一節 はじまりの出会い
これは冒頭でも話した通り、私、朝比奈 昌澄から見た兄夫婦の物語だ。
偏見があるのは認めるが、私の目から見た二人の出会いはまるで運命のようだった。
今から三年前。
それは、春の国と冬の国が全面戦争をしていた頃の話だ。
その日は雪が降りしきる寒さの厳しい戦場だった。
雪は、寒さよりも、真実を隠す。
汚いものも悪夢も、白に埋めてしまう。
……だから雪の日の記憶は曖昧だ。
その真っ白い戦場で見たのは、恐ろしいほど傷だらけの敵軍だった。
「そちらの総大将は貴方様で間違いないだろうか?」
雪が降りしきる篝火の向こう、ただ一人剣を構えて立つ女の声。
私たちは息を呑む。
彼女は負傷者を庇うように立っていた。
漂う血の匂いと、濃い死臭に私は顔をしかめる。
息絶えた者へ気を回す余裕もないのか、
動かぬものは瞼さえ閉じさせてもらえず、
濁った目が雪に隠されていく。
兄は剣を抜かなかった。
――その判断の速さが、戦場より怖かった。
「ええ、私がこの団を預からせていただいております」
宵闇に吸い込まれる静かな声。
白い息が混じる。
雪が細かな灰のように降り、両軍を凍てつかせる。
「我が名は一条 光。
冬の国『第四師団』の副師団長を務めております」
彼女は高らかな声で身分を告げると、剣を地に突き立て、両手を上げた。
完全な投降の姿勢だ。
「私の身柄と引き換えに、負傷者の冬の国への帰還を嘆願します」
凛と響く声に、「お嬢!」「光様!」「副師団長!」と冬軍から呻きが上がる。
彼女自身も脇腹を切られているらしいが、姿勢は崩れない。
「貴方に、その価値があるという事ですか?」
「こんな成りでも『一条の姫君』。
敵国とはいえ『太陽眼』くらいは聞いたことがあるでしょう?」
彼女が横手の石に掌をかざす。黒い靄が絡み、石は音もなく消えた。
「闇魔法ですか」
兄のその呟きだけが、雪の中でやけに大きく響いた。
『一条の黒髪と太陽眼を見たら退け。闇は全てを灰に還す』
その名は、子供の頃から聞かされていた。
しかし、そんな存在が自ら投降? 罠か、と私たちは身構える。
「元より、我らは戦を望んでいない」
凛とした声音に、私たちは直感する――これは本心だ。
確信を得るために隣の兄を盗み見た。兄がじっと彼女を見つめている。
兄の銀の瞳に、虹が差す。
——嘘を見抜く色。
私の目にも、同じものが見える。
嘘じゃない、と色が言った。
彼女は上衣を脱いだ。
白シャツの脇腹に赤黒い染み。彼女は驚くような行動に出た。
シャツの赤黒い染みをめくり上げ、包帯を解き——止血の当て布を取り除く。
「戦いたい人間ほど、盤上でしか戦争を見ない」
誰もが息を呑んだ。
日に焼けないような白い肌に刻まれた傷。
――その傷は明らかに我らの剣でつけられる傷跡とは異なる。
「戦争を続けるだけで、己の利益を増やす……消える国の利益など見もしないで、自分本位で考える」
彼女は笑った。
だが、その目は一度も逸らさない。
「でも、『女』にはどうにもできない」
その言葉は、雪よりも静かに落ちた。
彼女はハッとしたように我々を見て、笑った。
——違う。笑顔を作った。
その目だけが、笑っていなかった。
「師団長は昨夜、味方に斬られた。貴軍の仕業に見せかけて、な」
嘲る笑み。
視線に軽蔑が滲んだ。
ギリッと奥歯を噛みしめる彼女。
怒りの赤が、黒く濁る。
引きずるような足音が響く。
明らかに普通の歩み音ではない。
思わず視線を向けようとした瞬間だった。
「光っ、」
絶え絶えの声が彼女の名を呼んだ。
その響いた声に身構える。
現れたのは、両脇を支えられた負傷の男。
新緑の髪、琥珀の瞳。
篠宮成継――冬の国の師団長だ。
顔色は血の気を失い、重傷なのは一目で分かった。
「彼を私たちが傷つけたと思わないのかい?」
兄が静かに問う。
彼女の色が深海のような深い青へ沈む。彼女は地に突き立てた剣を示した。
「貴国の剣と我が国の刀では、傷口の筋が違う。加えてこの毒は冬で開発されたもの。」
そう言いながら彼女が見た先は、彼女の母国。
「昔からの友が解毒薬を持たせてくれた。
内側からの裏切りを、彼女は予測していた。」
兄は、いつものように確かめる。
――彩眼は、こういう時だけは厄介だ。
彼女は悲しみの色を浮かべて、自軍からの裏切りを確信していた。
ギリッと一瞬だけ奥歯を噛み締めるような表情を浮かべた。
さらに彼女は私たちを見据える。
「貴殿と――その隣の副官殿からは殺気がない。私への目も、同情の色です」
彼女の黄金色の目が、兄、私へと流れる。
「ええ。同情しています。ついでに――貴女が真実を語っているのも分かる」
「恩に着きます」
兄の言葉に彼女は自嘲気味に笑った。
「能力封じをしていただいて構わない。私の身柄は停戦への札になりますから。こう見えても高貴な出自ですからね」
「ふふっ」と笑いながら彼女は腕を差し出した。
その血にまみれた手に、白石の腕輪が嵌められる。
ガチャン、と小さく鳴り、赤い魔法陣が灯る。
「……『白石の腕輪』とは気前がいい」
『白石の腕輪』――魔力封じの拘束具だ。
我が第二騎士団でも、滅多に使用されることのない代物だ。
兄が一歩、進む。
「冬の国第四師団の皆様。我が名は朝比奈 清澄。春の国第二騎士団長を務める者」
冬の国側の人間たちが目をみはる。彼女でさえ、息を呑んだ。
「……朝比奈の、次期当主」
兄が微笑む。私は色を見て口を噤む――こういう時、『彩眼』は厄介だ。
「こちらの『一条殿』は我らが責任を持って預かる。朝比奈の名にかけて、尊厳を損なう真似はしない」
すると、両脇を支えられた男が笑った。
「俺は篠宮 成継。冬の国第四師団長だ。」
男はこんな状況だというのに、楽しそうに彼女を見る。
「副師団長のそいつが一条 光。
……ざっくり言えば冬で最も高貴な女ってわけだ」
「そう言えばそうでしたね」
彼女はあっけらかんと応じる。
「交渉には、悪くない人選だろ?」
「血も能力も本物ですからね。
――私は我が国からすれば失いたくない『血統』でしょう」
彼女は笑った。
笑っているのに、その目は氷のように冷たかった。
「……黙ってれば姫なのにな、お前」
「そっちこそ。『篠宮のご当主』の癖に」
彼女はテクテクと兄の前へ出る。
「そういう訳で、よろしくお願いいたします。朝比奈卿」
捕虜らしからぬ凛とした笑みだった。
――これが私の兄、朝比奈 清澄と、
のちに義姉となる一条 光の、
出会いの瞬間であり、始まりの瞬間である。
まさかこの出会いが、国をひっくり返すとは——この時の私はまだ知らない。




