした。
でも維澄も、遠澄も、どちらも言葉は要らないように、ジッと、二人の真剣勝負を見ていました。
「離さないんだ……」
ポツリと言ったのは遠澄でした。
ちゃんと、分かるのですね。
思わず言ってしまいそうになりました。
ですが、今は、二人に、この最強クラス……
母を凌ぐほどの剣技をじっと見せておくことにしました。
「俺も分かった……兄上も、光さんも、絶対に剣を手放さない。光さんは……遠澄が剣を吹っ飛ばされているのを、言っていたんだ」
「うん、俺の方が、手の力、弱いんだな……だから、槍」
そこまで言った二人は何も言わずにジッと兄上と光さんの勝負を見ます。
打ち合い、斬り合い、体勢を崩し崩され、それでもなお戦い続ける。
この次元まで行ける剣士はごく僅かでしょう。
全盛期の母上であればこの次元だったでしょう。
その当時の母は、剣を振る音すら残さぬほどの速度だったと聞きます。
でも、弟たちはその全盛期の母を知らない。
私と兄上ですら知りませんが、その次元の剣士を何人も見ております。
「兄上と、光さんは……俺の為にこの試合をしてくれたんだね」
そう言った瞬間……遠澄の目尻から一筋の涙が零れました。
チラリと見た遠澄の手の中で、木刀が僅かに震えていた。
それは恐怖でも、悔しさでもなく——期待なのだろう。
浮かび上がらせる色は黄緑。素直に、それを受け止めているのだろう。
遠澄はゆっくりと、口を開きました。
「戦場は、憧れる場所じゃない。一歩間違えれば死ぬ。しかも、ここは第三騎士団。死の最前線」
静かに遠澄は寂しそうな顔で自分の手を見ます。
「あの人優しいね、敵国の人間に……生き残る術教えるなんて」
遠澄の言葉に私も思わず同じことを思いました。
明日には敵になるかもしれない隣国の将校が、まさか自国の脅威となるようなアドバイスをくれるなど、普通ならばあり得ないでしょう。
多分ですが、光さんは弟さん・従弟さんと遠澄と維澄を重ねているのでしょう。
そして『朝比奈』という家を知らないからこそ、弟の適性を見抜けたのでしょう。
戦場という過酷で生き残ることを理解しているから、余計に遠澄の適正が見えたのかもしれません。
遠澄に釣られたのか、同じように涙を溢したのは維澄。
……と第三騎士団の面々の方々。
ちょ、ちょっと、あの、皆さま?何故そんなに号泣なさっているのですかね?
「ごめんな、お前らが負傷したら第三騎士団自体が瓦解するんだ……」
「お前ら戦闘狂だって知っているけど、俺たちが弱いばっかりに……」
「ゴリラだけど、お前たち白衣のゴリラだから……」
ん?なんか変なワードが紛れていません?
白衣の天使と掛けたのかもしれませんが、褒め言葉なのかどうかは判断に迷います。
……いえ、第三騎士団的には最大級の賛辞なのでしょうね。理解はしたくありませんが。
まあ、弟たちは第三騎士団で上手くやっているようで安心しました。
「ふふっ」と、思わず零れた笑い声に遠澄が笑いながら私を見てきました。
「うん……大丈夫だよ、昌澄の兄上。俺、槍使ってみる」
思わずジッと見てしまっていたので、驚きつつ笑いました。
悔しさは一切無く、遠澄が浮かばせた色は黄色だった。
希望……。
「頑張りなさい。魔法で良ければ相手しますよ?」
それだけ言って、前を向きました。
ただ、その瞬間でした。
互いにガキンッと刃を打ち鳴らし合い、そして距離を置いた兄上と光さん。
間合いが一気に開いて、剣を構えた二人は互いに見つめ合う。
ああ、嫌ですね……こういう時に彩眼は非常に厄介です。
人が隠そうとする色を見てしまうのです。
二人の混ざり合う色は見慣れた色でした。
隠そうとする鮮やかな色を見るのに耐え切れず、視線を逸らそうとした瞬間です。
――二人の空気が変わりました。
二人の間に、一陣の風が通り抜けて静寂が訓練場を支配しました。
ゴクリと、誰ともなく、喉を鳴らすのでした。




