十九節 王都襲来1
地鳴り、叫び声、砕ける石の音――それらが幾重にも重なり不協和音を鳴り響かせる。
魔道馬車が止まれば、すぐさま外に出た綾人さんと千歳さん。私と兄上もすぐさま馬車の外に出て空を見上げた。
王都のシンボル、時計塔の中腹で爆破が起きたようだ。爆破した場所から緩やかに崩れていく時計塔。時計の形を保ったまま傾き、そして地面へと落ちていく。
慣れ親しんだ時計台が崩れ落ちていく映像が、目に焼き付くようだった。
「昆明!千歳!」
綾人さんの声が響いた。
その瞬間、昆明の魔力が上がる。彼の黄色い魔方陣が浮かび上がり、ソレが崩れ落ちていく時計塔を包み込んだ。
「五分、座標確保!」
昆明の叫び声が響く。
その魔法が、昆明の得意とする結界魔法だとすぐに気が付いた。
ただ、何故かその結界魔法に魔法を飛ばすための目地……座標が組み込まれていた。
綾人さんに焼かせる気か?
しかし、これだけの大きなものを遠隔で結界魔法で止められるのは五分が限界。
その間に人を避難させるには……転移魔法を使うしかない。
そう思って兄を見た瞬間だった。
「問題ありません。十分前、戻れ!」
急激な魔力の高まりを感じて隣を見た。
――十分前、戻れ?
彼女の魔法の細部は知らないが、この異様な魔力の揺れだけは、前にも一度だけ感じたことがある。
千歳さんが膨大な魔力を行使しているのだとすぐに分かった。
無色透明に近い魔方陣が足元に浮かび上がる。
そして昆明の結界魔法の中の、昆明の印した座標へ千歳さんの魔力が『飛んだ』。
魔法陣から現れる歪んだ時計が幾重にも重なり、そして崩れていったはずの時計塔に吸い込まれた。
次の瞬間、昆明の結界魔法が『割れた』。
まるでガラスのように砕けた黄色の結界が地面に向かって降り注いでいく。
見上げた先で、見えてきたのは元通りの時計塔だった。
千歳さんのこの能力は前に一度、盗み見た。
今の状況を考えるに、昆明の結界が『対象』を囲い、
千歳さんがその中だけ時間を『巻き戻した』――そんな感じだろう。
次の瞬間、横の小さな体がぐらッと揺れる。
倒れるその身体を、慌てるように抱きしめれば、完全に血の気を喪った顔の千歳さん。
思わず触れた頬が、妙に、冷たい。
その温度に、心臓が一瞬だけ嫌な跳ね方をした。
「瞬木先輩、大丈夫っすか!?」
叫んだのは昆明で、コイツもまた、非常に顔色が悪い。
地面に膝を付きながら受け止めた千歳さんを見た。
千歳さんは苦しそうに浅い息で心拍数を上げている。
体温が急激に下がっている。
まるで、魔力暴走を起こしているかのようだった。
彼女の心音を確認するためにそのまま石が敷かれた道路に寝かせ、耳を胸に当てる。
耳に届く魔力の“揺れ”が、かろうじて一定なのを確かめて、少しだけ息を吐いた。
つまりはまだ魔力暴走は起きていない。
だとしたら、魔力枯渇。
ただ千歳さんから浮き上がる色がほとんど見えない。
感情が見えないほど、意識が混濁しているのだろう。
同じように屈んでいた光さんが手を千歳さんの口に当てていた。
「息は正常みたい」
「ちっ、規模が大きかったのか……」
綾人さんの声だけは思ったより冷静だった。
見上げれば綾人さんと兄上が立って剣を鞘から抜いていた。
「ええ、ですが千歳さんのおかげで被害は少なく……っ!?」
兄上が言葉を紡ぎきる前に、次の爆音が響いた。
吹き荒れる爆風が四方八方に散り、風の流れが止まる。
一瞬の、静寂が訪れた。
静寂を壊すように奇妙な音が響き出す。
ずるり、ずるり、と肉をひきずるような音。
うごめくような、いくつもの触手を持つ。まるで内蔵のような何か。
その大きさは二階建ての一軒家の高さを優に超える。
ドンッ、ドンッと地響きのような振動が地面から身体を揺らす。
それがその何かの足音だと気が付くのに、時間は掛からなかった。
『きゃあああああ!!』
誰かもわからぬ絶叫。その声がこの王都に響き渡った。
誰も彼もが我先にとあの内臓のような物体から逃げていく。
地響きを踏み鳴らすその何かが、歩むたびに肉が潰れるような生々しい音も響いてくる。
そしてソレはしなやかな鞭のような触手で、逃げ遅れた子供らしきものを掴もうとした。
咄嗟だった。
子供位置に座標を決めて転移する。
少し座標がズレたが伸ばした手が掴んだ腕の細さに、
心臓が一瞬だけきゅっと鳴った。
目を丸くするその少年の腕をしっかりと掴んだまま元の場所にまた転移。
勢いを殺しきれなかった私は滑り込むように戻ってきた。
それを見込んでいたのか、昆明が結界魔法で私を受け止めました。
「助かりました!」
「いや……」
素直にお礼を言ったが昆明の視線は前を向いたままだ。
少年に早く逃げるように言えば、彼は急いで走っていく。
その足音を聞きながら前を見た。
ずるり、ずるりと動くアレは魔獣というよりは、何か別のものに見えた。
……何ですかアレ。
悪夢の中から抜け出してきた臓物の塊ですか?
ただ、アレを何故か見たことがあるような気がした。
思い出している暇もなさそうなので『臓物のような魔獣』をじっと見つめた。
「清澄、あれは『魔獣』か?」
「分かりませんね……。魔物かもしれませんが『魔獣』……つまり思考を持つモノと考えるべきですね」
そういつつ兄上と言葉を借りるなら、アレを一応『魔獣』と判断して行動を始めるということだ。
「昌澄、お前そのまま治癒魔法展開しろ。この位置をセーフゾーンにする」
第一騎士団の騎士団長に相応しい威厳の含まれた綾人さんの言葉。
私は素直に頷いた。セーフゾーン……つまりあの『魔獣』から距離を置く際に、この場所まで逃げてくるということだ。
私は言われたとおりに、この場所に青い魔方陣を展開させた。
我が朝比奈家の『血統魔法』。
無限治癒の魔法だ。私の方が兄上より……治癒の能力は勝る。
「昆明、『魔獣』を包囲する結界を展開。」
「了解」
綾人さんの指示に、静かに従った昆明は『魔獣』の周りを囲うように四方に大規模な結界魔法を展開した。
薄黄色のガラスのような結界が空まで浮かび上がる。
昆明の結界魔法は『春の国で随一』。
その強度、規模、そして性能は誰にも真似できない。
「およそ50メートル角で展開しています。避難が終わるまでは下部2メートル程は開けておきます。生体反応を感じなくなりましたら閉じます。あと一応、『魔獣』が結界に触れれば焼けるように展開しましたが、敵味方分ける精度は出ていないので、御二方も触れないでください」
「「了解」」
そう声を揃えた兄と綾人さんはその瞬間に消えた。そして赤と青の魔法陣がソレの左右の空中に浮かび上がった。
転移魔法。
空に現れた兄と綾人さんは、ほぼ同時に左右から斬りかかる。
『ぎゅああああああ!』
異音のような、耳を塞ぎたくなり程の咆哮が響き渡る。
その声に魔力が混ざっているのだと、すぐに気が付いた。
ハッと見上げれば、兄と綾人さんがその咆哮に数十メートルは吹っ飛ばされて、結界近くに飛ばされていた。
二人は勢いを殺すことはできない。
咄嗟に魔法陣を結界と2人の間に飛ばした。
魔法陣にガラスをイメージする強度の魔法を重ね掛けした。
すぐに私の魔法の追加で付与した魔法に気が付いた二人は、結界に激突する前に、私の回復魔法の魔法陣にぶつかる。
足元に展開した私の魔法陣を踏み台にして、二人は一気に跳び上がり
――もう一度ソレに斬りかかる。
「焼く魔法は邪魔だったか!」
「いや、後々を考える正しかったと思います」
昆明の言葉をすぐさま否定して前を見る。
隣の昆明は少しばかり息が上がっている。
元の魔力量が王族らしい昆明はですら、魔力消耗が激しいらしく、僅かに汗ばんでいた。
ここにセーフゾーンとしての治癒魔法を置き続ける限り、私は動くことが出来ない。
チラッと寝かせていた千歳さんを見た。
光さんが千歳さんの近くで気道の確保等、基本的な処置をしてくれている。
「安静にさせておけばいいという事ですね?」
私の視線に気が付いた光さんがそう言うので頷いて前を見た。
その間に何度も兄と綾人さんが臓器のような形の『魔獣』の繰り出す鞭のような触手を切りつけている。刻まれたところから赤黒い液体がまるで血のようにまき散らされるが、地面に落ちて、踏みつけるとまるで吸収するように新たな触手が生えてくる。
「回復系か!」
昆明の言葉を聞きながら考える。
通常の回復型とも、分裂型とも違う。
臓器のような『魔獣』は回復というよりは細胞分裂を繰りしているように見える。
でも、そうなると大きさが変わらないのは何故?
魔力で大型化した回復型の魔獣を見たことも討伐したこともある。
でもそれらは切りつけたり、魔法で攻撃したりして、体外から魔力が離れれば少しずつ小さくなっていく。
でもこいつらは?
そう思ってあの『魔獣』を見た。
「昆明」
「なんだ!?」
「気のせいじゃないですよね……大きくなっていませんか?」
私の言葉に昆明が息を呑みながら前を見た。
最初に見た時、あの『魔獣』は二階建ての建物より大きいぐらいの感覚だった。
でも今は、三階建ての建物と同じ高さだ。
昆明の目が大きく見開かれるのを見るに、私と同じことに気が付いたのでしょう。
気の所為じゃない。
昆明の結界の大きさは変わっていない。
だとしたら、結界内でのアレの大きさそのものが、じわじわと増している――。
そう考えた瞬間だった。
「昌澄!」
「避けろ!」
兄上と、綾人さん。
二つの声が響いた。
大きな影を作り、その巨体から振り下ろされる鞭のような触手。
兄上が焦ってこちらに走ってくる。
綾人さんが魔法陣を浮かび上がらせている。
でも、どちらも遅いと、瞬間的に悟った。
転移魔法も――間に合わない。
その触手の鞭が――
私たちのすぐ上から振り下ろされるのを茫然と見る事しか出来なかった。




